- L_O_Nihilum
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twitter.com/L_O_Nihilum/st… 第1図.尋牛:《迷える探究者、梓》 『はじめから失っていないものを、どうして探し求める必要があるのだろうか。せっかく持っているものに背を向けているから、大切なものを見失ってしまう。』 #緑で十牛図 #カラーパイ
2018-05-03 13:02:42『自分にないものを探せば探すほど、自分が本来果たすべき役割からは遠ざかり、人生の分かれ道にぶつかっては迷いこんでいく。 損得や善悪で物事を判断しようとするから、自分を見失い、大切なものに気づかなくなるのだ。』
2018-05-03 13:02:42#緑で十牛図 #カラーパイ 第2図.見跡(牛の足あとを見つける):《不屈の追跡者》 『お経によって仏法の意味を理解し、教えを学んでようやく牛の足あと(自分を知る手がかり)に気づいた。』 pic.twitter.com/V2Ga7xJBmz
2018-05-03 13:04:11『お経を読むと、どんな形の器でも、もともと同じ金属でできているように、あらゆるものの存在が自分とつながっている、ということが分かる。でもそれは、お経に書かれてあることを理解できたというにすぎない。』
2018-05-03 13:04:12第3図.見牛(牛を見つける)#カラーパイ #緑で十牛図 『牛の鳴き声が聞こえたので、その声を頼りにたどってみれば、ようやくのことでその姿を見つけることができた。それは、旅人が一方的に探し求めていただけでなく、牛のほうからも近寄ってきたからである。牛も自分を探していた。』 pic.twitter.com/KZ0bWxDLih
2018-05-03 13:05:41『自分の目も耳も、鼻も舌も、体も心も、その感覚のひとつひとつが、牛を見つける手がかりとなった。日常の行動もまた、その一挙手・一投足が、やはり牛を見つけるために必要だった。』 『まゆ毛をさっと上げて、目をはっきり開いて見つめれば、まさに牛と自分は別のものではないことに気づくだろう』
2018-05-03 13:05:41第4図.得牛(牛をつかまえる)#カラーパイ #緑で十牛図:《ゴーア族の暴行者》 『その牛は、長いこと野外の草むらにかくれていて気づかなかったが、今になってようやく会うことができた。』 pic.twitter.com/hUln4iqev1
2018-05-03 13:07:33『しかし、その喜びの心境は、「牛に出会えた」ということで満足してしまい、かえって牛に追いつくことを難しくするし、また牛のほうでも、すきをみては香りのよい草を求めて草むらに逃げていこうとしてしまう。』
2018-05-03 13:07:33『やっとの思いで牛をつかまえてはみたものの、その心はかたくなで勇猛であり、いまだ野性のままである。この牛を飼いならそうと思うのなら、ムチを使って、いましめなければならない。』
2018-05-03 13:07:34第5図.牧牛 #緑で十牛図 #カラーパイ 《ガラクの群れ率い》 『片手にムチを持ち、もう片手には手綱をにぎり、かたときも離してはならない。それは、牛が勝手に歩きだして、ふたたび草むらに入ったり、道に迷いこんだりしてしまいかねないからである。 pic.twitter.com/Hn18LP1Eem
2018-05-03 13:09:09『ところが、少しずつ飼いならしていくと、牛は次第におとなしくなってくる。』『こうなれば、もはや手綱でしばらなくても、牛のほうから後をついてくるようになるのである。』
2018-05-03 13:09:10第6図.騎牛帰家:《タジュールの獣使い》+《家路》 『旅人と牛との戦いはすでに終わり、何かを得ることも失うこともなく、すべては元に戻った。』『旅人は、きこりが木を切りながら歌うような、素朴な歌を口ずさんだり、子供のように、思いつくがままに笛を吹いたりしている』#緑で十牛図 pic.twitter.com/lyBfTxGfMG
2018-09-07 12:28:05『体を牛の背中に横たえて、牛の歩みにまかせていくと、目の前には、雲の向こうに大空が、はるかかなたまで広がっているのが見えてくる。 もはや牛は、呼んでも振り返ることはなく、取り押さえても、歩みを止めることもない。』
2018-05-03 13:14:59第7図.忘牛存人 《生命の力、ニッサ》 『牛に乗って家に帰ってきた。 そこには牛の姿はなく、人はのんびりとしている。 太陽が高くのぼっても、まだ夢の中。 牛をつかまえるために使っていたムチも縄(なわ)も、納屋(なや)に置きっぱなしである。』 #緑で十牛図 pic.twitter.com/wSObODnPcg
2018-05-03 13:16:05第8図.人牛倶忘 『ああしたらいいだろうか、こうしたらいいだろうか、という迷いの心からは抜け出した。かといって、何もかも分かったような、さとりの心にも、もはや、とどまってはいない。』 #緑で十牛図 pic.twitter.com/rMeLpmy9O1
2018-05-03 13:17:16『これが迷いだとか、あれが「さとり」だとか、そんなささいなことに心をうばわれなければ、たとえ観音さまでも、その心を見ぬくことは難しいだろう。心に何の考えもなければ、見ぬきようがないからである。』
2018-05-03 13:17:17第9図.返本還源(すべて元通りとなる):《自然に帰れ》 #緑で十牛図 『牛を求めて旅をしてきたが、結局もとにもどり、はじまりにかえって、牛も見えず、自分もない。 これでは、何も見ず、何も聞かずにきたようなものだ。』 pic.twitter.com/0ilOOTkNSh
2018-05-03 13:18:44『まるで、家の中にいるのに、目の前の庭にある、物に気づかないのと同じである。』 『旅に出るずっと前から、湖は広々としていたし、花も赤く咲いていたのだ。』
2018-05-03 13:18:44第10図.入鄽垂手(町に出て生活する):《市場の祝祭》 #緑で十牛図 #カラーパイ 『その人は胸をあらわにし、はだしになって町に入ってきた。 土にまみれ、泥をかぶりながら、その顔は笑いに満ちている。 pic.twitter.com/HEk83lacD0
2018-05-03 13:21:06仙人が持っているという不思議な力があるわけでもない。 ただ、枯れ木に花を咲かせるように、人々を救っていくだけだ。』
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