丹生谷貴志ツイートまとめ(2018年10月)

丹生谷貴志さんの2018年10月のツイートをまとめました。
0
前へ 1 ・・ 4 5
nibuya @cbfn

空疎な余談。キリストの誕生を、牛や驢馬のような飼いならされたものであってもともかく獣たちが取り囲み、ブッダの入滅を夥しい獣鳥昆虫が取り囲んだのだとすれば、獣たち飛ぶもの地を地中を這うものたちは人間から「その者」を奪還することに成功すべきだったのだし多分成功したのだ。bêtise! holà!

2018-10-26 10:14:33
nibuya @cbfn

空疎な余談。今更「ジル・ドゥルーズは自殺したのだ」と確認しても殆ど無意味ではあってもその仕事が「完璧に消え去る準備」の態勢でもあったことは再認されるべきだと思うのだ。(思う・思った・思います・思うのである・思うのでござるetc.、なるほど語尾は厄介だ、絓さん・・・)。

2018-10-26 10:55:02
nibuya @cbfn

空疎な「思い遊び」。ロラン・バルトは「消える風もなく」ため息めいて消えた、ミシェル・フーコーは多分「苦笑いの承認のように」、ラカンはラカン派の廃絶を、その拒絶を知りつつ宣告して、デリダは、署名の終わりのない解体の残存として残存するだろうころを知って・・・etc.

2018-10-26 11:37:33
nibuya @cbfn

余談。「批評」は例えば小説・詩と読者との間に「夾雑物」を導き込むとしてそれは夾雑物を除去するためであると言明するなら、無論最終的には「夾雑物」としての自身を消滅させなければならないし、究極的には「作品と読者」も消え去る地点に矢印をつけて、消える? 矢印は「飛んで飛ばない矢」etc.

2018-10-26 12:08:46
nibuya @cbfn

余談。楽しげな経済学者と楽しげな解剖学者は何故か同類に見えて鬱陶しく、結局のところ「猛然とした退屈さ」に無性に「憧れる」ことがあって、さしあたり驚くほど安価(五百円!)だった『中村光夫全戯曲』を入手・・・もっともこれが思惑(!)に応えてくれるのかはまだ未知。

2018-10-26 13:16:35
nibuya @cbfn

「いつの日か我々は狂気が何であったのかわからなくなるだろう」とのフーコーの予示から60年、当然その日は訪れていると想致すべきだ。そこでの狂気が専ら文学言説に関わっていたとして、亀裂陥没として作品を活気づけてきた狂気は言説内に吸収・技法化され狂気の偽装だけとなり、当然「文学」は消える

2018-10-26 17:48:02
nibuya @cbfn

空疎な余談。無葛藤論争の完了?葛藤の本質性はプログラム化され、プログラマーに残存しもしよう葛藤をさらなるプログラムが処理しetc.最終と見なされるプログラムがプログラム化したものが例えばレムの「砂漠の惑星」の蠅状群性を前人間場に放つ。それが中空に人間の顔のシミュラクラを描くかは不明。

2018-10-26 18:09:34
nibuya @cbfn

平凡な話。日本的心性は象徴界の機能が弱く想像界に混入吸収される傾向があるとして、問題は、象徴界の弱さは現実界との「対峙」の欠落を結果するが、一方想像界は現実界との逼迫性を階層的には持ちながらそこからの第一分離という点で逆に疎隔性が高く、要は現実界が完全に隠蔽されるという点にある。

2018-10-26 19:32:26
nibuya @cbfn

平凡な図式。無論現実界はそのものとして露出することはない。西欧ではブランショ風に言えば「”全ては消え去った”の露呈=象徴界の瓦解-希薄化の露呈」として現出する。日本では想像界の粘る泡状奇形肥大、言わば「もののけ」として現出し、それは現実界の逼迫を飲み込んで隠蔽をむしろ強化する。

2018-10-26 21:23:01
nibuya @cbfn

余談。千葉雅也『意味がない無意味』が届く。感謝。ポストモダンは「近代性」に惑乱させられてきた「日本人」を喜ばせたが、本書の展覧する地平は、皮肉なしに、さらに喜ばせるだろう。「日本人」はついに解放されるかもしれない。たぶん、「日本人である」ことから「日本人となること」へ向けて。

2018-10-27 11:30:42
nibuya @cbfn

メモ。日本近代文学は想像界中に放恣に散布されていた文を「象徴界的父」の産出によって再編する試みとして成立したとして、問題はそうして産出された「父」が想像界の中から偽装的に分離された言わば「長男」的なものに過ぎず、故にそこでも現実界との「対峙」性が回避されてしまったことだと思われる

2018-10-27 19:27:02
nibuya @cbfn

メモ。絓秀実『日本近代文学の〈誕生〉』は「象徴的父」の産出によって「言文一致=近代”国民”文学」が生成・誕生する「制度的-政治的」様を描いて完璧な研究だと思うが、その「父」の偽装性によって隠蔽されてしまった現実界との「対峙」の欠落の問題については多くを語っていない? 再読すること

2018-10-27 19:37:27
nibuya @cbfn

メモ。絓秀実の仕事に並走する場所に置かれることの多い渡部直己の仕事は「日本近・現代文学」を想像界的諸編成の歴史と捉えた上で、想像界による現実界の隠蔽が、不意の倒錯性において滞留し「現実界の逼迫」を露出させる場所に「小説」を探し出そうとする試みである? どれもこれも注視し直すこと。

2018-10-27 19:55:30
nibuya @cbfn

メモ。絓秀実の「言文一致」論はラカン=ジジェクの図式の運針をおもにして進められるが、驚くべきは「明治文学」がその図式で輪郭を説得性を以って露わにされてしまう事実だ。こんなことでいいのだろうかと思うほどに完全に。そのことに感嘆すると同時に一種の馬鹿馬鹿しさで脱力してしまうほどに、

2018-10-27 23:51:11
nibuya @cbfn

出鱈目仮説。想像界が機能不全を起こし、それを再構築すべき象徴界のように扱う錯誤を日本浪漫派に見るとして、再度それが崩壊すれば次は「偽の想像界」を構築するしかなく、それを砕け散った偽の言葉の象徴擬装の衣装で包んで奇妙な案山子を立てることを文学とする者が誕生し、例えば三島・安部等々?

2018-10-28 17:05:58
nibuya @cbfn

証拠!? 三島「無意識というものは、おれにはないのだ」 安部「そんなバカな」 三島「絶対にないのだから」 安部「そんなむちゃくちゃな」 三島「駄目だよ。おれは無意識はないよ」 安部「そういう変な冗談言うなよ」(笑い)  --安部・三島対談「20世紀の文学」

2018-10-28 20:59:18
nibuya @cbfn

初歩メモ。「前言語的なもの」の実在は疑い得ないがそれを実証するためには「言葉というもの」を発した「最初の者」を発見しなければならず、その者は必ずいるに違いないが、「神話に眠るな」という命令が発せられれば、共時通時共にその探索は継続と中止が同じになる。これは断念であってはならない。

2018-10-28 23:18:06
nibuya @cbfn

図式の確認。「名も無きものとその場所」まずは「市民」、「庶民」さらに「それ以下」等々が「主人公その他」の地平となった時近代文学が形成されるが、それは「名づけ得ぬもの」の逼迫を裏張りにし、「名づけ得ぬもの」そのものの露出は文学を崩壊させるから、それへの不安と排除がその延命となる。

2018-10-30 09:17:03
nibuya @cbfn

図式の確認。近代文学は「名も無き者」を「世人」の中に「引き上げ=均す」その過程として形成される(絓)とすれば、「小説」は「世人」化した者が取得した固有名の中で、逆に、固有名の崩壊そのものと化し分解・下降して行く、その過程・露呈”自体”として誕生する(大杉)。言葉もそれに準ずる。

2018-10-30 09:33:48
nibuya @cbfn

空疎な思いつきメモ。ミッキーー・マウスの世界的遍在と「ビリケン」の奇妙な世界的伝播-遍在、性質の差異をその過程から比較してみること。酒井隆史さんが『通天閣』でやってるのか、まだ読んでない、いつか調べること。

2018-10-30 09:45:42
nibuya @cbfn

どうでもいい話。島尾敏雄の『死の棘』を「男性作家」たちが「身につまされて」読み評価する様子を金井美恵子さんがからかっているが、どっちにしろ「身につまされて評価する」という気配ではこの小説は「異色のメロドラマ」ではあっても、小説としては過大評価だろうと思う。

2018-10-30 11:55:12
nibuya @cbfn

どうでもいい話。「自分は通俗作家・職業作家のふりをしている芸術家なのだ」なんて作家にたいして(日本作家には結構多い)、「自分は徹頭徹尾真面目な通俗作家である」と宣言していたし事実そうであった点においてこそロレンス・ダレルの優位性がある。

2018-10-30 12:04:23
nibuya @cbfn

どうでもいい話。衆知のようにアシモフに『夜来たる』というSF史上の最高作とも言われる素敵な短編があるが、残念ながらその世界でどんな小説が書かれ読まれていたかの記述はない。或いは存在しないのかもしれない。しかし部屋を暗くするという習慣はなかったのか? 夜の噂で小説は発生したか?

2018-10-30 12:38:27
前へ 1 ・・ 4 5