ヒジャーブの解説から始まる宗教的本質性を巡る呟き
「物分りの良い異教徒」にも受け入れられる合理的な解説に対する違和感の表明について。ヨブ記に示される絶対性の提示から始めてみました。私は信仰とはそういうものであるのかと思います。
山根郷史 عبد الواحد
@AbdulWahidSYJ
我々がノンムスリムの国で、ハラールな食事を含め、自分の戒律を守れるようにしたいという意図は、到底、献身的とは言えない。むしろ、ノンムスリムに献身的なものを求めている。学校に子供を通わせるとき、献身的なのは学校側だ。それに、正当性を主張するのはむしがいいと思われるであろう。
2011-04-14 06:44:19
山根郷史 عبد الواحد
@AbdulWahidSYJ
カリフ制度を本国で訴えず、シャリーアの施行が怖くて言えないなかで、ダールルハルブで、全く言いやすい人格者相手にあれこれ要求するのは本当に歪んだ状況だ。悪貨は良貨を駆逐する、そういう状況に至高なる、アッラーは満足したまうことはないであろう。当然、世界で低い位置におかれているのだ。
2011-04-14 06:50:51
中田考
@HASSANKONAKATA
以下、ブログ「数えられなかった羊」http://bit.ly/gvdcPt より: 郷土愛や愛国心といった心情は、至って素朴で主の与えたもうたままの感情でしょうが、ネイションの概念と複合的に結合されると、不気味な化物に育っていきます。(続く
2011-04-14 07:41:03
中田考
@HASSANKONAKATA
などというお話は、教科書的にすぎてもう面白くも何ともありませんが、一応お約束でおさえていきます。わたしは反主知的主意主義者という限りにおいて右翼ですが、郷土を破壊し同胞の住処を奪う発電所を批判する者が排外主義者に左翼呼ばわりされる国では、愛国心もうかつに吐露できません。(引用終
2011-04-14 07:41:34