斎藤環氏のヤンキー文化批判に関して感ずる違和感

ヤンキー文化はかつては左派の思想拠点だった。敵方の支持基盤になった途端批判するのはどういうものか
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徳永基二 @tokunagamotozi

斉藤環氏と福山哲郎氏の「フェイク時代に隠されていること」を読んでいる。斎藤氏は冒頭でヤンキー文化を批判しているんだけど、”左翼”の自分にはヤンキー文化を批判する気になれない。なぜってかつての左翼はヤンキーうbン化を拠点に体制批判をしていた経緯があるから

2018-10-03 22:34:58
徳永基二 @tokunagamotozi

1960年代末~1970年代、「右手にジャーナル、左手にマガジン」の時代。少年マガジンで天才バカボンやあばしり一家が連載されていた時代、左派は明らかにヤンキー文化を拠点に政府批判をしていた。学校(体制)をドロップアウトし、後の暴走族、ツッパリ文化に過剰な期待を抱いていた。

2018-10-03 22:39:57
徳永基二 @tokunagamotozi

「ワイルド7」などもそやって生まれた漫画だし、「愛と誠」もそういう時代背景で生まれた作品だった。ヤンキーには自生的秩序があるというが、左派はそこに国家に対抗できる民衆のー民族の自生的秩序(体制転換の証)をみたもの

2018-10-03 22:43:35
徳永基二 @tokunagamotozi

今でこそ民族は右翼の言葉だけど、1950年代はバントン会議(そのリーダーは中国の周恩来、インドのネルー、ユーゴーのチトー、エジプトのナセルだった)に見られる第三世界の連帯に続けとばかりに米帝日帝の支配構造に対抗しえる民族間連帯に希望を見出していたもの、

2018-10-03 22:47:50
徳永基二 @tokunagamotozi

古い話ともいえるが、その考えは70年代全共闘や三里塚闘争にも引き継がれている。なぜ、反米反天皇制を掲げる組織が東アジア解放戦線を名乗っていたのかもそこにある。

2018-10-03 22:50:47
徳永基二 @tokunagamotozi

本田勝一氏の書籍「そしてわが祖国日本」「日本人は美しいか」「麦とロッキード」の辺りで自民党型開発主義ー日米安保体制に地域の独自の文化から異議申し立てを行うという発想にもそういった姿勢が連なっている。

2018-10-03 22:55:06
徳永基二 @tokunagamotozi

それが敵方の支持基盤になった途端に批判するというのはいかがなものだろう。むしろヤンキー文化徒歩と一括りにせずに時代ごとの変容を見て、なぜ敵方の支持基盤になったかを振り返り、どうすれば取り戻せるか考えるのが筋だろう

2018-10-03 22:58:08

コメント

地球ネコ @c9nk 2018年10月5日
地方のヤンキー(≒暴走族)文化は、元から右派の領分じゃないのかな。地元の若者が集まる暴走族は、中世の若衆宿みたいなもんで、ヤンチャな若者が成長する一段階として地域に黙認されていた。やがて「先輩の仕事を手伝わされる」という形で、いわゆるガテン職に就いてヤンキーは卒業。自営業者として成功を納めれば、青年会議所(JC)や、まちおこし団体に参加。それらの活動を通して知り合った保守系政治家の支援基盤になるまで、ヤンキー〜右派の回路は完成されていると言えるんじゃなかろうか。
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