渡邊先生の脳に関するツイート

まとめるとどうしても原ツイートの情報量をかなり削いでしまいます。 (同じところを違うユーザさんがまとめたもの) Togetter - 「脳と心理学」 http://togetter.com/li/127822
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渡邊芳之 @ynabe39

脳にしろ人間全体にしろ,「情報を処理している」というのは「コンピュータ」という「情報を処理する機械」のアナロジーで人間を考えている,つまりは比喩です。人間は大昔から「その時代でいちばん進んでいる機械」に人間をなぞらえてきた。フロイトは人の心を蒸気機関になぞらえたといわれます。

2011-04-25 04:45:52
渡邊芳之 @ynabe39

脳に関する考えの多くはまずアプリオリに「この仕事は脳がやっているはずだ」と決めつけて,そのうえで「人間がその仕事をやっているときの脳の働き」を考えようとします。「そもそもそれは脳だけの仕事なの?」のいうことをまず問わなくてはいけない。

2011-04-25 04:50:43
渡邊芳之 @ynabe39

もちろん人間の「高度な認知機能」が「脳がなければ成立しない」のは確かですが,そのことと「脳がその機能を行っている」ことや「その機能が脳の中にある」こととは別のことです。エンジンのない車は走りませんがエンジンだけあっても車は走りません。

2011-04-25 04:55:16
渡邊芳之 @ynabe39

じつは同じことは心臓にも,肺にも,あるいは血管や骨にも言えます。心肺機能がない人はストレスにも対処できないでしょう。だったらなぜ「心臓がストレスに対処している」とか「肺がストレスに対処している」とか言う人がいないのか。

2011-04-25 04:57:38
渡邊芳之 @ynabe39

おそらく心臓の「仕事」や肺の「仕事」がすでにかなりはっきりと解明されているからでしょう。いっぽう「脳の仕事」はまだわかり始めたばかりで不明なことが多い。だからまだわからないいろいろなことが根拠なく「脳の仕事」とされる。「フロンティア幻想」みたいなものですね。

2011-04-25 05:00:34
渡邊芳之 @ynabe39

時計はむしろ宇宙や自然全体とか,生命の基本的な構造の比喩として用いられることが多かったように見えます。 RT @Iesus_Christus: だとすると、17,8世紀のヨーロッパでは人間は「機械時計」になぞらえられたのでしょうか?

2011-04-25 05:06:50
渡邊芳之 @ynabe39

もちろんそうした比喩や幻想ではない「ちゃんとした脳の科学」は存在するのですが,専門家でない人たちが「脳の役割」「脳の働き」などと言うときの「脳」は,単に「こころ」(あるいは「たましい」や「霊魂」)という言葉の言い換えにすぎない場合がほとんどのように思います。

2011-04-25 05:09:40
渡邊芳之 @ynabe39

まさに「一応」です。それ以上でもそれ以下でもない。 RT @fab4wings: でも、一応。ペンフィールドらの研究以降、視覚野は丸とか三角とか一度簡単な情報別に分類してから再構築して認識することが分かってる。

2011-04-25 05:10:46
渡邊芳之 @ynabe39

「脳科学の発展」にたいする「ふつうの人」の解釈は要するに「ついに霊魂のありかが特定された!」「こころが脳にあることがわかった!」であって,それまでの「霊魂」「こころ」の概念がそのまま脳に放り込まれているだけですよね。

2011-04-25 05:16:18
渡邊芳之 @ynabe39

まあ私はスキナリアンでギブソニアンという変な心理学者ですから私の意見が「心理学者の一般的な立場」とはいえないことは注記しておきます。

2011-04-25 05:30:43
渡邊芳之 @ynabe39

行動主義が目指したのは行動の予測ではなく制御。予測はむしろ心理アセスメントの発想。ちなみに行動には予測できなくても制御できることがたくさんある。

2011-04-25 10:47:01
渡邊芳之 @ynabe39

私は「心理学史の流れの中での位置づけ」を言いました。ただスキナーも「制御のために予測は必須ではない」ということを書いていたと思います。 RT @fun9tion: いや、スキナーははっきり「行動の予測と制御」と述べている。実現できたかはともかく、目指していたのは事実。

2011-04-25 10:58:46
渡邊芳之 @ynabe39

けっきょく「人間行動の予測」には心理学以外も含めて誰も成功を収めていないのです。行動分析学は目標を可能な範囲での制御に絞ったことでニッチ的な成功を手に入れたと思います。

2011-04-25 11:01:43
渡邊芳之 @ynabe39

前に書いたように「この人がこれから何をするか予測する」ことはできなくても「この人に何かを頼んでやってもらう」ことはできるわけです。多くの場面で予測より制御のほうが容易。

2011-04-25 11:03:37
渡邊芳之 @ynabe39

「脳が脳が」論というのは社員の行動にクレームを言う時に「社長を出せ社長を」というのと似たような話なんじゃないだろうか。社長が「会社の機能」の「象徴」であるのと同様に脳は「人間の機能の象徴」。

2011-04-25 11:22:08
渡邊芳之 @ynabe39

「象徴としての脳」。

2011-04-25 11:22:29
渡邊芳之 @ynabe39

「脳波という実体を用いて機械をコントロール」することと「人間の機能やこころの主体として脳を位置づける」こととにはものすごい距離があると思います。 RT @takami3: …脳波による機器のコントロールはその最たる物だと思います。

2011-04-25 11:43:19
渡邊芳之 @ynabe39

脳について知らなくても聴覚のメカニズムがわかれば目的は達成されますね。 RT @hyde678: 僕は複数の楽器音が混ざってしまった信号からどうやったら機械で分離させられるかのヒントが欲しくて、聴覚とそれを司っているであろう脳による認知のメカニズムが知りたいのです。

2011-04-25 11:45:34
渡邊芳之 @ynabe39

(A)人間のこれこれのメカニズムについて知りたい,と,(B)ついてはそのメカニズムを司っているであろう脳の仕組みを知りたい,の間にある距離をどうして誰も気にしないのか。

2011-04-25 11:47:26
渡邊芳之 @ynabe39

「人間の機能は脳が司っている」というアプリオリな信念があって,それによって「人間の機能を知りたい」人が「脳を知りたい」と考えるようになっている,ということだと思う。この「脳」を「こころ」や「魂」に入れ替えれば時代は150年逆戻りする。

2011-04-25 11:50:38
渡邊芳之 @ynabe39

知覚や認知を脳の問題にしたい人は,それに適した「抽象的な知覚課題」をテーマにしたがる。

2011-04-25 11:53:54
渡邊芳之 @ynabe39

コンピュータは手によってコントロールできますがこれは手がなにかの「処理」を行っているのでしょうか? RT @takami3: 情報処理が物事に対する対処の主体かどうかは解りませんが、脳によって機械がコントロール出来るなら脳が何らかの処理を行っていると思えます。

2011-04-25 11:55:52
渡邊芳之 @ynabe39

まあ「なにかの機能を持つ」ということが「処理」の意味で,手や足や目や耳が「なにかの機能を持つ」のと同程度に「脳も機能を持つ」から「脳も処理を行っている」というならわかります。

2011-04-25 11:58:54
渡邊芳之 @ynabe39

であれば手も脳も「同じようなことをやっている体のそれぞれの部分」ですね。 RT @takami3: 神経から伝達される信号によって筋肉を動かすと言う信号処理をしていますし、触覚を伝えてもいます。

2011-04-25 12:09:02