青森では用水路のことを堰と呼ぶ。山形も同様なのだが、青森の方がより堰=水路という言い方が浸透している印象。他にも堰と言っている地方はあった気がする。京都の人は水路のことをナチュラルに「疏水」と言っていたが、そういった水路の呼称の分布についてもう少し知りたくなってきた。 #青森 #水路
2018-08-01 09:41:53青森市と山形市では市街地と田んぼの位置が逆。港を中心に発展した青森は、市街地が海沿いで田は山側。扇状地の上部に街ができた山形は市街地より標高の低い所に田が集中。従って青森市街地は流末の太い水路が多く、山形市街地は細い水路が網の目のように走り抜ける。暗渠化の手間も其々違ったろうな。
2018-08-02 08:17:31@houk0 そうなんです。山形市内だと名称がはっきりついている用水路は5つあって全て◯◯堰で、市街地の水路はほぼ全てそれらの本流と分流です。東京で堰といったら、川のところどころにあるあの堰を思い浮かべますよねー。
2018-08-01 10:07:54群馬、長野でも堰という場合がある。福島では江筋、という情報を得ました。コメントくださったみなさまありがとうございます。
2018-08-01 19:13:13@nama_kaeru 先日訪れた長野でも、堰でした。堰と川が混在している感じでしたが。 pic.twitter.com/JmJH35q3c9
2018-08-01 10:33:31@Funabashi_ankyo おお、ありがとうございます。堰=江戸時代に作られた用水路をそう呼ぶ事例が多く、川=自然河川、という使い分けではないかと思います。
2018-08-01 19:05:32@nama_kaeru それが、鐘鋳川・鐘鋳堰、八幡川・八幡堰のように、同じ水路に堰・川の両方の呼び方があったり、そこから分水された水路が、川の呼称しかなかったりします。私が知らないだけなのかもしれませんが。
2018-08-01 23:14:14数日前に話題になっていた「堰」のことだけど、同じような疑問をもつ人はいるらしく、国会図書館のレファレンス事例詳細に回答がのっていた。地域差自体は方言辞典でほぼわかるようだが、どうやらもっと奥があるようで、
2018-08-05 04:02:57同じ地域でも、「堰」と呼ばれる用水路と呼ばれない用水路がある。石井進さんの「水系から村の歴史を探る」『中世の村を歩く』朝日選書によると、安曇野の「用水路の呼び方を総観すれば、近世は「〇〇堰(せぎ)」、
2018-08-05 04:03:39それ以前の古代・中世は「〇〇沢」「〇〇溝」「〇〇井」が多い」(91頁)のだそうだ。造られた年代だけでなく、用水路の形態にもちがいがあって、より旧い用水路は扇状地の旧流路を使っていて「〇〇沢」、
2018-08-05 04:04:17より新しい用水路は、別の川から取水し扇状地を横断する形で走っていて、「〇〇堰」と呼ばれる。つまり、人工性の強い用水路ほど「堰」になる。となると、時代だけでなく、用水路のつくり方も影響しているのかもしれない。
2018-08-05 04:05:10「沢」も「井」も自然河川にも使う。「溝(ウナデ)」は論争があるが、必ずしも人工的な用水路に限らないようだ。それに対して「堰」は人工的な用水路にしか使わないのではないか。「堰」で堰と用水両方をさす事例もある。
2018-08-05 04:05:53そのあたりから妄想を膨らませるとww。「堰」と呼ばれる用水路は開設も維持もかなり人工的で、その一番重要な施設は取水用の堰になる。だから「堰」で用水自体もさすようになり、そういう用水路が多い地域では、用水路を「堰」と呼ぶ習慣ができた。
2018-08-05 04:07:26そんな経緯も考えられそう。いやただの想像だけど(^^;;。 で、山形五堰は扇状地の旧流路を使っていると思うのだけど、取水などで人工性が強いのかな。それとも用水路を「堰」と呼ぶ習慣から来ているのかな。気になった。
2018-08-05 04:12:22@sumizome_sakura おおおー!まだ調べ始めていなかったのですが、他の呼称含めて情報ありがとうございます!山形についてしかまだ言えませんが、あれは取水も流路も人工性が強いです。その前に馬見ヶ崎川を付け替えるところから始めているはずで、五堰はまったく人工的に掘削されている印象、、但し印象なので、
2018-08-05 10:00:31@sumizome_sakura そろそろ地元の図書館に行ってちゃんと調べなければいけませんね、、、お盆にあいていれば。弟が中学生の時に「県内の用水路」を自由研究していましたがその時も、また常に誰かが「堰」と言ったのを聞いたことはなく、少なくとも市内では薄れてしまった呼称で、インタビューが役に立たなさそうなのです
2018-08-05 10:08:14@sumizome_sakura もうちょっと付け足すと、確かに宮町堰は馬見ヶ崎川の旧流路上、つまり流れるべき場所を流れているように思えます。けれど残り4堰は、流すべき場所にしたのではないかと思っています。いまシャワー浴びながらふと思っただけなんですが…w
2018-08-05 10:43:30@nama_kaeru ぼくが見た小冊子では、八ケ郷が付け替え前の馬見ヶ崎川だったろうとありました。旧県庁の近くは水っぽかったので、宮町と八ケ郷は付け替え前の流路を使っているのかもしれません。笹堰はかなり人工っぽいですね、たしかにww。
2018-08-05 14:27:24@nama_kaeru 扇状地の川は超長期には端から端まで動くので、武蔵野台地のようにずっと前の流路が沢や谷として残っていたかもしれませんが、「一体的に設計された人工的な水利施設」として受け取られていれば「堰」と呼ばれるのも自然な気がします。
2018-08-05 14:27:51