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道民の人@廃墟写真個展10月土日祝のみ開場 @North_ern2
水銀の文化っていうのは面白いもので、古くからその特異な性質が人間の好奇心や探求心を焚きつけた例は数多い。国内だと、三重県や奈良県に多く水銀が産出したが、「三重」という地名自体水銀に由来しているのだ。
道民の人@廃墟写真個展10月土日祝のみ開場 @North_ern2
「三重」の地名の出典で最古のものは、古事記の「三重村」で、伊吹山で神に舐めプしてしまったがために敗れたヤマトタケルが大和へ帰る途中この地に辿り着いた時には、彼の足が三重に折れ曲がってしまっていたといい、これが三重村の名前の由来という。
道民の人@廃墟写真個展10月土日祝のみ開場 @North_ern2
ほぼ同時代に刊行された『播磨国風土記』にも、播磨国の「三重村」の由来が掲載されている。「昔、ある女がいた。この地に生えていた筍を持って帰り食ったら、足が三重に曲がって起き上がることもできなくなってしまった。これが三重の由来である」という。
道民の人@廃墟写真個展10月土日祝のみ開場 @North_ern2
さて、三重県の三重村が現在のどこかというと、有力視されているのが三重県四日市市水沢町で、現在は「すいさわ」と読むこの地名は古くは「みさわ」と読み、同じ読みの地名を探すと『出雲国風土記』に仁多郡三澤の伝承が載せられている。それによるとこうだ。
道民の人@廃墟写真個展10月土日祝のみ開場 @North_ern2
・補足と訂正 >ヤマトタケルの足が三重に折れ曲がってしまっていた 正しくは「三重に折れ曲がってそうなくらい疲れた。もうだめぽ…」的なニュアンス >三重県四日市市水沢町で、現在は「すいさわ」と読む 正しくは「すいざわ」
道民の人@廃墟写真個展10月土日祝のみ開場 @North_ern2
「オオナムチノミコトの御子、アジスキタカヒコは大人になっても泣いてばかりで言葉を話すことが出来なかった。オオナムチが占いでその原因を探ると、翌朝アジスキタカヒコは「御津(みつ)」と言葉を発したので、この地を「御津」と名づけ、そして今は三澤(みさわ)と呼ぶ」
道民の人@廃墟写真個展10月土日祝のみ開場 @North_ern2
更にいうと、播磨国の三重村の女の記事はなぜか同じ国の品遅部(ほむじべ)村と同じ条に記載されている。品遅部村は垂仁天皇の時代に、口のきけないホムチワケという王子が出雲の宮を訪れると口がきけるようになったことから設置された品遅部の民に与えられた土地なのでその名がついたという。
道民の人@廃墟写真個展10月土日祝のみ開場 @North_ern2
口のきけない神と王子、同じ音の地名、そして同じ伝承…。おまけにホムチワケが出雲へ行く際にお供をした「曙立王」と「菟上王」を祀る神社が、三重県多気町の佐那神社、同じくいなべ市と四日市市の菟上神社、なぜか兵庫県ではなく三重県にある。
道民の人@廃墟写真個展10月土日祝のみ開場 @North_ern2
そこで見えてくるのが、三重県の三重と、兵庫県の三重の土地でかつて採掘されていた水銀。これらの伝承の大元はすべて水銀中毒による症状から取られたという説がある。
道民の人@廃墟写真個展10月土日祝のみ開場 @North_ern2
「播磨の三重村の女とヤマトタケルの足が三重に折れ曲がった」というのは水銀中毒による歩行困難であり、アヂスキタカヒコやホムチワケが言葉を発せなかったというのも水銀中毒による言語障害だったというのだ。
道民の人@廃墟写真個展10月土日祝のみ開場 @North_ern2
水銀のことを古い言葉では「丹(に)」と言って、かつて水銀の採れた場所の地名には「丹生(にう)(にゅう)」というものが非常に多い。曙立王を祀る佐那神社がある多気町には丹生という地名があり、実際に昭和まで水銀の採掘がされていた。
道民の人@廃墟写真個展10月土日祝のみ開場 @North_ern2
実際に佐那神社があるのは多気町の「仁田(にた)」だが、『出雲国風土記』でアジスキタカヒコの話があるのも仁多郡で、これらも元は「丹田」のことではないだろうか。 水銀と古い伝承に見られる奇妙な一致…稗田先生っぽいけど、実際そうなんだから仕方ないねってお話でした。おわり。
道民の人@廃墟写真個展10月土日祝のみ開場 @North_ern2
たまにこうして謎の民俗学とも史学とも文学とも付かない話を垂れるのが私だ。
道民の人@廃墟写真個展10月土日祝のみ開場 @North_ern2
この説、トンデモ学説じゃなくて民俗学の世界ではけっこう有名な話だから、稗田先生みたいな話も本当にあるんだなあってうれしくなります。
キハチルノ @kinura_KE65
@North_ern2 三重の三岐鉄道に丹生川という駅もありますね…水銀と関連があったんですね…
コトリネコ博士 @cotorineco
@North_ern2 確かに、三重県多気郡にも丹生っていう地名があり、古くからは奈良時代から、戦後まで辰砂(水銀の硫化物の鉱石)が採掘されており、その水銀は東大寺の大仏の建立にも使われた、という記述を見た事が、、
DJえーでん@岸田アイカツ部 @a_dene_dj
@North_ern2 わが町大分は臼杵の城は丹生城と呼ばれてたし、今も丹生さんがいるんだがなんか関係あるのやろうか。
道民の人@廃墟写真個展10月土日祝のみ開場 @North_ern2
@a_dene_dj そこらへんも昔は辰砂(水銀を含む鉱石で顔料)が採れたことに由来するそうよ。
日本廃墟研究所(NHK) @NipponHaikyoKen
@North_ern2 『丹』の字は赤いとか赤土という意味ですが実際、水銀を含む鉱石も赤いのですね 丹生という場所が各地に見られるのは水銀が採れる特徴で共通しているとは知りませんでした pic.twitter.com/vH3BltkEjj
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道民の人@廃墟写真個展10月土日祝のみ開場 @North_ern2
@NipponHaikyoKen 「丹生」の地名は「丹生神社」とも関係あるんですが、こっちは弘法大師にも関係があったりします。弘法大師の拠点は奈良、金剛峯寺。これも水銀に関係ある土地…
日本廃墟研究所(NHK) @NipponHaikyoKen
@North_ern2 三重県民の私は小学生の頃、教師から三重に折れ曲がるくらい疲れたエピソードは聞きました そう述べて今の亀山市で死んだと 水銀云々は今回初めて知ったのでマジかよ!ってなりました
道民の人@廃墟写真個展10月土日祝のみ開場 @North_ern2
@NipponHaikyoKen 神話的にはヤマトタケルが疲れた…というくだりで「三重」の名前は終わりますが、その背景にはちゃんと当時の地理が関連しているという研究結果があります。神話や神様の由来もあながち侮れません。

コメント

のび @Novifam 2018年10月24日
鳥居が赤いのは硫化水銀の色
山吹色のかすてーら @sir_manmos 2018年10月24日
「丹」って朱色の事だからね。奈良吉野の丹生川とか。飛鳥の壁画の朱も硫化水銀。宇陀のエリアにも複数の水銀鉱山があった。
なな爺(電幻開発)@9月16日大阪LPOWで第16回「廃線ナイト」 @level_7g 2018年10月24日
まとめを更新しました。補足情報とリプライを追加
bss @bss_w_n 2018年10月24日
「すごくヤバい集落見つけました」作者マウの別作品「紅殻」思い出した。水銀飲んで海老のように顔真っ赤な即心仏を作るという架空伝承にまつわるミステリーだったかな。
セバスチャン小林(裏) @Dongpo_Jushi_x 2018年10月24日
水銀といえば、織田信長の財源だった津島湊の交易品は辰砂だったとか聞いたな。当時は神職しか販売できなかったとか。
bss @bss_w_n 2018年10月24日
保存してるとこあった http://mewlog.sakura.ne.jp/test/read.cgi/logchannel/965893742/ 「ベンガラだっけ?」「そう。水銀使うからねえ、紅殻って言うんだけど、酷いことしたもんだねえ」つぶやくように言ったとたん、首をふって、後はだんまり。その後すぐ、亡くなりました。 諏訪地方の出身のかた、20数年前は当たり前の風習だったらしい、紅殻というものをご存知なですか?
mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2018年10月24日
秦の始皇帝から大金ふんだくった徐福って人が、不老不死の仙薬を求めて日本に来たとかいう伝説もあり。秦の始皇帝が不老不死の仙薬として飲んでいたものには水銀が入っていたとか。
さどはらめぐる @M__Sadohara 2018年10月25日
うーん、私の解釈はちょっと違うかな。ヤマトタケルの死因は簡単にいうと衝心脚気(脚気起因の心臓発作)。伊吹山で山の神(大猪?)と戦う前後から既にヤマトタケルの体調が思わしくないことは、美濃国多芸野(もともとは当芸【船の舵の意味】と書き、ヤマトタケルの足が脚気による浮腫で足が船の舵のように腫れ上がった状態)や伊勢国に杖衝坂(ヤマトタケルが杖なしではもはや歩けなくなった状態)など、今でもその名残がある。
さどはらめぐる @M__Sadohara 2018年10月25日
で、今の三重県のとある村でとうとう歩けなくなり、村人から差し出された餅を食べる気力もなく、「自分の足が三重の曲がり餅みたいだ」とぼやいたとされる。これは、ヤマトタケルのふくらはぎを指で押しても元に戻らない状態、要するにひどい脱水症状と脚気を併発した状態)を示唆している。そしてこのまま、この地で衝心脚気で亡くなったことで、この村の名は三重村になった。
さどはらめぐる @M__Sadohara 2018年10月25日
ただ、衝心脚気の原因がビタミンB1の不足とわかったのは、ずっと時代を下った明治の話。そのため、風土記の書かれた時代では、単に歩行困難を示す状態やその症状が発現する地域をヤマトタケルの故事に基づいて三重と称するようになったのであろうと推測される。
セバスチャン小林(裏) @Dongpo_Jushi_x 2018年10月25日
で、この時代の水銀の用途はアマルガム精錬とかアマルガムめっきと考えてよい?飲む奴がやたらいるとは思えないし。
歴史 言語@እንጀራ @histoire_langue 2018年10月25日
とりあえずいきなり本籍地の話出てきてびびったとだけ
sukebenayaroudana @Sukebenayarouda 2018年10月25日
M__Sadohara なるほど、脚気心ですか。ありそうです。
ぬこ田ぬこ道(国民脇差協会会長) @nukomiti 2018年10月25日
『古代の朱』かなぁ、手に入りやすいのは。『白鳥伝説』や『丹生の研究』は古書価ガガ。
mikunitmr @mikunitmr 2018年10月30日
柿右衛門はベンガラだね、酸化鉄。
おじゃもん @ojamonas 2019年6月11日
調べてみたら壬生川も丹生川からの変化で、上流に丹原町があったんだよなぁ。
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