2018年も劇場へ出かける

2018年1月から今までの劇場行きまとめ
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ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「岸 リトラル」は、すべていいつくさない限り終るまいという作者の意図と受け取ってよいのかよくわからないが、いつまで続くかという感じになって、予約した新幹線に乗れるのかしらと時計も見ずに心配してしまう。 それにしてもあの太鼓を背負う男の解放/開放する力はどこから来るのか。

2018-03-13 21:40:10
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「シャンハイムーン」(兵庫県立芸術文化センター)。 作者としてもうまく書けたと思ったかしら。登場人物間の緊張・葛藤の生じ方が巧みで、本当にはらはらどきどき。とりわけ最後の療養説得の場面は、強力な論理(その根拠といった方がよいかなあ)と決め科白でいったん決着と思えば、さらに。

2018-03-15 22:55:11
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「J.S.バッハ鍵盤協奏曲全曲演奏会」(いずみホール)。二日とも「礒山さんを追悼して演奏します。拍手はご遠慮ください」というリフシッツのことばで始まった。 どの曲もさまざまに感情を動かす。曲目解説にもそうした表現が多い。フーガがというより、JSBのフーガはしだいにゆりうごかしてゆくのだ。

2018-03-19 21:20:10
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「ペンタゴン・ペーパーズ」はさすがに手だれの作で、ハラハラドキドキさまざまに描いて飽きさせない。女社主の自立その他、安心して扱える素材もてんこ盛りと思わせないからすごい。 メリル・ストリープは現実にありえないくらい明快な科白で、「正しい発音」に使えそうな。

2018-03-30 20:40:08
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「赤道の下のマクベス」(兵庫県立芸術文化センター)。 幕が下りてから梅田へもどって食べることができるかしら。食事をしてからぎりぎりに行くと、アフタートークの掲示。 時間がないので20分くらいと始まった作者へのインタヴューは結局、22時に西宮北口で梅田行に乗れるくらいまで。

2018-04-06 21:25:09
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「赤道の下のマクベス」(兵庫県立芸術文化センター)が泣ける芝居とは思いもせず、時間が経つほど泣いている雰囲気で取り囲まれるような。 場所は同じ、登場人物もまとめて出てほぼ一定。これで葛藤をあれこれ示すというむつかしい芝居でした。しかも考え深い登場人物の科白で説明することもなし。

2018-04-06 21:30:28
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「ヘッダ・ガブラー」(シアターコクーン)。 テーマがあるのかと探しながら見て、最後に運命悲劇とわかった。「自由」とたびたび発せられるのに、あがらうより運命をかえようとしていたはずが、運命の計画にしたがってきただけと最後に示すから、ヘッダこそ主人公。 初日から何という密度。

2018-04-07 22:37:27
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イプセンの関心て作品ごとに大きく違うんだろうな。「ヘッダ・ガブラー」では女の自立なんかどーでもよくて、主人公は打ちのめされるから主人公に違いないし、その夫は無邪気ゆえ不快で、小日向文世と明記しておきたいくらい。

2018-04-08 00:09:48
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「ローエングリン」(東京文化会館)。 開演前、フォークトが、木曜の公演以後に発熱と告知されるや、「えーっ」。本日出演で歓声と拍手。弄ばれた方たくさん。 心配にもかかわらず第1幕は、心地よく主人公にふさわしい清潔な声を披露してくれた。

2018-04-09 21:35:07
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「ローエングリン」第2幕終り近くで主要人物5人のやりとりは、しだいに善の勝利が、荘厳になりゆく音楽の合間に甘美な旋律を交えながら確実となってゆく中、オルトルート独り、他の登場人物・合唱(群衆という雰囲気でなかった)・オーケストラのすべてに対峙して、邪悪な毒をたれながす。

2018-04-09 21:40:10
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「ローエングリン」第2幕のペトラ・ラングは、特に最後の場面で歌っても口ずさむみたいだけれど、立つか腰をおろすか、からだの向きに細心の注意をはらいながら表情を変化させる。乱れる髪が、やばいぞこの女。第3幕の出番が少なくて残念なくらい。

2018-04-09 21:45:15
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「ローエングリン」第3幕は、ヴァーグナーの生涯を貫くともいえる婚姻に関する契約への執着が露わに。 白鳥の騎士はユートピアの象徴なので、エルダとの関係は破綻するしかないけれど、結婚の問題として扱われる。フォークトの清潔な歌いっぷり自体、この世にふさわしくない感じで満ちていた。

2018-04-09 21:55:12
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「アイーダ」(新国立劇場)。この演出は初めて。たくさんの人と金色の衣装で舞台をいっぱいにする効果は絶大で、とりわけエジプト軍の凱旋は、ヴェルディの音楽も豪奢に声をまきちらし、勝利がどれほど甘美か見せつけてくれる。 10年に一度なのだ、景気よくやるに限る。個人のドラマになるとやや弱い。

2018-04-16 21:15:13
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「アイーダ」(新国立劇場)の 「アイーダ」(新国立劇場)の真価というか凄みというか、エチオピヤをやっつけるとか勝利して捕虜を連れ帰ったとかをそのまま逆向けの力へかえてしまう。同量の感情が爆発しているのだ。それだけに後半のドラマには物足りないところあり。

2018-04-16 21:20:09
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「最後の炎」(文学座アトリエ)。確かにどの科白も、いくつもの機能を担っているのはよくわかる。どのような物語かも見失ったりしなかった。なのに耳から入ることなく、どこかへそのまま流れ去ったような気分。動きも入念に考えてあるのに、ことばだけが登場人物相互にも通じ合わず行き交ったというか。

2018-04-16 22:25:08
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

デジタル修復版で「大いなる幻影」を初めて見た。 反戦映画というのに、登場人物は戦争参加で意気軒昂といったところ。敵味方を超えて貴族出身の収容所司令官と捕虜の指揮官は理解し合い、そうでない者と反目すらありそう。 捕虜として今度は脱走に熱中するものの、土まみれで死と隣合せ。

2018-04-24 21:30:25
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「大いなる幻影」での脱走は「大脱走」の祖先に見えながらも、映画は快活でなくなり、収容所司令官は捕虜指揮官を撃ち殺す羽目になり、孤独で憂鬱にもどってしまう。 脱走者は惨めな境遇に別れる寸前、敵方の母親に匿われ、生きる意欲を取り戻す。愛を成就すべくスイスへ逃れる。反戦はその結果だ。

2018-04-24 21:40:09
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「アンロック」がちょいとした拾いもの。どこかで見たのにとうとうエンドクレジットまで思い出せなかったけれど、ノオミ・ラパス! リスベットのように全能でなくても不屈の女で最後までひきつける。裏切役もたくさん。「大いなる幻影」のあとで一本調子に見えるのは仕方ない。

2018-04-24 22:10:14
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「白鳥の湖」(新国立劇場)。第4幕はまた変更? めでたしめでたしにするなら、ロートバルトをもっと強力にしないとたわいない感じ。 米沢唯さんはエネルギーを強烈に発射し、拍手も割り込めない。それでも不満なのは黒鳥の邪悪がさらに必要だから。そんな振付を求めてゲスト出演もいいかなぁ。

2018-05-03 16:55:23
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

夜の「白鳥の湖」(新国立劇場)は小野絢子。端正ながら濃厚で、王子はたちまち味わって引き返せなく……ならなかったようだけれど、小野さんと米沢唯さんとは表現のしかたが違うということか。 エネルギーの渦巻く世界か、意味の充満する世界か、というくらいしか思いつかない。

2018-05-03 23:49:28
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

加藤健一事務所「煙が目にしみる」(本多劇場)。 よくできていてしかもわかりやすくて、笑わせつつほろりというずるい芝居。ちかしい人がすべて一番よく知っていると限らないという教訓では、愛人の使い方が上手い。 周囲の反応が目覚しかった。

2018-05-05 21:18:52
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「ジーザス・クライスト・スーパースター」でヘロデ王は1曲しか歌わないそうだけど、ファンキーないー曲だけどなあ。

2018-05-08 22:35:08
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「1984」(新国立劇場)。原作の詳細はすっかり忘れているので当てにならないけれど、東西にあったファシズムが主題か。そして痛みと違い(これだって本当にわかるといえないことになっているけれど)、ウィンストン・スミスの恐怖は、井上芳雄一人熱演を強いられながらも、ぼくに無関係なのだ。

2018-05-05 21:28:47
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「1984」(新国立劇場)では、外からの介入で何かを引替として抹殺する時、まるでみずから進んでそうするばかりか、それだけを記憶するのか。でも痛いのは嫌だから、痛くなる前にそうしちゃう。血を吐き散らすような経験として身に刻みつけるのだ、ウィンストン! twitter.com/Ashime2010/sta…

2018-05-07 22:30:26
ASHIME#theatre-goer @Ashime2010

「1984」というディストピアにふさわしく、ウィンストンは反成長=退行を強いられる。だれもがただ反復するために生き、いつとはなく消えていく。彼のみ反復も一回きりもできない。好きな相手を世界に見出し、同時に自身の中へも入ってくるその場所をみずから潰したのだ。 twitter.com/Ashime2010/sta…

2018-05-08 23:55:09