海軍騎士様におすすめしたい軍艦

花が語りたいことだけ語ってます。穴だらけですので関係者以外の方のダメ出し等不要です。
2
前へ 1 ・・ 3 4
チーム花さま @mbojis87

扶桑の竣工は1915年、金剛型戦艦が入ってきた事により、日本初の超弩級戦艦の独自設計開発として、作られたのが扶桑型戦艦です。 しかし扶桑型戦艦、結論から言えば中々の失敗作であり「不幸型」と揶揄された程でした。 大砲の位置が悪く爆風が船上に流れ込み、砲煙は観測の邪魔をして>

2018-11-23 23:50:16
チーム花さま @mbojis87

速度は大して出ない、おまけに船体の半分以上が攻撃を食らったら大破の可能性がある弱点だらけ。攻撃力を重視した結果がこれだよ!と言わんばかりの有様で、当時の日本には大型戦艦を建造する経験が不足していた事が浮き彫りとなりました。 その後、改造に改造を重ねていった結果、見た目もこんな>

2018-11-23 23:55:46
チーム花さま @mbojis87

ことに。こうまで成り果てても、やはり、金剛型、長門型には見劣りする扶桑型戦艦は、大きいだけで役目がなくなってしまいます。 なお、大平洋戦争に向けて、空母の役割を兼任する航空戦艦へ改造の計画が立ったものの、それは他の艦にあてがわれ、航空戦艦「扶桑」は幻となりました>

2018-11-23 23:58:18
チーム花さま @mbojis87

大平洋戦争が開戦すると、扶桑は真珠湾攻撃には参加していたものの、早めの帰還が通達され戦力として数えられていない様な扱いを受けていました。 尚、この際の扶桑乗員への評価は「功労甲」 その後練習艦の期間が続き、役目が回ってきたのは1944年の渾作戦。囮作戦であったこの作戦は失敗に終わり>

2018-11-24 00:05:25
チーム花さま @mbojis87

その際の扶桑の姿を見た別艦乗員は『大正六年竣工のこの旧式戦艦が、その特色のある前のめりの前檣楼を高々と聳えさせて、南海の前線に参加している孤影には何か哀感があった』と述べたそうです。 扶桑の最期は、レイテ沖海戦。 この海戦でも、扶桑は大した戦果も上げられず、改造だらけの大きな老体>

2018-11-24 00:10:54
チーム花さま @mbojis87

で攻撃を受け続けました。やがて、弾薬庫が爆発炎上すると、扶桑の船体は真っ二つに割れて、スリガオ海峡の水底に沈んでいきました。 姉妹艦の山城も同海戦にて沈没。 扶桑型姉妹は戦果を残す事なく眠りにつきました。 2015年、この海戦で沈んだ艦隊の船体が発見されます。そこには扶桑の姿も>

2018-11-24 00:14:27
チーム花さま @mbojis87

ありました。 船体の損傷は酷かったものの、あの特徴的な艦橋は船体から離れる事なく、今も残り続けているそうです。

2018-11-24 00:15:36
チーム花さま @mbojis87

以上が悲運な運命を辿りながらも歪なその姿は後に大和に並ぶ人気者となった、戦艦扶桑のザックリしたお話しです!! 見た目いいよね!?

2018-11-24 00:16:40
前へ 1 ・・ 3 4