上昇思考より上達思考、ものしりより究極

尽きせぬ学習意欲の刺激のしかたは、上達思考と究極ではないか。
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shinshinohara @ShinShinohara

「上昇思考」より「上達思考」。誰よりも結果を出す、それによって社会的にのしあがる、という思考はどうも疲れる。人との比較、「結果」ばかり追うのは、「他からどう見えるか」という外面ばかり気にしていることを意味する。見栄っ張りは上昇思考でもよいが、普通の人はすぐ息切れする。

2017-12-17 07:36:33
shinshinohara @ShinShinohara

それよりは「上達思考」の方が楽しい。昨日よりも今日、できたことを楽しむことだ。ヘタでも自分で全部作り上げた日曜大工の作品に愛着がわくように、「次はこうしよう」と次の計画でワクワクするように、上達思考は楽しく、意欲を刺激する。他人がどうあろうとあまり関係ない。

2017-12-17 07:42:04
shinshinohara @ShinShinohara

「ものしり」より「究極」。昔、上ざら天秤で重さを量る授業で、全教科100点を採る子が「10g」と書いた紙を乗せる「事件」があった。その子は文字情報の知識をふんだんに持っていたが、体験的知識が欠落していた。ものしりではあったが実体験の欠落した状態だった。

2017-12-17 07:45:35
shinshinohara @ShinShinohara

ある学生は優秀な成績で旧帝大の工学部に進学。しかしトンカチをもったことがなく、自分で研究用資材を仕上げるという課題をこなせず、悩んだ末に大学に来なくなってしまった。この学生も文字情報の上ではものしりだったが、実体験が欠如していた。残念ながらそれではものの役に立たない。

2017-12-17 07:49:05
shinshinohara @ShinShinohara

それよりは「もの・現象をしゃぶり尽くす」という「究極思考」の方が望ましい。時計やストーブ、ラジカセ等の機械を分解してみる、石ころを飽かず眺める、花の構造をしゃぶり尽くすように眺める。ものの名前は知らなくて構わない。目の前にしたものをしゃぶり尽くす「究極」を楽しめばよい。

2017-12-17 07:52:21
shinshinohara @ShinShinohara

子どもは放っておけば「究極」を楽しむ。興味をもったものは、あの手この手で「実験」し、様子を注意深く観察する。観察から気づいたことをまた試す。子どもは納得いくまで目の前の現象をしゃぶり尽くすのだ。そうして実体験を積み、世界を知ることの意欲(好奇心)を持ち続ける。

2017-12-17 07:55:06
shinshinohara @ShinShinohara

「ものしり」はしばしば、実体験の充実を邪魔する。成績優秀な私立中学生、紫キャベツの色素の名前が「アントシアニン」であることを自慢げに口にしたが、そこで興味が止まっていた。同級生より「ものしり」であることに満足し、そこで知的好奇心が停止していたのだ。

2017-12-17 08:00:42
shinshinohara @ShinShinohara

私は、アントシアニンの名前なんか知らなくていいから、紫キャベツだけでなく、色とりどりの花びらで遊んでほしい。それらをすりつぶした液体が、酢や重曹で色を変える実験を試してほしい。混ぜるとどうなるか、酸やアルカリ以外のものを混ぜるとどうなるか。「実験」は無限に好奇心を刺激する。

2017-12-17 08:02:50
shinshinohara @ShinShinohara

教科書に「正解」を求めるのではなく、目の前の現象に体当たりした方が楽しい。すると、教科書からは得られない「ニュアンス」があることを知る。また、教科書にはすべてが書かれているのではなく、ごく一部の現象しか書き留めていないことに気がつく。「誰も知らないこと」に気づけた興奮。

2017-12-17 08:05:01
shinshinohara @ShinShinohara

「上昇思考」よりも「上達思考」、「ものしり」よりも「究極」。学習意欲を刺激し、人それぞれにどこまでも知識と能力を開発し続ける思考は、その二つではないか。

2017-12-17 08:06:42