追悼 西部邁~その人生と思想とは
- gryphonjapan
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西部邁さんの話は、すごくわかりやすかった。 保守という立場なのに、どうしょうもない保守にも厳しく意見する人だった。 自分で自分の死は選ぶ。 そう口にしていたのが本当だったのだとすれば。 なんだか、色々と考え込んでしまう。 fb.me/7op6sQJMm
2018-01-22 02:49:55@odg1967 そもそも「保守主義」は、「何か」を(目的として)保守するんじゃなく、政策解決の”方法として”守ることにも価値を見出すスタンスです。 欠点だけあげつらって「ほーらこんなに悪い、だから変えましょう」というのは簡単ですからね。
2018-01-22 01:12:34@odg1967 ただしodgさんとは違い意味で、西部にも思想的・世代的限界はあったと考えています。一応自分の連ツイ引用しておきます。 twitter.com/AliciaDeLa6cha…
2018-01-22 01:14:21西部邁の思想的限界は、言葉を重視するわりに「保守主義」が「Conservatism」の単純な置き換えで、日本語の「保守」とどう馴染ませるか提示できなかったところ。(その僕なりのアイディアは<手段としての保守><目的としての保守>というのを提示したことがあります)→
2018-01-21 17:48:09→西部邁の世代的限界は、思想からちょっとでも政策論に降りてくると「反米」=アメリカに対してどうであるか、という問題設定から逃れられなかったこと。だが彼のスタンスでは米の愚痴を言ってるだけで、本当に米を乗り越えることはできない。→
2018-01-21 17:56:51リベラルやポストモダンに違和感を感じていた僕が、保守思想に入るきっかけは、MXの立川談志の「言いたい放題」という番組でよく西部邁がゲストに出てきて、何となく彼のこの本を読んだことでした。漠たる疑問にはっきり言葉で答えてもらえた気がした。「知性の構造」西部邁 amazon.co.jp/dp/4758430144/…
2018-01-21 16:52:15西部邁の思想的限界は、言葉を重視するわりに「保守主義」が「Conservatism」の単純な置き換えで、日本語の「保守」とどう馴染ませるか提示できなかったところ。(その僕なりのアイディアは<手段としての保守><目的としての保守>というのを提示したことがあります)→
2018-01-21 17:48:09→僕とほぼ同世代の宇野常寛が、敗戦のルサンチマンとしての左右の反米を批判し、勿論従米ではなく、本当に米を乗り越えることを考えなければならないという視点を出していて、彼はリベラルなんだけど全く共感する視点でもしや世代の問題なのかもと思い始めた。やはり21世紀を作るのは若い世代だと。
2018-01-21 17:59:49その後勉強するにつれ、西部邁とは意見が異なる部分も出てきましたが、間違いなく影響は受けています。彼にも思想的・世代的限界はあります。今回のことは残念ですが、日本の保守思想はまだ十分練られていないので、感謝しつつも縛られず前進させていくことが、漸進的な保守主義に最も適うことでしょう
2018-01-21 16:59:28西部邁の自殺に触れて東大辞任のきっかけとなった事件のwikiを見たけど、見田宗介って意外とこういうことに絡む人なんだな。勝手にゴタゴタには関わろうとしない人なイメージがあった。
2018-01-22 02:50:12小田実と西部邁のいた頃の朝生が、というか二人が大好きだった。思想は違うし癖は凄く強いのに品があってさ。合掌 @HuffPostJapan: 【New】 亡くなった西部さんは12月に出した新著で「病院死を選びたくない」と綴っていました huffp.st/aPZk23N
2018-01-22 02:50:31僕はここ何年も投票に行っていない。どうせ何も変わらないから投票はしないは論外だと思うが、僕は政治に関心がないのではなく選挙制度自体に懐疑的だからである。しかしそれを声高に言えない空気感がある。「投票しないのなら批判する権利はない」「国民の義務を果たさないのはどうなの?」など言われ
2018-01-22 02:53:06たこともあるがそれでも思うところがあり行かない。何も考えず気分で入れる人よりよっぽどましだと思っている。しかし後ろめたい気持ちがあったのも事実。本当に正しいのだろうかと。先ほど西部邁さんがこの記事で選挙に行っていないと読んで勇気づけられた。dot.asahi.com/aera/201712130… #西部邁
2018-01-22 02:53:07西部邁さんが亡くなった。 ある人との対談を楽しみにしていたが、まさに「世間の望むような見世物には なってやるもんか」といういかにも先生らしいなれゆきだと思う。 大好きな歌の歌詞を思い出す。 「何故と、言葉で君は求める 僕が差し出せるのは命だけだ 言葉はなんてなんて弱いんだろう」
2018-01-22 02:53:27@habana1000 晩年についてはわかりませんが、過去に「なで切りにして遊んで」らした時期はあったように思います。
2018-01-22 02:53:40昔、H氏に連れられて映画を見に行った。西部邁が出てきた。集会で演説しなければならなくなった時、「どもりが水を得た」これが自分の道だと思ったという。そんな時があるだろうか。あの人の書いたものを読んでいいなと思ったことはないが名前を見かけると文に目を通している。asahi.com/articles/ASL1P…
2018-01-22 02:57:22私は、 #西部邁 の #ニーチェ に由来する戦争肯定をも含む、 #タナトス に至る極端な生命主義、限界状況に直面して生命が炸裂する瞬間に至上の幸福と見做す考え方に、警戒すべき危険な兆候を見出す。それは現実の悲惨さを捨象したロマンティシズムではないのか。
2018-01-22 02:57:24西部邁の死をうけて彼の保守・右翼としての「業績」を過大・華美に評価する動きが観察されるが、西部邁は日本を右翼・ネトウヨだらけにした張本人の一人。彼の何を評価するというのか、全く意味が分からん。
2018-01-22 02:59:30西部邁氏が多摩川への入水自殺を図り、自裁死を遂げたとの由。昨年末に出た最期の書『保守の真髄』では、頸椎磨滅と腱鞘炎からくる神経痛で書記が一切できなくなり、娘が口述筆記を行った旨が記されているが、彼にとって「自分で書けなくなった」というのは決断に至る大きな要因だったものと思う。
2018-01-22 03:01:10実を言うと、西部邁氏は、10代終わりから20代前半にかけて最も思想的影響を受けた日本の知識人だった。戦後日本の大衆民主主義社会に公然と反旗を翻し、「保守的懐疑」の重要性を説くその主張は、支配的な価値観や常識なるものに対する私自身の向き合い方に少なからず影響を与えているといってよい。
2018-01-22 03:01:10もっとも、その後にバークやヒューム、ハイエクなどの西欧の哲学者・思想家らの文献に直接触れるようになり、自分自身の学習が進むにつれて、西部氏から学んだ「懐疑」が彼自身の思想にも向けられるようになったことで、徐々に離れていくことに繋がったのは皮肉といえば皮肉でもある。
2018-01-22 03:01:11長年の読者としては、以前から病院死を拒否する姿勢を明確にしていた彼が短銃の入手に数回失敗していたこと、入水自殺にも10年以上前から言及していたことなどから、自裁死を選んだことに驚きは感じなかったけれど、今回の有言実行は思想家としての矜恃を示したと思う。不謹慎だが、天晴れだと思った。
2018-01-22 03:01:11彼の著作を一点だけ挙げるとすれば、個人的には、やはり『大衆への反逆』(1983年)が印象に残っている。時間ができたら、今度ゆっくり読みなおそうと思うが、追悼の意を込めて、今夜は好きな一節を引用しておきたい。
2018-01-22 03:01:11「自分の知ることがいかに少ないかを知ることに対する、つまり“無知の知”に対する傍若無人な無知が大衆人を野蛮にする。この野蛮さは、富や権威や威信やの分け前が増大しているうちは潜在したままであったが、これからはそうはいかない。万(大衆)人の万(大衆)人に対する戦いが既に始まっている。」
2018-01-22 03:01:11