中山信安(修輔)の話。

幕末の佐渡奉行組頭をつとめ、佐渡に戦火が及ばぬよう奔走した中山信安(後に新治県令、茨城県令)の生涯に関して調べたことなどのまとめです。
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銅折葉 @domioriha

白久村新井良輔は足羽大人(足羽先生)弟子となっているので、おそらくこの3代目の小室元長について医を学んだ可能性がある。先述の通り三代小室元長は産科術や西洋医学を学んでいたらしいので、その弟子であった新井良輔の息子・修輔が後に蘭学に興味を持ったのはスムーズな繋がりを感じる。

2024-01-27 13:06:50
銅折葉 @domioriha

小学訓話資料では修輔は家業の医者を嫌っていたろあるが、修輔が適塾に入る前、江戸に出て学んでいたのは東条一堂や東条琴台の儒学であったり、千葉周作の元で剣を学んでいたりなので、このあたりの整合性はいちおう取れている。

2024-01-27 13:08:34
銅折葉 @domioriha

もう一点。小学訓話資料と共に、荒川村史などにも中山信安の出自について、白久村の村長であった新井重右衛門の門下であるという記載の出典とおぼしき山戸泰助所蔵文書という記載がある。 荒川村 [編]『荒川村誌』資料編,荒川村,1977.2 dl.ndl.go.jp/pid/9641209/1/… #国立国会図書館デジタルコレクション

2024-01-27 13:14:45
銅折葉 @domioriha

上に挙げた資料編の記載では「山中信安」になっているが、佐渡奉行と茨城権令というあたりから、荒川村誌にある新井重右衛門門下というものと同じ話だろう。 『荒川村誌』,荒川村,1983.12. (参照 2024-01-27) dl.ndl.go.jp/pid/9643131/1/… #国立国会図書館デジタルコレクション

2024-01-27 13:16:42
銅折葉 @domioriha

この根拠である山戸泰助氏所蔵文書、埼玉県の文書館の目録記載により、新井家文書と名前が改められていて、山戸泰助氏の妻・新井フクが新井重右衛門-新井東吾-新井フクと受け継いだ文書であることがわかった。 chukyo-u.repo.nii.ac.jp/record/13938/f…

2024-01-27 13:35:11
銅折葉 @domioriha

新井東吾氏はここに顔写真と名前がある。文久元年(1861年)生まれだとか。信安を教えた新井重右衛門は1745年生まれなので、100年近い差がある。 『日本国勢調査記念録』埼玉県,日本国勢調査記念出版協会,大正11-12. (参照 2024-01-27) dl.ndl.go.jp/pid/907057/1/84 #国立国会図書館デジタルコレクション

2024-01-27 13:38:07
銅折葉 @domioriha

小学訓話資料によると、この重右衛門の子が平馬、その子が和十郎となっているので、東吾はその後の世代になるのだろうか? 塩谷俊太郎 著『小学訓話資料』,塩谷俊太郎,大正14. (参照 2024-01-27) dl.ndl.go.jp/pid/918164/1/1… #国立国会図書館デジタルコレクション

2024-01-27 13:39:33
銅折葉 @domioriha

同時代におり、新井家文書にも名前の出てくる新井清作は白久村の橋場に水車をもっていて、三峯神社で酒を作るために米を買って精白していとか。 埼玉県 編『荒川 : 荒川総合調査報告書』4 (人文 3),埼玉県,1988.2. (参照 2024-01-27) dl.ndl.go.jp/pid/9644241/1/… #国立国会図書館デジタルコレクション

2024-01-27 13:42:21
銅折葉 @domioriha

新井清作は後に荒川村の村会議員や村長を務め、秩父騒動でも名前が出てくる。明治七年の白久小学校で新井清作/新井東吾が同級となっていた。 埼玉新聞社 編『秩父地方史研究必携』3 (近代編),埼玉新聞社,1979.12. (参照 2024-01-27) dl.ndl.go.jp/pid/9641863/1/… #国立国会図書館デジタルコレクション

2024-01-27 13:45:26
銅折葉 @domioriha

というかよく見たら普通に「現代新井東吾四世の祖なり」って書いてあったな。 twitter.com/domioriha/stat…

2024-01-27 13:47:30
銅折葉 @domioriha

ということで、新井重右衛門から代々伝わる新井家の文書(山戸泰助氏所蔵文書)を元に、荒川村誌には中山信安が新井重右衛門門下と書かれているので、他の出自を記した文章に比べると、信安の出自としてはかなり信用のおける出典なのではないだろうか?

2024-01-27 13:49:03
銅折葉 @domioriha

明治3年6月に小野古風と笹目八郎兵衛が出した家塾願。後の高浜小学校の元になった塾らしい。 石岡市史編纂委員会 編『図説石岡市史』,石岡市教育委員会,1961. (参照 2024-01-27) dl.ndl.go.jp/pid/3038679/1/… #国立国会図書館デジタルコレクション

2024-01-27 16:21:08
銅折葉 @domioriha

宛先が新治県の中山信安・大木良房になっているが、高浜村が新治県に入ったのは明治4年の11月。明治3年時点では志筑藩に属していて、明治3年時点では新治県は存在しておらず、当然ながら中山/大木両名も新治県の参事ではなかった。資料の日付間違いだろうか?

2024-01-27 16:24:20
銅折葉 @domioriha

三代小室元長のもとで学び、我が国最初の帝王切開手術を行った伊古田純道について詳しく記載された文献。 三代小室元長についてもけっこう詳しい記載がある。 桜沢一昭 著『草の根の維新』,埼玉新聞社,1982.8. (参照 2024-01-27) dl.ndl.go.jp/pid/12283220/1… #国立国会図書館デジタルコレクション

2024-01-27 21:28:26
銅折葉 @domioriha

伊古田純道が江戸遊学中に水戸学を学び、根岸友山や藤田東湖と交友を持ち、また武井三岳を通じて天狗党の挙兵にも関わっていたという話を俯瞰してみるに、秩父における名家が医師であった&蘭学について極めて先進的だったという土壌、中山信安のパーソナリティに深く関わっているのではないか?

2024-01-27 21:31:12
銅折葉 @domioriha

三代目小室元長の日記についてまとめた要覧がデジタル化されていたので読了。元長の門人に「新井良助」を確認した。 芳賀明子「武州比企郡番匠村の老医師小室元長の日記 : 文政九年から嘉永四年まで」『文書館紀要』(28),埼玉県. dl.ndl.go.jp/pid/10196591 #国立国会図書館デジタルコレクション

2024-01-29 22:35:33
銅折葉 @domioriha

小室元長門下に、新井良助という名前の医師がいたのは確定できた。あとは門人帳を確認して秩父白久村の医師であることがわかれば、小学訓話資料にある中山信安の出自、「新井氏の出であり父は良助、家業は医師である」がほぼ確定できる。

2024-01-29 22:38:38
銅折葉 @domioriha

「中山に住んだので中山氏と称した」については、信安の父の世代の話ではなく、旗本中山家1150石のほうの出自と混同されて(あるいは意図的に混ぜて)書かれている気がする。

2024-01-29 22:40:11
銅折葉 @domioriha

こうなってくると、信安がいつから旗本中山家と関係していたのかがわからなくなってくるな。明治5年以降くらいだろうと思っていたんだが、そうなると佐渡で戊辰戦争中に書かれたはずの圓山溟北作「祖廟斎盟記」などに「中山修輔信安」の名前があるのが謎になってくる。

2024-01-29 22:42:51
銅折葉 @domioriha

「信」は明らかに旗本中山家の通字だし、謎の八代目中山錦之助は八代目を受け継いでいるのに信の字を名乗っていない。佐渡奉行組頭として武鑑に乗ったときは明らかに別の家として書かれている。赴任した元治元年以降、慶応の終わりまでに信安が旗本中山家と関係を持ったのだろうか?

2024-01-29 22:44:46
銅折葉 @domioriha

図書館で小室家文書まわりを確認した。新井良助(良輔)という人物が、秩父の白久村に住んでおり、三代小室元長から天保10年に産科について教わり、如達堂の門人録にも名前のある医師であったことが確定した。 twitter.com/domioriha/stat…

2024-01-30 22:39:14
銅折葉 @domioriha

小室元長は西洋医学や薬学も積極的に取り入れ、江戸にも頻繁に向かって最新の医学知識を得、専門としていた産科にあっては堕胎を戒め、胎児も母体も共に救うような医療こそがあるべき姿だと掲げており、弟子への産科の伝授もきちんと実績のある医師を対象に、医家としての心の有りようも求めていた。

2024-01-30 22:43:01
銅折葉 @domioriha

こういったスタンスがゆえ、仮にも門人として名前が載る15名の中に含まれている以上、新井良輔はただの白久村の医者であったとしても、元長の眼鏡に適う人物であったと思われる。伝授を受けた新井良輔はとても感激していたという記録が元長の日記に残る。

2024-01-30 22:45:00
銅折葉 @domioriha

小学訓話資料のとおり、中山信安がこんな父・新井良輔のもとに生まれたのだとしたら、後に緒方洪庵の元で学ぶに至ったところまでの導線は理解できるように思う。 史料によっては伊東玄朴に学んだこともあるとか書いてあるが、おそらく実父が小室元長門下であったことはかなり影響していると思われる。

2024-01-30 22:47:05
銅折葉 @domioriha

確定とまではいかないが、現時点で見つかってる情報の中だと、これが信安のルーツとして一番信憑性があるな、いまのところ……。

2024-01-30 22:49:13
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