渡邊先生の脳に関するツイート

まとめるとどうしても原ツイートの情報量をかなり削いでしまいます。 (同じところを違うユーザさんがまとめたもの) Togetter - 「脳と心理学」 http://togetter.com/li/127822
2
渡邊芳之 @ynabe39

「脳の働き」になんでも放り込むのと「こころ」になんでも放り込むのとはそれほど大きくは変わらないと思う。

2011-04-24 14:47:45
渡邊芳之 @ynabe39

心に「場所」はないと思います。 RT @chatnoir_k: 心は脳にあると思いますか?

2011-04-24 14:53:32
渡邊芳之 @ynabe39

「心は脳にある」という人は「脳にあると考えるのに適したもの」として心を定義している。しかしわれわれが日常的に用いる「心」という概念の意味はそうしたものを大きく超えて拡がっている。

2011-04-24 14:56:26
渡邊芳之 @ynabe39

「私の心が傷ついた」というようなことを「脳の働き」に還元するということが可能か。心を「脳の働き」と考えるためには「心という語の使用」のうちごく狭い範囲にこの言葉の意味を限定しなければならない。

2011-04-24 15:00:03
渡邊芳之 @ynabe39

もちろんそうです。心理学の主要な概念のほとんどは日常概念由来です。 RT @shuhsann: 心理学とは日常的に用いる概念をも対象としているということでしょうか? 

2011-04-24 15:04:12
渡邊芳之 @ynabe39

「心は脳の働きである」と考えたい人がそれに合わせた「心の定義」をするのは当然のことだが、定義の包括性が低いこと(心といわれる現象でありながらその定義では捉えられないものが多いこと)は意識されないとならない。

2011-04-24 15:08:31
渡邊芳之 @ynabe39

「心の科学的な定義」はいくらでも可能ですがそこからは「われわれが日常的に心と呼んでいるもの」のうちかなりの部分がこぼれ落ちます。 RT @chatnoir_k: なんとなく哲学な世界、科学的には心という概念はないのですか?

2011-04-24 15:11:10
渡邊芳之 @ynabe39

私自身は「日常概念としての心的概念が持つ豊かな意味の世界」のほうに興味がある。そこではもちろん脳も重要な要素のひとつであるが、脳以外の身体や知覚システム、周囲の環境、他者の存在や「他者の脳」、そして社会や文化も同様の重要性を持つ。

2011-04-24 15:16:44
渡邊芳之 @ynabe39

端的にいって、われわれが「心の問題」と考えていることの相当の部分は他者との関係の中で立ち現れる社会的な現象である。それを個人の脳の機能に還元して考えることは困難だし、それ以前に間違いである。

2011-04-24 15:19:54
渡邊芳之 @ynabe39

心理学です。 RT @shuhsann: 先生のおっしゃることは正論だと思いますが、零れ落ちるものを学問しようとしたらなにになるんでしょう。宗教とか文学の世界になるのでしょうか?

2011-04-24 15:23:40
渡邊芳之 @ynabe39

心の成立を支えるものとして身体を重視するのは正しいです。 RT @atsushifemme: @shuhsann こんにちは。身体が脳に対して反応を返す事によって心が生まれる、従って肉体と脳が表裏一体となって心が生まれる、と考えます。新しい理論ではありませんが。

2011-04-24 15:26:41
渡邊芳之 @ynabe39

まさに心は「縁起」なんですよ。 RT @gumou: 仏教でも同じとらえ方してます。

2011-04-24 15:28:26
渡邊芳之 @ynabe39

そんなに簡単に求めるなw RT @sa_kichi_: とても興味のあるお話なのですが、ちょっと私には難しいです。「他者との関係の間で立ち現れる社会的な事象」を具体的に設定して、例を挙げていただけますか?

2011-04-24 15:37:32
渡邊芳之 @ynabe39

違います。脳は「対処」などしませんよ。 RT @sa_kichi_: その「社会的な事象」によって、様々な感情やストレスを感じるが、それを脳がうまく対処できないのが「心の問題」ではないのですか?

2011-04-24 17:56:25
渡邊芳之 @ynabe39

もっと正確にいえば「脳が対処する」というような言い方は「比喩」です。

2011-04-24 17:57:34
渡邊芳之 @ynabe39

だって対処してるのはつねに身体全体ですよ。RT @midomido0239: 単なる比喩で会って、本望ではないと?

2011-04-24 18:04:53
渡邊芳之 @ynabe39

身体システム全体の環境への反応として起きている行動を「こころの機能の結果」と考えるのと「脳の機能の結果」と考えるのとは「ご本尊」が違うだけでまったく同じような信仰です。

2011-04-24 18:07:30
渡邊芳之 @ynabe39

手や顔も心の一部です。 RT @midomido0239: 手や顔にも心があるんですか?

2011-04-24 18:07:51
渡邊芳之 @ynabe39

道具を使ってる時は道具も身体の一部/心の一部です。だから「馬乗ってる時はどこまでが自分なのか的な」というのはとても重要なことに気づいているコメントですよ。

2011-04-24 18:12:24
渡邊芳之 @ynabe39

脳が「情報を処理する」というのも脳をコンピュータになぞらえた「比喩」です。脳は「処理」などしていない。 RT @sa_kichi_: 「対処」などしない…「処理」?意識的ではなくとも脳は働いてますし。何回も質問すみません!

2011-04-24 22:00:37
渡邊芳之 @ynabe39

それもほとんどが「比喩」。 RT @sa_kichi_: 「他者との関係の間で立ち現れる社会的な事象」によって感じるストレスや感情に押しつぶされないようにするためには、脳が働いているんじゃないんですか?心の病≠脳の病ではないという事をおっしゃりたいのですか?

2011-04-25 04:29:30
渡邊芳之 @ynabe39

「処理」や「対応」と見えることをしているのは全体としての「人間」であって「脳」ではない、ということです。あなた自分や他人の脳から直接なにかしてもらったことありますか? RT @takami3: 処理も対処もしていないなら、脳はなにをしているんでしょうか?

2011-04-25 04:32:41
渡邊芳之 @ynabe39

こんな短い文章の中によくそれだけ「問題のある表現」を詰め込めるなあとむしろ感心しましたが2点だけ指摘します。 RT @sa_kichi_

2011-04-25 04:36:33
渡邊芳之 @ynabe39

「ストレスに押しつぶされる」とはどこにあるなにがどんな力で押しつぶされるのでしょう。それは「もし岩に押しつぶされたら感じるであろうと想像されるような気分を感じている」ということを比喩で述べているだけです。実際にはなにも押しつぶされてはいない。RT @sa_kichi_:

2011-04-25 04:40:20
渡邊芳之 @ynabe39

「〜のために脳が働いている」のは当たり前ですが,同じことのために脳以外は働いていないのでしょうか?とくに「脳だけが働いている」と考える根拠は? おそらく「脳が働いているはずだ」という思い込みだけです。RT @sa_kichi_:

2011-04-25 04:42:16