佐藤正美Tweet_20171216_31

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佐藤正美 @satou_masami

「誰も彼もが歴史の波に流される、しかし誰も彼も自分の浮力は守っているものだ」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-12-17 13:37:59
佐藤正美 @satou_masami

「個人主義という思想を俺は信用しない、凡その明瞭が思想というものが信用できないように。だが各人がそれぞれの経験に固着した他人には充分に伝え難い主義を抱いているという事は、信じる信じないの問題ではない、個人の現実的状態だ」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-12-17 13:41:47
佐藤正美 @satou_masami

「俺はこの世界の存在をあるいは価値を聊(いささ)かも疑ってはいない、というのはこの世界を信じた方がいいのか、疑った方がいいのか、そんな場所に果てしなく重ね上げられる人間認識上の論議になんの興味も湧かないからだ」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-12-17 13:45:37
佐藤正美 @satou_masami

「この世界を多少信じている人と多少信じていない人が事実上のっぴきならない生き方をしている。丁度或るのっぴきならない一つの顔があると思えば、直ぐ隣りにまた改変し難い一つの顔があるようなものだ。俺はこれ以上魅惑的な風景に出会う事が出来ないし想像する事も出来ない」(小林秀雄)。

2017-12-17 13:49:17
佐藤正美 @satou_masami

他人(ひと)には「絶対に」伝えきれない思いは、かならず、存在する――ことば で じぶんの思いを すべて 伝えることができるはずもない。それでも、われわれは、じぶんの思いを なんとかして「正確に」伝えたいと望んで、ことば を使う。

2017-12-17 13:56:15
佐藤正美 @satou_masami

ひとつの「思想」が その臨界点で、どのような ことば(表現)を使ったかという点に私は興味を抱いています。

2017-12-17 13:57:37
佐藤正美 @satou_masami

科学の「説」について謂えば、われわれが研究家でないのであれば、「説」が真かどうかを証明する責務を負っている訳じゃないのであって、「説」を「形ある」状態にすること、すなわち、「説」を じぶんの生活のなかで適用して、なんらかのアウトプットを産むことにこそ価値がある、と。

2017-12-17 14:01:29
佐藤正美 @satou_masami

文学・哲学の「思想」について謂えば、科学の証明に対応するのが その「思想」を立てた ひとの生きかたであって、われわれが、その「思想」を信じる(あるいは、信じない)理由は、その ひとの身証になっているかを判断しているのではないかしら。

2017-12-17 14:05:11
佐藤正美 @satou_masami

あるいは、じぶんの生きかたに照らして、その「思想」の信憑性を判断しているのではないかしら。

2017-12-17 14:06:47
佐藤正美 @satou_masami

「思想」そのものに良し悪しはないのであって、その「思想」の良し悪しは、その「思想」が実際に適用されたときの帰結状態――じぶん(あるいは、「社会」)に及ぼす影響(今の状態を他の状態に変える作用)――を推測して、われわれは良し悪しを判断しているのではないかしら。

2017-12-17 14:10:22
佐藤正美 @satou_masami

「My thought is me: that is why I can't stop. I exist by what I think...and I can't prevent myself from thinking.」(サルトル、「Nausea」)。

2017-12-17 14:17:56
佐藤正美 @satou_masami

或る「思想」を「理解」するために、読み手はじぶんの「思想」(すなわち、じぶんの知識・体験)と対比して判断する。しかし、複数のひとたちが、同じ知識・体験を持っているはずがない。おのおの べつべつの人生を歩いてきたのだから。似ている顔はあっても同じ顔はない。

2017-12-31 16:59:55
佐藤正美 @satou_masami

私は、思想の「解釈」に興味がない。なぜなら、私は否応なしに私の知識・体験で「解釈」するしかないので。私の興味は、或るひとが「思想」を述べるにあたって、その「思想」に収め切れなかった――言い換えれば、ことばで表現し切れなかった――「呻き」を聴きたいのです。

2017-12-31 17:04:17
佐藤正美 @satou_masami

そのひとが対象に真摯に立ち向かって終(つい)にぶつかった臨界点で、どのような ことば(表現)を使ったのかという点が私の興味を惹くのです。というのは、その点(臨界点で使われた ことば)にこそ、そのひとの洩らした「呻き」を聴くことができるにちがいないから。

2017-12-31 17:07:32
佐藤正美 @satou_masami

「俺はすべての強力な思想家の表現のうちに、しばしば、人の思索はもうこれ以上登る事が出来まいと思われるような頂をみつける。この頂を持っていない思想家は俺には読むに堪えない」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-12-31 17:10:33
佐藤正美 @satou_masami

「正確を目指して遂に言語表現の危機に面接するとは、あらゆる執拗(しつよう)な理論家の歩む道ではないか」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-12-31 17:12:55
佐藤正美 @satou_masami

「卓抜な思想ほど消え易い、この不幸な逆説は真実である。消え易い部分だけが、思想が幾度となく生れ変る所以を秘めている」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-12-31 17:15:00
佐藤正美 @satou_masami

「この世に思想というものはない。人々がこれに食い入る度合だけがあるのだ」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-12-31 17:16:10
佐藤正美 @satou_masami

或るひとの「思想」(「思想」という ことば を使うのが嫌なら、「思い」と言ってもいいでしょう)と対面して、そのひとの「呻き」を聴くのであれば、「1対1」の対面しかないだろうし、そのひとの「思い」は「手の中(うち)の菓(このみ)を人に与ふる如くに非ず」(色道小鏡)。

2017-12-31 17:19:40
佐藤正美 @satou_masami

「そこらにころがっている物指(ものさし)を拾い上げて他人を計るのは私はもっとも失敬な事だと信じている」(小林秀雄、「アシルと亀の子」)

2017-12-31 17:22:02
佐藤正美 @satou_masami

「本当の思想史とは一体何を意味するのか。これは俺を苦しめる大きな疑問の一つである凡そ真の思想とは本能に酷似している。これを感得する時は驚くほど簡明だが、これを説明しようと思えば忽ち無暗な迷宮と変するものではあるまいかと」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-12-31 17:28:07
佐藤正美 @satou_masami

「大衆はその感情の要求に従って、その棲む時代の優秀な思想家の思想を読みとる。だから彼らはこれに動かされるというよりむしろ自ら動くために、これを狡猾に利用するのだ。だから思想史とは実は大衆の手によって変形された思想史に過ぎぬ」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-12-31 17:32:03
佐藤正美 @satou_masami

「どんな個人でも、この世にその足跡を残そうと思えば、何らかの意味で自分の生きている社会の協賛を経なければならない。言い代えれば社会に負けなければならぬ。社会は常に個人に勝つ。思想史とは社会の個人に対する戦勝史に他ならぬ」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

2017-12-31 17:37:10
佐藤正美 @satou_masami

ウィトゲンシュタイン氏やゲーデル氏の説を学習して、「思想史」のなかで まとめられている彼らの説と彼らの原典とのあいだには、埋めがたい「堀」があることを私は つぶさに観てきました。その「堀」は、彼らの説を利用したいと考える「大衆の手によって」作られた。

2017-12-31 17:40:36
佐藤正美 @satou_masami

「『犬は何故しっぽを振るのかね』『しっぽは犬を振れないからさ』。この一笑話は深刻である」(小林秀雄)――社会を変えた思想であっても、実は、社会が利用した思想なのでしょうね。

2017-12-31 17:43:29