『点と線』は「日常の謎」である(「大量死」がミステリに及ばした影響)

ミステリを「~殺人事件」で括ってしまう前に――「死」(概念)から「死体」(オブジェクト)へ ( https://togetter.com/li/921709 )の続編? ※今、思っていることをとりあえず備忘的まとめ。 ※10/14、マルセル・デュシャンの『泉』から派生した思索を追加。
1
じねん @jinensai

(RT言及)前にもつぶやいたかもだけど、戦争による大量死がもたらしたものって、「死」の一般化で、尊厳うーたらはひねりが効きすぎてむしろ不自然な捉え方に思える。「死」が概念から分かたれ、「死体」というオブジェクトに一般化することで、それを科学的に探求する「探偵」が受け容れられる。

2018-09-29 22:09:42
じねん @jinensai

ホームズ譚が一般大衆に受けたのは、「死」という厳粛なものを「死体」として扱い、そこから意外な真相を導き出すという手法を展開できたことにある。『緋色の研究』の冒頭付近で死体を棒で叩くホームズは、21世紀のカンバーバッチ版では乗馬鞭を楽しげに振るうまでにエスカレートしている。

2018-09-29 22:17:59
じねん @jinensai

表現が堅すぎるが、以前つぶやいたまとめ。→ ミステリを「~殺人事件」で括ってしまう前に――「死」(概念)から「死体」(オブジェクト)へ - Togetter togetter.com/li/921709 @togetter_jpさんから

2018-09-29 22:23:01
じねん @jinensai

大量な死は「無意味」ではない。それによって一般化・平等化が進んだ。地位の上下関係なく将校佐官、学徒、老若男女、金持ちも貧乏人も、皆等しく「死」を迎え、それを戦時下で皆が目の当たりにした。「死」をありふれた一般的なものと共通認識した大戦間にミステリの黄金期が訪れるのは偶然ではない。

2018-09-29 22:48:27
じねん @jinensai

「大量死」に「無意味」という意味づけをすることで、事象としての「大量死」が視界の外に追いやられていたのではないか? 一生の内に家族や友人知人という一握りの隔離された「死」にしかお目にかかれないはずだった人々が日常的に「死」に接することで、「死」は「死体」として捉え直されたのだ。

2018-09-29 23:02:53
じねん @jinensai

「概念」から「オブジェクト」に変質することで、それ(「死」)は弄り回されても良い、エンタテインメントの題材へと傾斜する。穿った見方をするならば、結果的に社会派の退潮を招いたのは「人間ドラマ」重視による「死」の再「概念」化に他ならない。「死体」が「死者」になっては興醒めであろう。

2018-09-29 23:12:10
じねん @jinensai

清張の『点と線』や『時間の習俗』は人物の生活者としての背景は匂わす程度で、人物の移動経路などを図式化し、仮説を弄り回す「過程」がメインに思う。「死体」さえ登場しなければこの構図は「日常の謎」そのものだ。表層的な違いで別物として整理分別すると見失いがちなことだが。

2018-09-30 07:13:08
じねん @jinensai

多くのミステリにおいて、死体をバラバラに切断したり、首切りやはたまた何かに見立ててオブジェのように飾り立てるのも、それが「死体」というモノ即ちオブジェクトだからであろう。不謹慎で露悪的な趣味だが、それは弄り回してよいエンタテインメントの題材として魅力的だからなのだ。

2018-09-30 07:31:51
じねん @jinensai

エンタテインメントに対し「死の尊厳」を振りかざすのも野暮というもの。ハードボイルドや本格などにも「死体」(あるいは死に対する責任)の団体・個人間のなすりつけあいがコメディーに昇華しているものも少なくない。一見「死」を愚弄しているように見えるが「死体」というモノなのは留意が必要。

2018-09-30 08:00:29
じねん @jinensai

「死体」に限らず欠損や過剰を来たしたピース(壊れた懐中時計、暗号で残された手紙、そこにあるのが不自然な置き物、etc...)に、読者自身も仮説を脳内で弄り回しつつその解明過程を楽しむのがミステリであろう。「人間ドラマ」はその納得を担保する役割で、メインになっては本末転倒なのである。

2018-09-30 08:13:52
じねん @jinensai

マルセル・デュシャンja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E…の『泉』を知ったのは小学校か中学校の小テストのプリントだったと思うが、その頃から心に妙に引っ掛かり続けている。 今朝TLでバンクシーからの流れで『泉』が取り上げられていて、また思考し始めている。(続

2018-10-14 09:06:48
じねん @jinensai

承)先日「大量死」は無意味ではなく意味がある趣旨のつぶやきを展開したが、第一次大戦中の1917年はいわゆる「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」の時代に相当している(ミステリ脳)。「死」が概念から解き放たれ「死体」というオブジェクトへパラダイムシフトを起こしているのだ。(続

2018-10-14 09:08:15
じねん @jinensai

承)前掲Wikipediaに「みるものが芸術をつくる」というフレーズが出てくるが、レディ・メイドを文学・文章の手法的に置き換えると、それはミステリというムーヴメントとおおよそ重なるのではないか。見る側の見る角度と読む側の読む角度は通底している。(続

2018-10-14 09:09:36
じねん @jinensai

承)ミステリに於ける「騙された/騙されなかった」は、読む側がどのように読んだかという「角度」に帰納しているのではないか。騙しているのは読者である自分自身だ。それを作り手側に全振りしていては見えるものも見えなくなってしまう。(続

2018-10-14 09:11:07
じねん @jinensai

承)美術展という空間に署名した便器というオブジェ即ちオブジェクトが出品されるのを見る側がどう感じて何を思い如何に思考するかという現象は、さながら一幅の良質なミステリ的情景に思えてしまうのである。

2018-10-14 09:11:51
じねん @jinensai

「容疑者x論争」の問題の根っこは、実はここにあると推察している。 twitter.com/jinensai/statu…

2018-10-14 09:17:04