詩人によるRADWIMPS「HINOMARU」考察 野田洋次郎氏は「セカイ系」の感性で、言葉の意味は移行している

「HINOMARU」の歌詞を謝罪。RADWIMPS・野田洋次郎さん「傷ついた人達、すみませんでした」 https://www.huffingtonpost.jp/2018/06/11/rad-syazai_a_23455806/
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ni_ka @ni_ka

違う〜。一曲しか聴いていないと愛国ソングと捉えてるんか。端的にセカイ系なんだけどな、野田洋次郎さんの言語センスって。 『前前前世』の「革命前夜」も左翼のガチの革命思想ではなくて、その言葉の上っ面のイメージでしかなく、恋愛と革命を繋げているセカイ系だよね、という話なんだけどなあ。 twitter.com/reichsneet/sta…

2018-06-11 20:19:17
ni_ka @ni_ka

中原昌也の紋切り文章のコラージュ的作風から、ごっそり悪意と作為を抜いたような作風、野田さんは。そしてセカイ系的な感性言葉の感覚はペラく(disではない)、語感や語呂と音との組み合わせには拘っているが言葉の狭義の定義は解体している

2018-06-11 20:22:32
ni_ka @ni_ka

宇宙や世界や時空と日本(いずれもイメージとして)と恋愛や愛が直結する傾向があり、セカイ系的感性抽象的なイメージとして言語を使用し歌詞にしている。だから文語と口語が混ざっているような厳密ではない歌詞。野田さんはいつも、言葉の厳密な意味より、言葉の持つイメージに依存している。

2018-06-11 20:26:42
ni_ka @ni_ka

「DUGOUT」は産道宇宙世界結びつくのだけど、これも母性への曖昧な信仰でしかなく、ガチマザコンではない。野田さんは母のモチーフをよく使い、まさにセカイ系なのだけどな。曖昧で雄大なロマンを、言葉の持つイメージに依存してセカイ系で描く人。

2018-06-11 20:40:01
ni_ka @ni_ka

で、言葉というのは生きているものなので、この0年代の先に生まれたセカイ系的な言葉の感性を受け入れるのか否かの問いになる。言語感覚の変化を許さないのもありだけど、それは権威主義でもある。言葉の意味は移行し結果忌避されてきたワードが表現として用いたらアウトなのかという問いでもある。

2018-06-11 20:55:01
牧眞司(shinji maki)『『けいおん!』の奇跡、山田尚子監督の世界』刊行 @ShindyMonkey

なるほど! 「HINOMARU」が従来の意味での「愛国的」でないのはそうかなーと思います。 とはいえ、「日本を好きという素朴な草の根的な感覚を壮大にセカイ系で」展開してしまう感性は、ネトウヨとよく似ているのではないでしょうか。ネトウヨも従来の意味での「右翼」ではない。 twitter.com/ni_ka/status/1…

2018-06-11 20:56:04
牧眞司(shinji maki)『『けいおん!』の奇跡、山田尚子監督の世界』刊行 @ShindyMonkey

「国粋的な意図がなかった」としても、「表現が国粋的になっている」わけです。 これって、「差別的な意図はなかった」というひとが、うかつに「差別的な言動をしてしまう」と同じですよね。 twitter.com/SFmuchlove/sta…

2018-06-11 20:59:58
SFlove @SFmuchlove

@ShindyMonkey 右でも左でもないという人がこんな国粋主義丸出しの軍歌を作っちゃうっていう日本文化の退廃ぶりが怖いです

2018-06-11 20:47:48
ni_ka @ni_ka

表現が国粋的、というのも一つの感覚なのですが、私は野田洋次郎さん的な言葉の感覚も一つの立場だと思う。理由は述べたように、もはや言葉の意味が解体されたと感じる人たちもいるからです。戦前のリアリティも関係していますよね。また、親も含め戦後にしか生やリアリティがないことも関係あるかと。

2018-06-11 21:09:08
ni_ka @ni_ka

野田洋次郎さんも『前前前世』で、「前前前世から僕は君を探しはじめ」「革命前夜の僕ら」になり、極左みたいになり、『HINOMARU』で極右みたいだと批判され大変というか。ただ革命については極左という批判がなかったような気がするので、革命の従来の意味の解体は受け入れられているのだろうな。

2018-06-11 21:21:14