佐藤正美Tweet_20171116_30

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佐藤正美 @satou_masami

自分の「宿命・可能性・欲望」を社会のなかで「自分で」発見しようと努めることは、とても難しい。「自分で」という意味は、当然ながら、「自分の感性・思考で」ということであって、とりもなおさず、「自分の言葉で」ということになる。とどのとまり、「自分の文体」で述べるということになる。

2017-11-18 13:10:42
佐藤正美 @satou_masami

「個性」を示すことは それほど難しいことじゃない―― idea と belief があれば充分ですが――、しかし、自分の「文体」を表すということは、とても難しい。しかも、詩的精神を宿した「文体というのは、プロフェッショナルな作家にしか作れないでしょう。

2017-11-18 13:14:16
佐藤正美 @satou_masami

そして、詩的精神は、だれでもが持っているという訳じゃない。「還(かへ)らぬ昔、知らぬ行末」(宿命・可能性)のはざまで翻弄された詩的精神が「文体」を持ったとき、文学が生れるのでしょうね。

2017-11-18 13:17:08
佐藤正美 @satou_masami

憂鬱を覚えない「文学青年」などいないでしょう。もし、いたとしたら、阿房にちがいない。なぜなら、社会や人生を真摯に見据えて憂鬱を覚えないような感性は、およそ、文学の精神にそぐわないので。

2017-11-18 13:19:12
佐藤正美 @satou_masami

社会・人生を高階から見下ろして嘲笑するのが文学精神ではないのであって、社会・人生のなかで感じたことを機縁にして、社会・人生とはべつの世界――「美」の世界――を作るのが文学精神であって、しかも、その「美」を作るためには、作家は「文体」を持たなければならない。

2017-11-18 13:23:00
佐藤正美 @satou_masami

そういう世界(「美」の世界)を構成しようと夢みて、作家になるほどの ちから のなかった「文学青年」たるや いっそう惨めでしょう。「仕方がないから一種嫌な種類の汗をかいて黙っている。これはかなり憂鬱な事である」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。それが今の私です。

2017-11-18 13:26:19
佐藤正美 @satou_masami

しかし、そういう惨めな「文学青年」でも、懸命に思考しています。なぜなら、思考を促す感性を じぶんの意志では止めることができないので。そして、思考が勝手に走るというのは、辛い。溢れる思考を じぶんでコントロールできないので辛くて、ただただ縮こまって(しゃがんで)震えている。

2017-11-18 13:29:36
佐藤正美 @satou_masami

思考を促す感性を止めることができたならば、、、楽だろうに。どうして、こういう性質 [ 感性過多 ] になってしまったのか、、、。

2017-11-18 13:31:17
佐藤正美 @satou_masami

じぶんが住みたい世界が向こう側にあって、そこに辿りゆく ちから がないので、ここに止まらざるを得ない――「自分の凡庸がしみじみと腹に這入った」「俺は今恐ろしく月並みな嘆きのただ中にある」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-11-18 13:35:17
佐藤正美 @satou_masami

「俺の持っている鏡は無暗と映りがよすぎる事を発見した時、鏡は既に本来の面目を紛失していた。(略)以来すべての形は迅速に映った、俺になんの相談もなく映し出される形を、俺はまたなんの理由もなく眺めなければならなかった」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-11-25 15:22:24
佐藤正美 @satou_masami

「作家」(あるいは、「文学青年」)を名のるのであれば、かならず、この鏡を じぶんのなかに持っているはずです。そして、鏡に映る像を人は意識して止めることができない。この鏡に悩まされない「文学青年」はいないはずです。しかも、この鏡は、「愚かしい俺の顔」をいつも映している。

2017-11-25 15:27:04
佐藤正美 @satou_masami

「夢は完全に現実と交錯して、俺は自分のする事にも他人の言う事にも信用が置けなかった。この世に生きるとは咽(む)せかえる雑沓(ざつとう)を掻(か)き分けるようなものだ。しかも俺を後から押すものは赤の他人であった」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-11-25 15:31:46
佐藤正美 @satou_masami

「自分をつつき廻した揚句(あげく)が、自分を痛めつけているのかそれとも労(いたわ)っているのかけじめもつかなくなっているこの俺に、探るような眼を向けたところでなんの益がある。俺が探り当てた残骸を探り当てて一体なんの益がある」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-11-25 15:35:33
佐藤正美 @satou_masami

感性が写した物に対して思考が反応する。そして、くたびれるまで考える。頭脳のなかで思考(反応のパルス)がいかほど烈しく走っても、思考は言葉という入れ物に託さなければ、感性の写した物を形にすることができない。言語のもどかしさ(正確さの欠如)を感じない「文学青年」はいないでしょう。

2017-11-25 15:38:49
佐藤正美 @satou_masami

「俺は今でもそうである。俺の言動の端くれを取りあげて(言動ともすべて端くれ的である)、俺について何か意見をでっち上げようとかかる人を見るごとに、名状しがたい嫌悪に襲われる」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-11-25 15:41:36
佐藤正美 @satou_masami

感性に誠実であることしか私には生きかたがわからない――というか、「そう強いられていた」。およそ「文学青年」を名のる人であれば、そう感じているでしょう。しかし、その感性が私を苦しめる。感性を意識的に止めることができれば、いかほどに安らげることか、、、。

2017-11-25 15:45:06
佐藤正美 @satou_masami

「俺は懸命に何かを忍んでいる、だが何を忍んでいるのか決してわからない。極度の注意を払っている。だが何に対して払っているのか決してわからない。君にこの困憊(こんぱい)がわかってもらえるだろうか」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-11-25 15:49:11
佐藤正美 @satou_masami

「言うまでもなく俺は自殺のまわりをうろついていた。このような世紀に生れ、夢みる事の速かな若年期に、一っぺんも自殺をはかった事のないような人は、よほど幸福な月日の下に生れた人じゃないかと俺は思う」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-11-25 15:52:38
佐藤正美 @satou_masami

「自殺失敗談くらい馬鹿々々しい話はないからだ、夢物語が馬鹿人々々しいように。力んでいるのは当人だけだ。大体話が他人に伝えるにはあんまりこみ入りすぎているというよりむしろ現に生きているじゃないか、現に夢から覚めているじゃないかというその事が既に飛んでもな不器用だのだ」(小林秀雄)。

2017-11-25 15:56:49
佐藤正美 @satou_masami

「自殺してしまった人間というものはあったが、自殺しようと思っている人間とは自体意味をなさぬ、と。(略)凡そ明瞭な苦痛のために自殺する事は出来ない。繰返さざるを得ない名づけようもない無意味な努力の累積から来る単調に堪えられないで死ぬのだ」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-11-25 16:00:05
佐藤正美 @satou_masami

一人の男と一人の女が真摯に愛しあったという具体的な・特殊な関係を そのままにして過去のなかに置いてきたほうが相応(ふさわ)しい。そして、その体験は、私の人生のなかで確実に時空を占めたのだから、「私」(私の運命 [ すなわち、性質 ] )のいちぶになっているのも事実でしょう。

2017-11-30 01:25:10
佐藤正美 @satou_masami

恋愛が馬鹿々々しいようなことを言うヤツを私は信用しない。そして、また、じぶんの恋愛を饒舌に語るヤツも私は信用しない。

2017-11-30 01:27:04
佐藤正美 @satou_masami

私の一番に好きな恋歌は、西行法師の和歌です――「はるかなる岩のはざまにひとりゐて人目思はでもの思はばや」(新古今集巻12・恋歌二・1099番 西行法師)。脱俗僧形の堅忍を感じます。こういう歌は定家でも詠えないでしょう。

2017-11-30 01:32:11
佐藤正美 @satou_masami

「要するに過ぎてしまった事だ、ふとそう思うだけで俺は自分の過去を語る事が どうにも不可能のように思われて来る。俺のして来た経験の語り難い部分だけが、今の俺の肉体の何処かで生きている、そう思っただけで心は一杯になっていまうのだ」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-11-30 02:00:47