3/16ヴェルディまとめ

リソルジメント前夜祭のヴェルディのまとめだよ〜
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歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

それから、引き続きバレッツィの援助を受けながら書き上げたオペラ「オベルト」が上演されることになった。このオペラに出演したソプラノ歌手、ジュゼッピーナ・ストレッポーニは後々までベルディを支えることになるんだよね。 彼女はまさしくヴェルディのプリマドンナだったんだ。

2011-04-15 22:38:16
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

歌手の体調不良が原因で公演が一度中止になるなど色々なトラブルはあったものの、ベルディの初作品『オベルト』は好評を得て何度も上演されたんだ。しかし、順風満帆に思えた彼の人生は、実はそうもいかなかったんだよね。

2011-04-15 22:40:25
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

このとき、愛妻マルゲリータとの間にできた一人息子が病に倒れ、わずか一歳あまりの生涯を終えた。けれど公演の準備は着々と進んでいるし止めるわけにも行かない。ヴェルディは悲しみを押し殺して仕事をしてたんだ。

2011-04-15 22:41:22
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

そしてさらに追い打ちをかけたのが、愛する妻マルゲリータの死だった。オベルトの初公演が無事終了し、次回作を書いていた時だった。

2011-04-15 22:42:58
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

オベルトは、何年もかけて構想を練った、いわばありったけの力を注いだ作品だった。愛する妻子を失い、一人になってしまったベルディにはもうオペラを書く気力は残っていなかったんだ。 しかし、そんなことはお構い無しにヴェルディには音楽の仕事が舞い込んでくる。

2011-04-15 22:44:56
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

だから劇場の支配人に契約の破棄を申し入れたんだけど拒否されてしまった。そうしてベルディは、悲しみに苛まれながらもオペラを書き上げたんだ。しかしながら、そのオペラとは皮肉なことにコメディ、喜劇だった。

2011-04-15 22:45:19
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

当然のことながら評価は芳しくなく、公演は中断された。打ちひしがれ、抜け殻のようになったヴェルディは閉じこもり、もう音楽を捨ててしまおうかとすら考えてたほどだった。

2011-04-15 22:47:26
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

そうして年も押し迫ったある日の夕方、ヴェルディはオベルト上演の際世話になった劇場の支配人・メレッリと偶然会った。 そう、契約破棄を断った劇場支配人だね。だけど、ヴェルディの出世の機会を与えたのもたしかに彼だった。

2011-04-15 22:50:07
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

メレッリはヴェルディを強引に事務所に連れ旧約聖書のナブコドノゾール王を題材にした台本を押し付けたんだ。音楽を捨てたベルディは、当然のことながら帰宅して台本を放り出した。 だってもう、音楽は捨てたのだから。

2011-04-15 22:53:27
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

だけど彼は根っからの音楽人だったんだろうね。台本を放り投げ、偶然開いたページのある台詞が目に入ったんだ。 それが、

2011-04-15 22:54:17
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って!(Va, pensiero, sull'ali dorate)

2011-04-15 22:54:36
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

っていう台詞だった。彼自身も、心のどこかでこのままではいけないと思っていたのかもしれない。

2011-04-15 22:56:15
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

このオペラは、ヴェルディの壮大で合唱を多用する作風に合っていたんだね。それまでのオペラは歌手に頼るものも多かったんだ。だけど、ヴェルディは、群衆の合唱を多用し絵画的な壮大さを求める、いわば『総合芸術としての歌劇』を目標としていたんだね。

2011-04-15 22:56:34
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

このオペラ『ナブッコ』の公演は、当時最高の歌手をそろえたこともあり大成功を納めたんだよ。観客はおしみのない拍手を贈った。この曲は題材こそバビロンの虜囚でイタリアのことではなかったけれど、オーストリアさんの支配下にあり、独立を願うイタリア人の愛国心と呼応したんだ。

2011-04-15 22:59:35
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

ヴェルディを再び音楽の世界へ導いた、行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って!(Va, pensiero, sull'ali dorate)のフレーズは、民衆に広く歌われるようになったんだ。それこそ、第二のイタリア国歌といわれるくらい親しまれたんだよ。

2011-04-15 23:00:53
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

この頃のヴェルディの作品は良くも悪くも政治情勢に呼応した作品が多いんじゃないかな。人々が公演が終わった後、viva VERDI!って賞賛を贈るようになったのもこの頃だね。

2011-04-15 23:01:40
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

viva VERDI!っていうのはもちろんヴェルディを讃えた言葉なんだけど、実はそれだけじゃない。

2011-04-15 23:02:46
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

奇しくもヴェルディの名前はイタリア統一の騎手となっていたサルデーニャ国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世の略称Vittorio Emanuele Re D'Italiaと合致していたんだ。

2011-04-15 23:03:23
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

だから、viva VERDI!と口にすることは、ヴェルディを讃えるとともにヴィットーリオ・エマヌエーレ二世、あるいはリソルジメント(イタリア統一運動)を讃えることでもあったんだ。

2011-04-15 23:03:53
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

それからヴェルディは着々とキャリアを積んで、音楽界での地位をたしかなものにしていったんだ。シェイクスピア原作『マクベス』のオペラが書かれたのがこの時期かなぁ。この頃のヴェルディの作品は、当時の政治情勢とマッチした、あるいはさせていたこともあって出す作品がほぼ大ヒットを飛ばしてた。

2011-04-15 23:06:24
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

だけど、それだけじゃ進歩がない。いくら大ヒットを飛ばしているとはいえ、ここで満足してはいけないと考えたヴェルディは作風の方向転換を図ったんだ。

2011-04-15 23:08:45
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

それがせむしの道化を主人公にそえた『リゴレット』やパリの高級娼婦がヒロインの『椿姫』に代表される、人間の心理の描写を中心とした筋書きのオペラだったんだよ。

2011-04-15 23:11:05
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

椿姫が上演されたのは、1853年のヴェネツィアだね。この時代のヴェネツィアは、共和国が崩壊してオーストリア領になってたんだ。しかしヴェネツィアは世界の歓楽街として依然名を馳せていた。

2011-04-15 23:13:33
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

ヴェネツィアには遊郭がない、なぜなら街全体が遊郭のようなものだからだ、なんて言った人もいる。かの街には、仮面さえ身につけていればその下の素顔が誰だかわかってもわからないふりをするっていう暗黙の了解があるんだ。

2011-04-15 23:16:47
歴伊(れきたりあ) @rekitaly_bot

だから、誰も彼もが人の目を気にする事無く淫蕩、あるいは賭博、普段の生活ではできないようなことができたんだね。あんまりひどいもんだから、オーストリアさんに仮面禁止されたこともあったっけなぁ。

2011-04-15 23:17:10