曲亭(滝沢)馬琴の生涯をまとめてみた

『南総里見八犬伝』で有名な曲亭(滝沢)馬琴の生涯を訪れた写真とパブリックドメインの画像でまとめてみました。
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ℳ.日本史と近代史◇歴女と呼ばないで @MoeK20060408

馬琴の孫の太郎は祖父と同じ「興邦」を名乗りますが、馬琴の死の翌年の1849年(嘉永2年)に亡くなり、滝沢家は男系はは絶えてしまいました。 長女・幸に婿として清右衛門を迎えて分家した飯田町滝沢家も男子に恵まれませんでした。

2018-01-28 23:26:51
ℳ.日本史と近代史◇歴女と呼ばないで @MoeK20060408

興継・みち夫妻の長女・次と次女・幸の娘・橘が養女として迎えられ、婿を取って滝沢家を継ぎました。橘の子が日本画家の滝沢邦行(静雄、1888年 ~1964年)で、馬琴から見ると玄孫に当たるそうです。

2018-01-28 23:26:51
ℳ.日本史と近代史◇歴女と呼ばないで @MoeK20060408

東京都新宿区霞ヶ丘町。JR信濃町駅を出てほど近い街の一角には「曲亭馬琴終焉の地」の案内板が立っています。 全盲になっても、妻や息子に先立たれても「南総里見八犬伝」を完成させたいという強い思いだけが、晩年の彼を突き動かしていたのかもしれません。 #南総里見八犬伝 #曲亭馬琴 pic.twitter.com/Z2epnOrUVd

2018-01-28 23:26:52
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