ああ、これは歴史的にほんとのこと >「小説と云うものは、本来、女子供の読むもので、いわゆる利口な大人が目の色を変えて読み、しかもその読後感を卓を叩いて論じ合うと云うような性質のものではないのであります。」
2011-04-03 09:15:54中国語の先生が「小説(xiexiao)好きですか?」ってきいてきて「はい、すきです」って答えたら「わたしもすきです」ってなにか後ろめたい秘密のものを分け合うような雰囲気かもしてたよ。あの世代は文革の記憶とかもあったからかな
2011-04-03 09:17:21あと、昔は文法とかなかったので物語本を言葉の教科書にしてつかうってことがあったみたい。「ホメロス」「イリアス」「オデュッセイア」なんかはそういうの
2011-04-03 09:19:17芥川賞がほしかった。“@m_um_u: 太宰は自身で「自分のものは小説ぐらいのもの」っていってるんだから文学って持ち上げなくていいじゃんね”
2011-04-03 09:30:45@m_um_u ああ、では文学ってのは「いわゆる利口な大人が目の色を変えて読み、しかもその読後感を卓を叩いて論じ合うと云うような性質のもの」なのか。そうか…。
2011-04-03 09:41:29@jinon 小説の文法教本としての役割は想像の共同体とか嫁 たぶんでとるだろ (ナショナリズムも興味あるんだろし) 文学の方は、自分なりの見方があるけど長くなるので割愛(きちんと方法がある)
2011-04-03 09:44:29@m_um_u ふーん、文学をやるのに方法があるってことで、それに乗っ取ってやるのが文学ってことか? ようわからんが、長いもの書いたら教えてくれ。想像の共同体はおもしろそうなのでいつか読む。
2011-04-03 09:46:40@jinon んー いってもいいけど保坂和志の小説についての文章よむといいかも。オレはそれとはまたちょっと違うんだけど、彼も小説を相対化しつつ方法としての文学を模索してるので
2011-04-03 09:48:13@m_um_u やや盲信的に漢籍は正しく完璧で高級なものと捉えられていた時代の話よね。フィクションは基本的に女手(おんなで)なんだと思われます。ジェンダー的な背景を取り払ったプレーンな文法はありうるのかは、よく分かりません。
2011-04-03 09:48:16@pigo468 漢籍が高級とか権威とされていたのは中国との関係からですね。もともと中国のほうがえらいしテクノロジーあるし。 まぁ、宮廷用フィクションはたしかにそんなのですが、道行の人たちの語りはまた別です。琵琶法師など
2011-04-03 09:49:59