手がのびて「馬鹿なことを言うな!」大喝一声,大きな掌で私の頬を二つ三つ撲りつけながらも「俺が陸軍を代表して死ねばよいのだ.お前たちこそ後に残って,日本を守ってくれねばならぬ……分ったな,短気を起してはいかんぞ」大臣は宮城事件をご存じない.一般の人と同じに死ぬなと仰言るのだ」
2018-08-15 04:21:055時30分,陸軍大臣阿南惟幾が陸軍大臣官邸で自刃 6時から7時の間,畑中建二少佐が日本放送協会を後にした 6時40分,昭和天皇が三井侍従から状況報告を受けた 7時,昭和天皇が蓮沼侍従武官長から鎮定報告を受けた 7時10分,陸軍大臣阿南惟幾が絶命
2018-08-15 04:24:047時21分,日本放送協会は玉音放送の予告をニュースで伝えた 大東亜省南方事務局政務課事務官の三宅喜二郎は外務省に行った 「前夜半,「終戦」反対の一部陸軍軍人(近衛師団の一部将校等)が,叛乱を起こし,正午に予定されていた「玉音放送」の録音盤を奪取せんとして宮中に乱入したことがあったとて,
2018-08-15 04:25:31大騒ぎであった.私が或る幹部の方に,「終戦」の詔書掲載の新聞はどうなっているかを尋ねたところ,未だ配達されずに各新聞社でとめているとのことであった.私は,速かに配達させて一刻も早く「終戦」のことを国民に知らせてしまうのがよいとの意見を進言しそのように取り運ぼうということになった」
2018-08-15 04:25:48内閣書記官長迫水久常は,目黒の長者丸にいる総理大臣鈴木貫太郎を訪問した. 「そこへ行ったら,鈴木さんが,「おい迫水君,もう御免をこうむろう」といって,秘書官を呼んでカバンのなかから一枚の辞表を出された.それをみると「聖断をわずらわすこと一再ならず,まことに恐懼の至りにたえず骸骨を
2018-08-15 04:26:44乞い奉る……」それをみたときホッとしたね」 11時を少し回った頃,近衛歩兵第1聨隊第1中隊の小松良郎ほかの第1中隊全員が放送局1階ロビーに整列した. 「私たちの前に,金ピカの参謀懸章をつけた,東部軍司令部の小沼治夫少将が立った.彼の口から出た命令は不思議なことに,こう変っていた.「命令
2018-08-15 04:28:17ヲ達スル,当中隊ハ以後ノ放送ヲ援護スベシ」封止と援護との違いぐらいは兵隊にも分る.しかし何故一八〇度変ったのか,理由の説明がないので,全員があっけにとられた.まもなく富岡少尉について私は階段をのぼり,第八スタジオの入口をはさんで立った.彼は軍刀を抜き,私は小銃の安全装置をはずした
2018-08-15 04:28:29引金をひけば弾丸が飛び出す.二人のあとから現れた二人の憲兵も,拳銃をサックから抜いた.やがて踊り場に頭が現れ,紫色のフクサにつつんだ,平べったい包みを捧げ持った人をはさんで,数人の男が姿を現した.彼らはスタジオの中に消えた.扉は開いたままになっていた」
2018-08-15 04:28:42正午,日本放送協会のニュースはポツダム宣言受諾を放送した 日本放送協会アナウンサー藤倉修一 「初めて聴く陛下の声はむせぶような哀調を帯びていた.やがてこの歴史的放送を担当した和田信賢が上着をかかえ,汗びっしょりになって部屋に戻ってきた.いつもの不敵な面構えはどこへやら,緊張にこわば
2018-08-15 04:31:03った顔はまっ青だ.「おつかれさま……」と私が声をかけても見向きもせず返事もせず,長椅子の隅に腰をおろすとガックリと肩を落として「フウーッ」と大きな吐息をもらした.マイク一本に命をかけるアナウンサー稼業の,辛さみじめさを思い知らされた一瞬であった」
2018-08-15 04:31:11@kijibato_hato 出典 井崎乙比古:“軍用鳩”飛び始めのころ,偕行.,68(1957.4),p.5 「先輩四王天閣下のお土産である二千羽の鳩がつきました.フランス人の教官 三人が美しいパリヂェンヌの夫人同伴で,中野の当時,電信聨隊にやって来ました.四王天さんのフランス語は一流です.美しく髪をわけられた
2018-08-15 04:41:53あの整ったお姿,日本人には珍らしい長身の方でした.三人の軍人----一人は将校,二人は下士官でした.ところが鳩の経験より申せば,下士官の方が先輩でした.そこで仲がよくない.私は当時,庶務主任将校で連中の世話が大切な役目でした.私のあやしいフランス語で図々しくやりました.笑い話を披露し
2018-08-15 04:42:15ましよう.一人は独身二人は妻君持ち.一人氏も同じ官舎に住まっているので,三年もこのままではたまらぬ,と私に小声でいいました.内容は,御想像にまかせます.そこで陣地を新宿のS 屋にきめました.一人氏(ストリユーブ曹長)が今夜放列をしきたいと私に申し出てくると,夜間鳩訓練という名目で,車
2018-08-15 04:42:29を飛ばせます.S 屋は今はどうか知りませんが,当時はなかなか大きな店でした.写真時代の一寸前でしたから,活人画が一列横隊に行儀わるく並んでいます.私は車を返して,観測所で弾着の様子を見ています.観測所というのはS 屋の一室です.やがて発射音が済みますと,先生,さも満足そうに毛だらけの
2018-08-15 04:43:13大きな手で,「モッシュウ・メルシー・ボーリー」といいながら握手しました」 ,「その後,私はフランスに参って当時の三人に会いました.そこで最も私を歓迎してくれましたのは,誰あろう,昔,新宿で敵陣地に猛射を浴びせた彼のストリューブ君----その人でした」 「鳩を民間に普及させると委員会議
2018-08-15 04:44:11できまり,子鳩払下げということになりました.当時,軍用鳩の元締は軍務局長の菅野尚一閣下でした.ある日の会議で,払下げ代金は何程にすべきや,主計さんも払下げの適正な標準がないらしく,黙っていました.すると,閣下は乃公が決めるからよろしいと大声で「一羽五円」といわれた.当時,金五円は
2018-08-15 04:44:23相当なもの.民間に普及するために,そんな高価では目的に反すると,当時の委員木下閣下か弘岡閣下の御意見.かつまた軍人でも飼いたいものもあろう,それも五円ですかと反問されました.すると,また大声で然らば現役将校に限って,一羽一円に割引するとの御託宣.一同安心しその後,新聞・通信社
2018-08-15 04:44:35