ポル・ポトが心酔したのは毛沢東思想というより文化大革命

〇ここがポイントなんですが、そういうわけで、ポル・ポトが飽くまで求めたのは、おのれが描いたユートピアなんです。 〇日本の現在(ちなみにまとめ人のスタンスとしてはネトウヨとリベラルにはなんの差もないの)と重なる
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小菅 信子 Nobuko M KOSUGE @nobuko_kosuge

ポル・ポトという呼び名は「同志第一号/ブラザー・ナンバー・ワン)という意味です。本名はサロト・サル。自分が知的エリートなわけですから、知的エリートたちの「恐ろしさ」をよく熟知していたと言えます。かたはしから殺したり拷問死させたりします。さらに親子の間でさえ密告を奨励。

2018-02-16 18:53:36
小菅 信子 Nobuko M KOSUGE @nobuko_kosuge

ここがポイントなんですが、そういうわけで、ポル・ポトが飽くまで求めたのは、おのれが描いたユートピアなんです。

2018-02-16 18:55:11
小菅 信子 Nobuko M KOSUGE @nobuko_kosuge

ポル・ポトの興味深いところは、他の虐殺者とは違って、顔を見せなかったことです。自分の顔をプロパガンダには使わなかったんですよね。しかし自分(たち)のやったことについては、もちろん徹底的に隠蔽しました。 twitter.com/nobuko_kosuge/…

2018-02-16 18:59:46
小菅 信子 Nobuko M KOSUGE @nobuko_kosuge

人間のために理想があるわけで、誰かの理想のために人間がいるんじゃない、という無惨な事例。<<<

2018-02-16 19:04:26
小菅 信子 Nobuko M KOSUGE @nobuko_kosuge

(私は10年くらい前に、米国で出版された「冷戦百科事典」的なものに、「クメール・ルージュ」の項目を寄稿してます、が、それ以降はあまり知識のアップデートはしてません。学者間でも論争的な部分があり、対ポル・ポト派裁判もうやむやなままです。)

2018-02-16 19:14:25
小菅 信子 Nobuko M KOSUGE @nobuko_kosuge

最後に。なぜ「特異な官僚主義」という評価をしたかについて。クメール・ルージュはいわゆる政治犯収容所(例:S-21)で、収容者の拷問前の写真と拷問死させた後の無惨な写真をファイリングしてます。淡々と。

2018-02-16 19:20:51
リンク www.giuseppetangorra.com CAMBOGIA - S21, omaggio alla memoria e fascino dell'orrore! Avevo deciso di non pubblicare mai queste immagini così forti, ma NO, non è giusto! molta gente purtroppo non sa di quel che è successo in Cambogia. Si parla solo di nazismo e campi di concentramento nazisti ma quel che è successo in questa splendida terr
小菅 信子 Nobuko M KOSUGE @nobuko_kosuge

生きている時の証明写真と、拷問死の証明写真と。顔が腫れ上がり頭が吹っ飛び、からだがへし折れているような写真です。 拷問室へ連れて行かれる、赤子を抱いている若い母親の写真は、「カンボジアのピエタ」と呼ばれています。 twitter.com/nobuko_kosuge/…

2018-02-16 19:24:30
こうず @kouzu

『帰ってきたヒトラー』に続き『帰ってきたムッソリーニ』が登場したことで「日本だったら誰が帰ってくるか」が近代史クラスタの間で盛り上がってるけど全然一人に絞れない辺り、戦争責任の所在の曖昧さとかの問題じゃなく、帰ってきたらヤバいやつが多すぎるだけなんじゃないかという気がしてきた

2018-02-15 21:50:24
済州島みかん @99mina_jeju

共産主義というと、すぐポル・ポト政権が槍玉に上がるけど、あの政権は共産主義を標榜しながら国王を元首に推戴した意味不明な政体なんだよ。 また、カンボジア国王を生かすよう圧力をかけたのは中国共産党で、王政復古は隣国のベトナム人民軍の干渉を端緒に実現した。冷戦思考は上滑りするだけだよ。

2018-02-16 15:51:33
小菅 信子 Nobuko M KOSUGE @nobuko_kosuge

ユートピアへの障害物、裏切り者とみなした人物には、何でもできたんです。顔がひしゃげているような拷問死写真を淡々と扱ったのが、ポル・ポト派です。

2018-02-16 19:27:31
じこぼう @kinkuma0327

関東大震災直後の朝鮮人虐殺だけでなく、ルワンダ虐殺、ポル・ポト派の虐殺などの事件は、あらゆるところで起きている。いつの時代でも、どこでも起こりうることだ、という認識を持っていないと、「我々の社会にそんな警句を発するのは、我々に対する差別だ」みたいな的外れなことを言い出してしまう。

2018-02-17 12:17:35

キリング・フィールド
キリング・フィールド(クメール語: វាលពិឃាត - viel pi-kʰiet、英語: Killing Fields)は、ポル・ポト政権下のカンボジアで、大量虐殺が行われた刑場跡の俗称。

クメール・ルージュの秘密警察である「サンテバル(英語版)」[1]は、知識人・伝統文化継承者・教師・宗教関係者などを反革命的な者と見なして次々と殺害した。後には、クメール・ルージュの地方機関や事業所の幹部までもが反乱の恐れ有りとして殺害されていった。

これら多数のカンボジア人が殺害された刑場が、現在のカンボジア各地で「キリング・フィールド」と呼ばれている場所である。最も有名な物は、首都プノンペンにあった政治犯収容所S21(トゥール・スレン)に付属する刑場として造られた、チュンエク(英語版)のキリングフィールド(写真)である。
キリング・フィールド (映画)
『キリング・フィールド』(The Killing Fields)は、1984年制作の英国映画。ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグ(Sydney Schanberg)の体験に基づく実話を映画化したもの。1984年のアカデミー賞において、助演男優賞・編集賞・撮影賞の3部門受賞。

クメール・ルージュ特別法廷
「カンボジア特別法廷」も参照

自国民大虐殺、人道に対する罪などで元指導者達を裁く裁判(クメール・ルージュ裁判)は、国際連合をはじめとする国際社会の働きかけがある一方で、2006年7月3日に開始されるまで引き延ばされてきた[41]。この間、ポル・ポトが1998年に、タ・モク元軍参謀長・最高司令官が2006年に死亡するなどし、また存命中の指導者の高齢化も進みつつある。若いカンボジア人の多くは、30年近く前に起きた暗黒の歴史には無知のままである。

起訴、審理ともにカンボジア人と外国人の司法官が共同でおこなうが、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷などとは違って、当事者による裁判官の指名を認めるなど、「国際水準なみの国内法廷」という独特の法廷に関する国際連合の関与は限定されている。二審制であり、最高刑は終身刑である。日本は、運営予算5600万ドルのうち2160万ドルを拠出している。

訴追対象者は、ヌオン・チア元人民代表議会議長やイエン・サリ元副首相ら5-10人の元最高幹部らが訴追される可能性が高いとされている。しかし、現政権はこれらの訴追対象者と司法取引を行い恩赦を与えているなど、この訴追に消極的であることが批判を受けている[42][43]。

訴追対象者も「自分は虐殺はしていない」などと強弁し、イエン・サリの妻のイエン・チリトに至っては検察官に暴言を吐くなど、自分の罪に対する反省の色が見られない。

2010年7月26日、カン・ケク・イウS21収容所元所長に対して一審では禁錮35年(求刑禁錮40年)判決を言い渡したが、2012年2月3日の上訴審判決で一審の禁錮35年を破棄して最高刑の終身刑を言い渡した。政権内部の人間を死刑に処することは、ついにできなかった