#西郷どん 感想+補足まとめ 第四十三回「さらば、東京」明治六年政変。大久保正助をどげんして憎めちゆうのか。西郷と大久保、永の別れ。

三週間ぶりの町田先生の解説(拝)。
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町田 明広 @machi82175302

また、交渉が成立した場合でも、欧米からの防波堤として、軍隊を派兵することを朝鮮に認めさせるつもりだったのではないか。とは言え、西郷は十中八九、今回は殺されると思っていたに違いない。つまり、交渉成立はあり得ないと踏んでいたはずである。#西郷どん

2018-11-18 20:59:01
町田 明広 @machi82175302

加えて、西郷一個の問題として、島津久光との確執も大きな影響を与えたかも知れない。西郷は死ぬまで政府に留まるつもりはなく、恐らく、岩倉使節団が帰国すれば、政界引退の決心であったろう。朝鮮派遣が最後の務めとの認識である。#西郷どん

2018-11-18 20:59:27
町田 明広 @machi82175302

西郷派遣は、外遊中の佐賀藩出身の副島種臣の帰国を待って決定としたが、ロシアと清が中立を守ることを掴んでいた副島も同意し、明治6年8月17日の閣議で西郷の朝鮮派遣が決定し、三条がその結果を明治天皇に奏上した。#西郷どん

2018-11-18 21:01:50
町田 明広 @machi82175302

明治天皇によって西郷の朝鮮派遣は嘉納されたが、岩倉の帰朝を待ってその意見を徴してからとの条件付きであった。しかし、それは儀礼的なものと解釈した西郷は、事実上の決定と捉えて喜びを爆発させている。この時の喜びようは尋常ではなく、そう状態にあったと見なせるほどだった。#西郷どん

2018-11-18 21:02:12
町田 明広 @machi82175302

西郷は自身亡き後の征韓準備に抜かりなく、板垣退助や薩摩藩出身の伊地知正治に派兵計画を立てさせている。また、明治5年(1872)8月、西郷は板垣と相談し、陸軍少佐別府晋介・北村長兵衛を朝鮮に、また、外務省出仕の池上四郎・武市正幹・彭城中平を満州に、それぞれ潜入させた。#西郷どん

2018-11-18 21:03:09
町田 明広 @machi82175302

彼らは朝鮮人に成りすまし、現地での情報収集を行い、社会情勢の把握に努めるとともに、英米仏の動向などにも目を光らせた。池上四郎などは清の奥地まで入り込み、上海経由で帰国している。帰朝後、彼らは復命書を提出し、朝鮮は脆弱であり、派兵すれば簡単に占領できると報告した。#西郷どん

2018-11-18 21:03:39
町田 明広 @machi82175302

なお、西郷は清国南部や台湾にもスパイを潜入させ、その他係争地における情報探索にも抜かりはなかった。西郷は、殺害された後の事は任せながらも、陸軍のトップとして、道筋だけは付けようと努めていたのだ。想像以上に抜かりのない準備と言えまいか。#西郷どん

2018-11-18 21:03:55
町田 明広 @machi82175302

明治6年政変について、内地優先派VS征韓派と言われて久しいが、大久保らに内地優先の思いがなかったとは言えないが、実際は、西郷内閣(留守政府)と外遊グループの権力闘争の域に留まる。このあたり、詳細は拙著『歴史再発見 西郷隆盛 その伝説と実像』を参照ください。#西郷どん

2018-11-18 21:06:20
町田 明広 @machi82175302

すいません、このあたり詳しくやり過ぎると終わらなくなっちゃうので💦 #西郷どん

2018-11-18 21:06:56
町田 明広 @machi82175302

ドラマでは影が薄かったが、政変のフィクサーとなったのが伊藤博文であった。伊藤は外遊中に犬猿の仲となった大久保と木戸の仲を取り持ち、三条実美を自派に取り込んで岩倉具視と連携させ、西郷派遣を粉砕して一気に形勢逆転を謀ろうとした。#西郷どん

2018-11-18 21:07:32
町田 明広 @machi82175302

伊藤博文の勧誘によって、佐賀藩出身の大隈重信・大木喬任を始め、西郷によって世に出たはずの黒田清隆まで外遊グループに取り込まれた。そして、逆転勝利の切り札として大久保利通を参議にすることが画策された。大久保が何でもかんでも、自分でお膳立てしたわけではない。#西郷どん

2018-11-18 21:08:05
町田 明広 @machi82175302

当初、大久保利通が参議就任に難色を示したため、岩倉具視・三条実美から大久保支持で裏切らないとの請書を取ることで説得し、いよいよ明治6年10月14日の閣議で西郷と大久保が雌雄を決することになった。#西郷どん

2018-11-18 21:11:26
町田 明広 @machi82175302

当日の閣議には西郷派として板垣退助・江藤新平・後藤象二郎・副島種臣、大久保派として三条実美・岩倉具視・大隈重信・大木喬任が出席した。とは言え、岩倉使節団帰国前の留守政府での会議で、西郷派遣を認めている三条・大隈・大木は反対意見を述べることはできなかった。#西郷どん

2018-11-18 21:12:06
町田 明広 @machi82175302

そのため、勢い大久保利通が岩倉具視の加勢を得つつも、孤軍奮闘を余儀なくされる布陣となった。大久保の胆力たるや恐るべきだが、その悲壮感も察して余りある。いよいよ、西郷・大久保の両雄激突の瞬間である。#西郷どん

2018-11-18 21:12:20
町田 明広 @machi82175302

当時の議事録などは存在していないため、実際の激論内容の正確なところは分かっていないが、今までの両雄からは考えられない怒号で、西郷と大久保が言い合ったらしい。板垣などは、ちょっとやり過ぎではないかと冷や汗をかいたらしい。#西郷どん

2018-11-18 21:12:50
町田 明広 @machi82175302

結局、この閣議では結論に至らず、翌日に持ち越された。西郷は前日に言い尽くしたとして欠席し、代わりに板垣退助・副島種臣が大久保と対峙して譲らず、議論は平行線のままとなり、一端休憩となった。板垣や副島も相当頑張ってる。#西郷どん

2018-11-18 21:13:47
町田 明広 @machi82175302

三条実美・岩倉具視は西郷の辞職を恐れ、西郷派遣を決めてしまう。裏切りにあい怒った大久保利通保は、10月17日に辞表を提出し、木戸孝允・大隈重信・大木喬任もそれに追従した。閣議取りまとめ役の三条は板挟みになり、窮地に陥ることになる。#西郷どん

2018-11-18 21:15:38
町田 明広 @machi82175302

岩倉が欠席した17日の閣議で、西郷は三条に即刻の奏上を迫ったが、岩倉の出席にこだわる三条は、1日だけの猶予を懇請したため、後藤象二郎の取り成しで西郷は渋々承諾した。これが運命の1日になろうとは、誰も想像などできなかった。西郷の人の良さが、裏目に出たのだ。#西郷どん

2018-11-18 21:15:59
町田 明広 @machi82175302

10月17日の閣議後、三条実美は岩倉具視邸に向かい、明日2人で明治天皇に奏上することを依頼したところ、大久保の怒りに慌てた岩倉は辞意を表明し、三条にすべての責任を押し付けて、自分は逃げようと謀った。三条は絶体絶命の事態に陥った瞬間である。#西郷どん

2018-11-18 21:16:25
町田 明広 @machi82175302

三条実美はなす術がなく、極度に精神衰弱したためか、翌10月18日朝、錯乱状態となって人事不省に陥り、奏上などできる状態ではなくなってしまった。これは両派にとって、意外な展開であった。なお、さすがにこの状態の三条と西郷は会えないだろう。。 #西郷どん

2018-11-18 21:18:14
町田 明広 @machi82175302

三条実美の状態を知った伊藤博文はこれ幸いと起死回生の策を巡らし、岩倉具視を三条に代わって太政大臣代理に就け、閣議決定の奏上の際に独自の反対意見も奏上させるという奇策に打って出た。#西郷どん

2018-11-18 21:18:48
町田 明広 @machi82175302

奏上の前日、西郷・板垣退助・江藤新平・副島種臣は打ちそろって岩倉を訪ね、理路整然と閣議決定のみの奏上を求めたが、岩倉具視は頑として受け付けなかった。勝負ありの瞬間であった。岩倉の胆力にも一目置かなければいけない。岩倉にも譲れない信念があったことに他ならない。#西郷どん

2018-11-18 21:21:31
町田 明広 @machi82175302

その帰路、西郷は副島に「長袖(公家)、ついに国家の大事を誤る」とつぶやき、さらに周囲に「岩倉公は、よく踏ん張った」と苦笑した。西郷の憤懣やるかたない思いと、諦めの境地を感じることができるが、岩倉を揶揄して、にこりとしたあたり、いかにも西郷らしいと言えまいか。#西郷どん

2018-11-18 21:21:51
町田 明広 @machi82175302

10月24日、岩倉は奏上にあたり、自説のみを開陳し明治天皇の裁可を得た。ここに、西郷の朝鮮遣使は無期延期とされたのだ。これに反発した西郷・板垣・後藤・江藤・副島は辞表を提出し、下野した。西郷は、陸軍大将は留任とされたが、参議の辞職はすぐに認められた。#西郷どん

2018-11-18 21:23:46
町田 明広 @machi82175302

ここに、外遊グループの完全勝利が確定したのだ。大久保内閣が事実上成立し、政変を主導して晴れて参議となった伊藤と大隈が配下で両腕となり、中央集権的官僚国家の建設に邁進した。汚職まみれな長州閥も政変によって救われ、軒並み復権を遂げた。#西郷どん

2018-11-18 21:24:27
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