『ロトチェンコとソヴィエト文化の建設』に関する自分のツイートまとめ

何を読み取ってわざわざツイートまでしたか抽出。
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鏡双司 | Skeb Open @SO_C

p.144あたりはイーゼル絵画捨てて、絵画に見切りをつけて、フォト・コラージュを使い始めた理論? 思想? の背景。詩の表紙、挿絵が、詩から逸脱するという話は写真とテキストの関係として、最近の関心事に寄せて読んでる。

2018-08-23 12:33:17
鏡双司 | Skeb Open @SO_C

『さすらい』では写真とテキストが関係あるようでないような、並行関係だった。

2018-08-23 12:34:08
鏡双司 | Skeb Open @SO_C

ポスターについての理論、ロシア正教からの影響このあと書かれるだろうか。

2018-08-24 08:56:18

鏡双司 | Skeb Open @SO_C

「第三部 写真ーー社会主義の視覚的言語」に入る。写真に関する言説、最近何冊か読んでいるので、楽しめそう。

2018-08-24 09:37:38
鏡双司 | Skeb Open @SO_C

反対のための反対、論争のための論争の色が濃いところは目が滑るなあ。

2018-08-25 21:48:13
鏡双司 | Skeb Open @SO_C

「ロトチェンコはレーニンの写真ファイルという例えを通して、特定のイメージへの帰着を拒絶する、複合的で集合的な新しい表象のモデルを提示したのである」『ロトチェンコとソヴィエト文化の建設』p.219

2018-08-26 13:32:08
鏡双司 | Skeb Open @SO_C

時代背景このころどうなってたんだっけか。

2018-08-26 13:32:53
鏡双司 | Skeb Open @SO_C

フォト・ルポルタージュがプロパガンダに使われだしたのが1930年代。確か米でグラフ誌が創刊されたのが二度の大戦の間だった(『フォト・リテラシー』)。カメラの小型化あってこそだから、技術が主要因か。新しいという属性が耳目を集めるいし。

2018-08-27 09:04:53
鏡双司 | Skeb Open @SO_C

「ロトチェンコは「見る(смотреть = look)」と「見える(видеть = see)」を区別し、前者を意識的な視覚、後者を意識なき視覚としてとらえている」『ロトチェンコとソヴィエト文化の建設』p.186

2018-08-27 09:22:12
鏡双司 | Skeb Open @SO_C

ここは中動態的なとらえ方。

2018-08-27 09:22:13

ここが最近考えていたことと一致していておもしろい。どう区別していたのか、もう少し詳しく知りたいところ。

鏡双司 | Skeb Open @SO_C

『カルティエ=ブレッソン』で読んだ、ロシア、ウクライナを訪れた話はいつ頃だったかなあ。

2018-08-27 09:25:04

鏡双司 | Skeb Open @SO_C

ロシアの共有地としてロシア現代思想の文脈で参照されているのは、国有だけど管理実態のなくなった土地・空間だから、ほとんど当時の写真ないんだろうなあ。

2018-08-27 09:32:29

鏡双司 | Skeb Open @SO_C

読み終えた。表現の自由がない中で、毀誉褒貶にさらされつつも、可能性を切り開いていったように描かれている。/ 『ロトチェンコとソヴィエト文化の建設』 amzn.to/2LaPWj6

2018-08-27 21:01:55
鏡双司 | Skeb Open @SO_C

体制と一部は夢を共有しつつ、資本主義への反対のための反対とか、内輪の勢力争いとか、目的を見失っている議論に巻き込まれて、ままならなかったんだろうなあ。

2018-08-27 21:10:18