「高慢と偏見」は「キャラクター小説」なのか

「高慢と偏見」は「キャラクター小説」なのか。 そもそも「キャラクター小説」とは何を指すのか。 「キャラクター小説」はどのようにつくられるのか。 そんなことを、 @miroungaleoninaと、 続きを読む
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たちばなあざらし @miroungaleonina

(続)つまり、「同人(=話の可能性とキャラクターの可塑性)」による分類をするなら、「同人すら本家の筋書きに回収・吸収されてしまう強いキャラクター」「同人を許容しつつ話の推進力を持つ中程度の強さのキャラクター」「話を推進させず、ただそこにあるだけの、弱いキャラクター」に分類できそう

2011-04-04 00:25:18
たちばなあざらし @miroungaleonina

(続)ひとつ前のツイートにおけるキャラクターの「強さ」は「筋、設定と対照したときの強さ」であって、キャラクターの性格がどれだけ個性的であるか、というわけではない。しかし、筋によって補強される方が、当然、人物造形は深くなるんだと思うけれど。

2011-04-04 00:26:11
たちばなあざらし @miroungaleonina

(続)筋による補強が弱いキャラクターは、何かしら別口の補強を受ける。日常会話だとか、説明だとか、前後のシリーズだとか、膨大に膨れ上がった同人のコンテクストだとか、によって。

2011-04-04 00:27:01
たちばなあざらし @miroungaleonina

(続)話の可塑性と、キャラクターの強さは、たぶん反比例する。キャラクターの可愛さ、既にあるコンテクスト、その他の魅力……によって、キャラクターは拡充・補強され、設定の自由さ、二次創作への寛容さ……によって、話は拡張されていく。たぶん。たぶん。

2011-04-04 00:28:34
たちばなあざらし @miroungaleonina

(続き)そんな感じの分類と、簡単な構造が、「キャラクター小説」の中において、あるような。「いま」強いのは、筋の無い、弱いキャラクター、何かひとつキャラクターそのものに長所があれば、勝手に同人が拡充拡張を行って、キャラクターは一人歩きを始める。

2011-04-04 00:29:43
たちばなあざらし @miroungaleonina

(続)しかし、読者を引きこみ、惹きつけ、離さないのは「話」だったはずが、気づけば「萌え」が「話」を補って離さない位に、読者を捉える力として、働いている?(未検討もいいとこ、このへんはたぶんもっとつっこめる)

2011-04-04 00:33:33
たちばなあざらし @miroungaleonina

(きょうは最後?)、全て「キャラクター小説(ないし、それに類する言葉)」という肩書きのみを与えられているから、混乱するんじゃないか。多分。

2011-04-04 00:33:42
たちばなあざらし @miroungaleonina

ながかった。きょうは、おわり!

2011-04-04 00:33:53
Who are you@冬眠中 @kazaa_suguru

せっかくですので、たちばなさんの見解に感想を書いてみたり。しかし考えまとめるのに時間かかってるな、私。

2011-04-04 01:08:23
Who are you@冬眠中 @kazaa_suguru

なんというか、例えば「禁書」を「キャラ小説」とするなら、キャラが物語に先行する、というのは「自負と偏見」とは違った意味を帯びてくる。

2011-04-04 00:03:17
Who are you@冬眠中 @kazaa_suguru

ここでは人物に対するキャラの付与はその心情だとか内面の描写で行われるものでなく、この人物はこういったキャラなのであるという一種の定義付けによってなされるか。

2011-04-04 00:05:09
Who are you@冬眠中 @kazaa_suguru

続けてみる)人物は描かれる、のではなく、キャラを付与されるもの、とするならばそれは物語に縛られておらず、一種独立した個々として物語に前提(アプリオリ)な存在としてあるのだろうか。

2011-04-04 00:30:09
Who are you@冬眠中 @kazaa_suguru

続)そんな存在が、それぞれの「キャラ」のもつ思考や志向や嗜好のままに動き、ビリヤードの玉のように(あまりいい例えじゃないな)衝突しあい、絡みあい事件を起こしながら「物語」を作っていく。

2011-04-04 00:30:25
Who are you@冬眠中 @kazaa_suguru

続)要は「キャラ小説」を分けるとすると、キャラクターの描写が大きな「物語」によらず独立前提のものとしてある(アプリオリ)か、「物語」に描写されることで表れてくるもの(アポステリオリ)なのか、っていうところかね。

2011-04-04 00:35:15
Who are you@冬眠中 @kazaa_suguru

続?)ビリヤードの例えはどうにも嫌なので別のを。言ってみれば「アプリオリな人物」というのは―シリーズ初期や一巻目はともかくとして―役者なのである。それぞれに実力も容姿も違う役者が、各物語(各巻)の「舞台」で活躍をする。

2011-04-04 00:48:52
Who are you@冬眠中 @kazaa_suguru

続?)それを鑑賞する人々は「役者」の性質や実力を知っており、よってその「役者」がその「舞台」ではどのあたりの役割を負うのかも大体理解している。その上で、「役者」の演技を、活躍を楽しんでいるのだ。

2011-04-04 00:56:50
Who are you@冬眠中 @kazaa_suguru

一般に、キャラの魅力が何かしらのエピソードによって担保されているほど、人物造形は深くなる。これが「話」の魅力。たちばなさんはこれに対するものとして「萌え」を挙げている。これは私も同意する。

2011-04-04 01:20:38
Who are you@冬眠中 @kazaa_suguru

では、「話」の魅力はどこから生まれるか。それは人物の「かけがえのなさ(unique)」からである。どんなにテンプレ風味なキャラであったとしても、その人物が背負う「物語」はその人物を唯一の存在へと引き上げる。

2011-04-04 01:23:44
Who are you@冬眠中 @kazaa_suguru

この場合には、人物へ自己投影をするのでなくその人物そのものを応援する、という現象がみられる。「とらドラ」でいえば、「大河カワイイ、ペロペロシタイヨー、knkknkshsh」でなく(えらい偏見だ)、「大河には高須と幸せになって欲しい」と思ってしまう、という現象。

2011-04-04 01:29:08
Who are you@冬眠中 @kazaa_suguru

対して「萌え」ということになると、これはやはりどうしても「自分」が対象の中に入ってしまう。偏見に満ちた前ツイートはともかくとしても、「萌え」というときには他の男女間の関係を言うのでなくして、「自分に向けられた」関係について言うのではなかろうか。

2011-04-04 01:35:49
Who are you@冬眠中 @kazaa_suguru

と書いてる最中から、百合やバラを考えると、必ずしもそうとは言い切れないか、という疑念がわいてきた。まいいや、続ける。

2011-04-04 01:37:03
Who are you@冬眠中 @kazaa_suguru

「話」に担保されたキャラほど二次創作はやりにくい、というのにも同意。その理由にしても大体同じ。「かけがえのない(unique)」キャラは活躍しづらいものだ。

2011-04-04 01:44:24
Who are you@冬眠中 @kazaa_suguru

先ほど、「キャラ小説」でのキャラは「役者」だ、といったけれど「萌え」では観衆はキャラと一種の疑似的な「共犯」関係を築くのに対して、「話」ではそうでない?(お腹すいた……)

2011-04-04 02:05:25
Who are you@冬眠中 @kazaa_suguru

で、読者を魅了するのが「話」でなく、「萌え」になったというのもアイニウエタゲンダイジンガー、では面白みがないし趣味も悪い。何というか、「自分」が物語の中に入っていく、という楽しみのため、だろうかな(自信ない)

2011-04-04 02:01:25
Who are you@冬眠中 @kazaa_suguru

「話」はすでに行われた演劇をDVDで見るようなものであって、それは単に鑑賞するだけのもの。対して、「萌え」は実際の舞台で役者と同じ場同じ空気を共有した上で物語を紡いでいく。ようなイメージ?

2011-04-04 02:09:00