当該原告の自宅にお邪魔するのは3回目。阿賀野川(水俣病の魚が泳いでいるところ)まで歩いて1-2分のところ。改めて当時の生活ぶりや病状を聞いたりした。昭和40年ころ、テレビはあったが冷蔵庫はまだなかった、行商の魚売りのおばさんが魚を売りに来たが、海魚は高いので阿賀野川で釣った魚を
2018-03-30 16:24:02朝晩食べ、お弁当も阿賀野川でとれた魚が多かった。フナ・ニゴイなど。ナマズも食べた(ナマズはおいしい)。昭和38年くらいから体の不調を感じた。
2018-03-30 16:26:09昭和30年後半から身体の不調がずーっと続いた。しかし何の病気変わらなかった。昭和40年に水俣病が公表され「もしかしたら自分も?」と思った。しかし、病院で水俣病と診断されたのは、平成20年ころだった。そういう経過の原告や患者さんがたくさんいる。
2018-03-30 16:33:21なぜ水俣病が公表されたのちも阿賀野川の魚を食べ続けたのか? そういう問いが良くある。結論を言えば、それ以外の食べ物がなかったから。冷蔵庫もなく貧しい家が多い。コンビニはもちろん近所にスーパーもない。肉など入手困難。
2018-03-30 16:36:40「なぜ病気になるのが分かっているのに?」という問いだが、ある意味喫煙者の心理に似ているのではないかと思う。 「病気になるといっても大したことはない、一本位吸ってもすぐに病気が悪くなることはない。タバコはおいしい」そういうような気持でタバコを吸い続けいつの間にか病気になってしまう。
2018-03-30 16:39:18保釈中の被告人、旅行許可申請書提出→許可決定。書記官が「出張に関する資料がないのか?」というので「公務員と違って復命書とかのそういうたぐいの資料などないよ」と言ってやった。申請から許可まで15分くらい(書記官経由の口頭による決定申し渡し)。
2018-03-30 16:43:17「川魚=不味い、骨が多い、女子供(おんな こども)は川魚を食べない」ということを国・昭和電工代理人は、しきりに主張した。しかし、川魚でもヤツメウナギ・イトヨ・アユ・コイなどはとても美味しい(最近は料亭でしか食べられない)
2018-03-30 16:47:31新潟水俣病第一次訴訟における被告昭和電工の主張は奇想天外なものであった。曰く「新潟地震が昭和39年6月に発生し、新潟西港の倉庫から農薬が大量流出した。当該農薬が日本海経由で阿賀野川に流れ込み川魚が汚染された。」これを裏付けるかのような御用学者の意見もあった。
2018-03-30 16:55:26福島における甲状腺がん多発もおそらく御用学者が分けの分からない論文を書いたり意見書を出したりするのだろうなぁ。熊本水俣病→新潟水俣病→福一→→→???????
2018-03-30 17:10:09最高新潟水俣病訴訟、上告するかどうかは、近日中に公表するが、勝訴判決が出たとしても破棄自判はなく高裁差戻だろう。弁護団長が生きているうちに救済を!!!
2018-03-30 17:13:10@tucan 私は論理的な口喧嘩に弱いのです。論争すると大抵負けますね。ナマズ先生はエンタープライズ闘争の闘志で、その華麗な業績は判例六法に載っている(弁護人ではなく被告人として)。
2018-03-30 17:16:06東京高裁 水俣病第三次訴訟に関し、岡山大学津田教授(疫学)から意見書が届いた。因果関係論に関してはやはり「ヒュームの問題」から再度学びなおさないといけないと思った。行政訴訟判決における「50パーセント」なのだが、私は、この確率は、寄与危険度割合を意味すると思っている。
2018-03-30 17:39:24ところが、環境省の特殊疾病対策室長(厚生省から出向した医師資格を持つ人 津田先生のお弟子さん)は「判決理由の50パーセント云々は寄与危険度割合を意味するものではない」と反論した。。
2018-03-30 17:41:31疫学を判決における事実認定に際し個別の原告に適用できるか? という問題なのだが、明治大学の新美 育文教授が「疫学は集団的観察に基づくものなので原告に個別的適用はできない」という論文や意見書を書いている。
2018-03-30 17:44:58