願立剣術物語の引用、解説

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石部統久 @mototchen

服部孫四郎「願立剣術物語 全」 (八戸市立図書館「八戸南部家文書」所蔵) geocities.jp/bokuden_1969/A…

2018-03-15 20:02:37
甲野善紀 @shouseikan

その私の気持ちを一新させた、私がこの『願立剣術物語』の中でも昔から特に気になっていて、ほぼ全文記憶している47段目を、ここに紹介しておきたい。

2018-03-14 15:57:39
甲野善紀 @shouseikan

「中央と言う事有り。心の中央也。右へもよらず左へもよらず、上へも下へも付かず、本より敵にも付かず、太刀にもたれず十方を放れて心の中道を行く事也。像有る処を計るは心の中道にてはなし。敵味方の間太刀を打ち合わする間也。⇒

2018-03-14 15:57:55
甲野善紀 @shouseikan

間は空中なれば像なし。此の像なき所を推量才覚を以って積む事成るまじきぞ。一尺の間或いは一分一毛微塵の内にも其大小に随て中央有り。一刹那の内にも中有り。『ちりちり草の露にまで』と言う歌の如く也。ただ中央を取る事肝要也。六韜に曰く『勝は両軍の間に在り』」

2018-03-14 15:58:15
甲野善紀 @shouseikan

先日、このツイッターで『願立剣術物語』の47段目を紹介したが、この『願立剣術物語』に対する関心が高い方が多かったので、今回この本についての解説と内容を少し紹介しておきたい。

2018-03-15 18:48:10
甲野善紀 @shouseikan

『願立剣術物語』は江戸時代の初期、超絶的な技をもって知られ、三代将軍家光が江戸城に招いて、その演武を見た折、深く感じ入って3回呼び戻し、合計4回演武をしたという松林左馬助が開いた夢想願立(流)という流儀の術理を書いた私的伝書である。

2018-03-15 18:48:30
甲野善紀 @shouseikan

私的というのは、正式なこの流儀の伝書ではなく、松林左馬助が家光の前で演武を行なった時、相手として同行した阿部七左衛門道是という左馬助の高弟に学んだ服部孫四郎という人物が書いたものだからである。

2018-03-15 18:48:43
甲野善紀 @shouseikan

服部孫四郎は、60歳を超え妙境に達した師である道是の教えが絶えてしまい、後世に伝わらないことがあまりにも惜しいからと、「未熟でその資格もないが…」と断った上で、師である道是の日頃の教えを書き残したものである。

2018-03-15 18:48:57
甲野善紀 @shouseikan

そのため、伝書の最初にある「願立剣術物語之覚」という、いわば「まえがき」では、松林左馬助を“松原”左馬之助とし、師の阿部道是は“荒川”道是として、正式な名称を書くことを遠慮している。

2018-03-15 18:49:09
甲野善紀 @shouseikan

この流儀の特色は、一段目に「此伝は流るる水の如く少しの時も止むことなき剣術ぞ。たとえば光陰の移り行くが如く、草の萌え出るが如く須臾も止まることなし。敵ひしと打つに合わんとする手留まる気なり。また留まるまじきと思うも其に心留まるなり。ただほろほろと玉の形也と言えり」とある。

2018-03-15 18:49:24
甲野善紀 @shouseikan

また三段目に「伝というは別の儀にあらず。我総体の病筋骨の滞り曲節をけづり立ち、幾度も病をおびき出し、心の偏り怒りを砕き思う処を絶やし、ただ何ともなく無病の本の身となる也(後略)」

2018-03-15 18:49:39
甲野善紀 @shouseikan

こう説いているように、夢想願立は居着くことなく、偏りやこわばりを徹底的に消してゆくことを主眼とした流儀であることが大きな特色のようである。

2018-03-15 18:49:50
甲野善紀 @shouseikan

流祖松林左馬助は浄土宗の熱心な信徒で、晩年は毎日念仏を一万回称えていたという。この『願立剣術物語』は術理本なので、仏教的教えを説いているわけではないが、最後の63段目と、その前の62段目は術理というより、その元にある心の在り方を説いていて興味深い。

2018-03-15 18:50:03
甲野善紀 @shouseikan

62段目「『行くに虎あり、帰るに龍あり、立は炎生ず』と言う仏語あり。思うに此の伝の剣術独り楽しむ時はたとえ龍虎の口に入ても楽しむ心有るべし。此の楽しみ遊心なくば敵の剣の中へ何ともなく入る事難かるべし」

2018-03-15 18:50:54
甲野善紀 @shouseikan

63段目「我に我を滅ぼす悪あり善あり、悪は善に負け易し。此の負け易き悪をたのみ我が大将とする故に、我が善我が悪を亡ぼす也。敵の善に亡ぼさるる物ならば其隠家もあらん。善悪我に有る故、山の奥水の底までも悪を亡ぼす敵の来ぬと言う事なし。恐るべし恐るべし」

2018-03-15 18:51:13
甲野善紀 @shouseikan

なお、この『願立剣術物語』の漢字カタカナ混じりで句読点なしの原文に忠実な全文は、私が日貿出版社から刊行した『神技の系譜-武術稀人列伝-』に資料として掲載されているので、深く関心を持たれた方はどうぞ。amzn.to/2tTFMA2

2018-03-15 18:51:26
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甲野善紀 @shouseikan

先日ツイートした『願立剣術物語』の最後63段目は何となくわかる気もするが、訳というか解説をして欲しいという要望があったので、私なりの意訳と解説をしてみたい。

2018-03-17 00:08:23
甲野善紀 @shouseikan

まず最初に「我に我を滅ぼす悪あり善あり、悪は善に負け易し」とあるが、これは、自分の中に自分をダメにしてしまう悪と善があって、悪は善に敵わないと述べている。

2018-03-17 00:09:08
甲野善紀 @shouseikan

この場合の「悪」とは、安易な、つい行なってしまう動作と、それに伴う心理といったようなものだと思う。そして、そういうレベルの低い動作と心の状態は、レベルの高い高度な動きと心の働きに敵わないと言っているのであろう。

2018-03-17 00:10:15
甲野善紀 @shouseikan

しかし、人はつい易きにつきやすい。「此の負け易き悪をたのみ我が大将とする故に我が善我が悪を亡ぼす也」ということになる。

2018-03-17 00:10:35
甲野善紀 @shouseikan

その安易でレベルの低い心と所作を、人はどうしても動きの中心として取り入れてしまうものだとも述べている。そうなれば、当然その「よくない」動きを本質的な自分である善は「よくない」とわかっているので、それをなくそうとする。

2018-03-17 00:11:00
甲野善紀 @shouseikan

そして、ここからが大変興味深いのだが、他人の善がこちらの悪を滅ぼそうとして攻めてくるのなら隠れるところもあるが、自分の中の悪を滅ぼそうとしている善は、言ってみれば良心の呵責のようなものであるから隠れる所がない。

2018-03-17 00:11:24
甲野善紀 @shouseikan

つまり「敵の善に亡ぼさるる物ならば其隠家もあらん」

2018-03-17 00:11:37
甲野善紀 @shouseikan

しかし、どんな山奥に行っても、深い水の底に潜ってみても、悪を滅ぼそうとする善は常に一緒にいる。そのため、逃れることはできない「ああ、恐い恐い」というところだろうか。つまり「善悪我に有る故、山の奥水の底までも悪を亡ぼす敵の来ぬと言う事なし。恐るべし恐るべし」。

2018-03-17 00:11:54