



神への愛を失うことと、神に見捨てられることは、どちらも信仰を失うことであるという意味でおそらく等価で、それに対する懼れは私のような無神論者には想像もつかないんだと思う。


<ご参考>Somebody to Love(Freddie Mercury) 私訳
誰でもいいからか僕に誰か愛する相手をみつけてくれ
毎朝起きるたびに僕は少しずつ死んでいく
立ち上がるのもやっとだ
(自分の顔を見てみろよ)鏡をのぞくと涙が流れてくる
神よ、あんたは僕に何をしてくれてるんだ(まったくだ)
生まれてからずっとあんんたのことを信じてきた
なのに何の救いもないじゃないか、神様よ!
誰かを(誰かを)誰かを(誰かを)
誰でもいいから僕に誰か愛する相手を見つけてくれないか?
毎日一生懸命働いて(働いて)
骨がきしむまで働いて
1日が終わるって(終わるって)
がんばって稼いだ金を持って家に帰ると
ひざまずいて(ひざまずいて)
祈り始める
涙が頬を伝うまで
神よ、誰かを、誰かを
(お願いだ)誰でもいいから僕に誰か愛する相手を見つけてくれないか?
毎日(毎日)うんざりするほど努力し続けている
でもみんな僕の頭を押さえつける
僕の脳みそには水が詰まってるって言うんだ
まともに考えられないって
もう信仰する相手なんていやしない
そうなんだ
神様
誰かを
誰でもいいから僕に誰か愛する人を見つけてくれないか
(誰でもいいから僕に誰か愛する人を見つけてくれないか)
もう何も感じない、心臓もまともに動かない
もう鼓動は止まりそうだ(彼の鼓動が止まりかけてる)
でもOK、大丈夫(彼は大丈夫)
負けたりしない(そうだ)
この牢獄から抜け出して
いつか(いつの日か)自由になってやる、神様よ!
僕に誰か愛する人を見つけてくれ
誰かを、誰かを誰かを
誰でもいいから僕に誰か愛する人を見つけてくれないか