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丹菊逸治 @itangiku
アイヌ歌人といえば違星北斗やバチェラー八重子の名があげられるだろうか。だが、アイヌ現代詩人といえばまずは文句なく伊賀ふで(1913-1967)である。遺稿が詩集として2012年にまとめられている。 gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-…
丹菊逸治 @itangiku
伊賀ふでの詩はまったく「アイヌの石垣りん」みたいなもんで、とにかく完成度が高い。今までアイヌ語現代詩を刊行できた人はおそらくこの人しかいない。そもそもアイヌ語現代詩を書くとなると、かなりのアイヌ語運用能力・アイヌ文学知識が必要なので、簡単にはいかないんである。
丹菊逸治 @itangiku
「アイヌ文学」で詩に言及するなら、この人を外すことは絶対にできないのだが、一般に知名度が高くないのは残念である。今までも娘さんの故・チカップ美恵子氏が自著の中で紹介したりしてはいたけれど。だからこの現代書館の『アイヌ・母のうた』は重要なんである。
丹菊逸治 @itangiku
アイヌ現代詩人伊賀ふで(1913-1967)詩集『アイヌ・母のうた』(現代書館2012年)には、アイヌ伝統歌謡CD(本人や周囲の人が歌っている)が付いている。伝統歌謡資料としても大変貴重なんだけれど、もちろんそういう意味で付されているというより、詩集の一部としてついている。
丹菊逸治 @itangiku
なぜかっていうと、伊賀ふでという人は、アイヌ語伝統歌謡の現代日本語訳(かなりの意訳もある)もしていたし、アイヌ語・日本語で現代詩も書いていた人だからである。その全体が彼女の作品なんである。
丹菊逸治 @itangiku
伊賀ふでの詩集が2012年に出版されたとき、アイヌ語研究者がまともに評価できなかったのは仕方ない。彼らは詩や文学なんて分からないんだから。一方で日本の文学関係者も(刊行した関係者以外)ほとんど反応しなかった。新聞にも書評は出たんだけどね。
丹菊逸治 @itangiku
伊賀ふでによるアイヌ語詩(および日本語詩)は1960年代までに書かれ、2012年に詩集が出版された。日本文学者たちが評価しようがなかったのも理解できる。彼女のアイヌ語詩に使われている高度なテクニックについてアイヌ語研究者がちゃんと解説すべきだった。
丹菊逸治 @itangiku
伊賀ふでは一体どこで現代詩を学んだのだろうか。本を読んで学んだだけなのだろうか。いずれにせよ、おそらくほとんど独学だったのだろうが、彼女の詩はまさしくある時代の日本の現代詩そのものである。そしてそれが日本語だけでなく、アイヌ語でも書かれている。
丹菊逸治 @itangiku
伊賀ふでのアイヌ語詩がまた素晴らしい。アイヌ語の詩法を駆使し、さらには日本語現代詩と同じように、古典的定型と自由律を取り混ぜている。少なくとも彼女の日本語詩と同じレベルの完成度を持った言語芸術である。まさにバイリンガル詩人ならではの詩集になっている。
丹菊逸治 @itangiku
伊賀ふでの日本語詩を読んで感心した読者は、アイヌ語が分からないとしても、彼女のアイヌ語詩が日本語詩と同じレベルの完成度だと考えていい。アイヌ語アイヌ文学を知っている人々が読めば、彼女のなしとげたことを認めざるをえないはず。
丹菊逸治 @itangiku
伊賀ふでのアイヌ語現代詩は日本語とアイヌ語の両方で書かれている。どちらが先に書かれたかは、作品ごとに異なると思われる(だいたい推察できる)。いずれにせよ、アイヌ語詩の中にもとびきり完成度が高いものがあって、そういうのはまず間違いなくアイヌ語が先なんだろうと思う。
丹菊逸治 @itangiku
詩の翻訳なんてそう簡単にはできないし、詩法を守るとなると難易度がどんどん高くなる。日本語の現代詩だってアイヌ語伝統詩だってそれぞれ詩法はあるわけで。特にアイヌ語詩の詩法はジャンルごとに全く異なる。伊賀ふでのアイヌ語現代詩は、知里幸恵のアイヌ神謡集なんかとは全く違うわけです。
丹菊逸治 @itangiku
知里幸恵のアイヌ神謡集は神謡の詩法を守っています。伊賀ふでのアイヌ語現代詩はアイヌ伝統歌謡の詩法を守っています。両者の詩法は別です。アイヌ語韻文にも種類があるのです。そのうえで、伊賀ふでのアイヌ語詩では口語体(非韻文)を意図的に取り入れている。現代詩ですから。

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