《2017年12月10日(日)10時放送 NHK総合 『明日へ つなげよう証言記録 東日本大震災「福島県川内村」』視聴自己ツイートまとめ》

自己ツイートをまとめました。 消極的ではありますが、NHKがようやく、2011年3月12日に、全マスコミが住民を見捨てて、事故原発から遠距離避難していたことを認めました。 また、福島県庁が原発付近自治体と住民に対する連絡義務を怠っていたことも確認できました。
8
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2017年12月10日(日)10時から放送されたNHK総合の番組 『明日へ つなげよう 証言記録 東日本大震災「福島県川内村」』を視聴した。この中で、住民の証言と、ナレーションによるNHKの「自白」に、非常に重要なことが幾つか含まれていたので、連続ツイートする。

2017-12-10 17:51:19
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

今回の川内村に関する番組は、震災発生直後から5日間の、富岡町と川内村に関する内容だった。時間的な経過は、町村役場の職員や川内村長の発言に沿っていった。2011年3月12日午前6時に富岡町長から川内村長への「全町民避難受け入れ要請」の電話で、話が始まった。

2017-12-10 17:51:45
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

富岡町は福島県浜通りで太平洋に面していて、福島第2原発が立地し、浪江町と並ぶ双葉郡でも住民が多く商業施設も充実していた町だった。川内村は、富岡町の西に隣接している山間の小さな村で、原発からは10km以上離れている集落が多かったので村全体の原発事故対策はなかった。

2017-12-10 17:52:30
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

詳しくない方のために補足すると東電の原発事故発生前は「原発事故が発生しても影響は半径10km以内に留まるので、事故対策は10㎞圏内だけ作れば良い」という事になっていた。10㎞圏内でも、放射性物質漏出事故の対策マニュアルは具体化されていなかったけれど。

2017-12-10 17:53:01
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発から10㎞以上離れている川内村役場には、原発事故に関する対策立案は求められていなかった。もし富岡町の原発で事故が発生した場合には、富岡町民は国道6号線を南下していわき市に避難することになっていた。しかし津浪被害で国道は寸断され、富岡町民は西に避難するしかなかった。

2017-12-10 17:53:33
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

川内村には豊かな自然と暮らしを求めて首都圏から移住してきた人も多数住んでいたのだが、その話は長くなるので、別の機会に譲り、番組の流れに話を戻す。富岡町長から避難受入要請を受けた川内村長は即座に承諾した。人口の差はあれど、隣人の危急を見捨てるわけには行かない。

2017-12-10 17:54:19
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

富岡町長の避難受入要請も、川内村長の受入承諾も、避難期間は当初は数日間、という感覚だったと思われる。それは町民村民の多数も同様だったと証言している。まだ最初の建屋爆発以前だったし、原発敷地外の放射線量上昇の連絡も、受けていなかった時点だからだ。

2017-12-10 17:54:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

番組で描いていない避難について補足しておく。一部の原発関係者は、地震による原発建屋内部の配管の複雑損傷や、津浪による全電源喪失の深刻さの意味を察知して、自治体の指示とは無関係に3月11日中に遠距離避難を開始していた。現時点からから考えると、妥当な判断だろう。

2017-12-10 17:55:35
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

富岡町から川内村への避難は、富岡町から郡山市につながる国道288号線の一本の道路だけで、ほぼ全てが行われた。脇道が皆無なわけではないが、地震の影響で通れない場所があるかもしれないと考えると、通行の安全が確認されている国道を使うのは、自然の成り行きだったろう。

2017-12-10 17:56:19
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

しかし登録住民1万6千人弱に加え、住民登録していない原発作業関係の居住者を加えると1万8千人程の富岡町民が、片道一車線の国道288号線を使って、しかも計画で使用するはずだった大型バスが確保出来ずに自家用車を多数使っての避難となった。道は大渋滞を引き起こした。

2017-12-10 17:56:55
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

この段階ではまだ1号建屋の爆発が発生していないので、地元新聞社の記者が撮影した国道288号線渋滞の写真が残され、報道に使われている。受け入れる川内村の人口は3千人弱。受け入れ場所を確保するだけでも大混乱だった。避難者の多くは集会所や体育館に収容された。

2017-12-10 17:57:25
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発事故避難者の受入の計画がない川内村は、通常の地震や水害の際の様に、村の集会所や体育館に富岡町からの避難者を受け入れた。しかし、川内村には富岡町からの避難者全員を受入れて避難生活を始められるようにするための様々な物品や食料の備蓄など、存在しなかった。

2017-12-10 17:57:56
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

何とか村の19か所に避難者を配分して受入れたその後は、川内村民による善意の物資協力に頼るしかない状況が始まった。避難者は8000人超。食事は、村の各家からコメを持ち寄っての炊き出しになった。村の女性60人が集まっておにぎりを作ったが、避難者1人に一日1個が限度だった。

2017-12-10 17:58:38
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

自衛隊が食糧を運んでくるという情報がはいったが、道路が混んで運んでこれない、という事になった。番組では触れていないが、自衛隊で使えるヘリコプターは3月12日には全て、沿岸部の救助に向かっていて、避難所への物資輸送には割り振ることができなかったと推測される。

2017-12-10 17:59:06
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

一方で村民による避難者への食料提供が(不足ながら)行われていた頃、3月12日15時36分、福島第一原発1号建屋爆発のテレビ映像が入ってきた。川内村との合同災害対策本部でそれを見た当時の富岡町長は「もう(町に)帰れないな」と口にした、と川内村副村長は語る。

2017-12-10 18:00:05
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3月12日17時30分ごろ、東京電力の職員二人が状況を説明しに川内村役場に来た。村長が「大丈夫なんでしょう?」と言うと「全力を尽くします」。「放射能は漏れないんでしょう?」と聞くと、答えなかった。東電社員の「顔色はなかった(蒼白だった、の意か?」と川内村長は語る。

2017-12-10 18:00:55
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3月12日18時25分。枝野官房長官(当時)が記者会見で「20キロ圏内退避」の指示を伝える。政府や県庁から村役場への連絡はなかった。事前の想定では、避難指示は県庁から自治体役場に行う事になっていたのだが、この時点では県庁災害対策本部は、ほぼ機能していなかった。

2017-12-10 18:01:29
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故原発から20㎞となれば、川内村の集落と避難所が複数入ることにはなる。川内村は、20km圏内集落の住民と避難者を、それよりも離れた村役場周辺に移した。村役場職員も放射能への不安を抱くようになった。川内村住民の為の安定ヨウ素剤は浜通りにある、と福島県庁に言われた。

2017-12-10 18:02:03
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

川内村役場職員の一人は「川内村民分の安定ヨウ素剤は浜通りにある」と言う福島県庁職員に対して「あんたら、現状判ってんの?川内村、殺すの?」と怒りを感じた、と語る。別の職員は「警察はタイベックス(防護服)着てたけど、うちらにはそんな備蓄はなかった。」とも語る。

2017-12-10 18:03:10
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

川内村長は3月12日午後からの状況について語る。「原発事故に関して専門的な知識を持っている人が、この最前線に来て情報を提供する、状況を説明するという事はなかった。」そして、13日早朝、突然川内村の電話が通じなくなった。インターネットも携帯電話もつながらない。

2017-12-10 18:03:52
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年3月13日、福島県川内村は電話もネットも携帯もつながらなくなり、原発避難情報は、テレビの枝野官房長官会見に頼る以外に無くなった。まとめ主もこの話は記憶にある。しかし、原因や理由がわからない。停電はしていないので、電話中継局の断線でもないのだと思う。

2017-12-10 18:04:26
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

川内村役場は福島第一原発から20㎞と30㎞の間にある。これは南相馬市役所と同じだ。政府の避難指示はこの時点では事故原発から20㎞で、それ以遠には屋内退避の指示も出されていない。ところが、電話もネットも通じなくなった。そしてもう一つ、消えた存在がある。

2017-12-10 18:05:05
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

大規模災害の被災地域にいた人ならば、経験があるかもしれない。救助の人や組織は到着しないが、メディア関係者が先に現場にいて、メディア関係者から現状や災害の全体状況を教えてもらえることがあるのだ。衛星携帯電話などを使っての連絡が可能だ。

2017-12-10 18:05:34
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

しかし3月12日のうちに、メディア全社が職員への遠距離避難(最低でも福島県浜通りからの撤退)を業務命令として出しているのだ。今日、この番組を放送しているNHKも含めて、だ。だから住民はテレビの官房長官会見以外には、避難情報を知ることができなくなったのだ。

2017-12-10 18:06:23
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

今日の『明日へ つなげよう 証言記録 東日本大震災「福島県川内村」』の放送は、NHKの放送としては、住民に伝えず、報道機関だけが先に避難したことに関して、間接的ではあるけれど初めて認めた番組かもしれない。「原発事故避難の最前線」には、専門家も報道陣もいなかったのだ。

2017-12-10 18:06:55