「1995年オウム事件≒エヴァ→2011年原発事故≒まどマギ」説のまとめ
「大地震は、自然界の深層を抉り出すだけでなく、そのことによって社会の深層をも抉り出す。大地震によって、それまで気づかれていなかった社会の前提が、顕在化する」という認識は正しいだろうか。
2011-04-29 01:45:43「液状化現象によって、それまで無自覚のうちに隠されていた都市空間の地下の水が滲み出てくるように、大震災によって、それまで無自覚のうちに隠されていた社会の深層が、人々に見えるかたちで滲み出てくる」ということはあるのかな。
2011-04-29 01:55:12たとえば、阪神淡路大震災の後の、現実社会での「地下鉄サリン事件」と、アニメ界での「エヴァの流行」。オウム真理教の「ハルマゲドン」も、エヴァの「人類補完計画」も、異なる文脈に在りながらも「世界を終わらせたい」という物語を共有していた。ならばそれは、当時の社会の深層だったのだろうか。
2011-04-29 02:15:15同様に、東北大震災の後の、現実社会での「原発事故」と、アニメ界での「まどマギの流行」。東電の「原発安全説」も、まどマギの「魔法少女の契約」も、異なる文脈に在りながらも「既得権益を維持するために、関係者の悲劇を隠しつつ、その悲劇からエネルギーを搾取したい」という物語を共有している。
2011-04-29 02:26:13では、1995年の「地下鉄サリン事件≒エヴァ」と、2011年の「福島第一原発事故≒まどマギ」の、違いは何だろうか? 前者では「麻原彰晃≒ゼーレ」という「世界を終わらせる物語の、中心人物」が存在していた。しかし後者では、「既得権益を維持する物語の、中心人物」が存在していない。
2011-04-29 02:30:34「原発安全説」がもたらす既得権益(エネルギー搾取)は、東電およびその外部関係者の全体によってシステムとして維持されている。中心がない。同様に、「魔法少女の契約」がもたらす既得権益は、キュゥべぇらの種族全体によってシステムとして維持されており、中心がない(中心人物が描かれない)。
2011-04-29 02:38:12この「中心のなさ」が、1995年には無かった、2011年の「社会の深層」の特徴ではないだろうか。1995年には、現実社会では「麻原彰晃」として、アニメ界では「ゼーレ」として、中心を表象(構築)することができた。しかし2011年には、そのような中心の表象が難しくなっている。
2011-04-29 02:41:56人々は東電の幹部だけを責めるわけにいかず、東電と利権を共有していた大手マスメディアや「御用学者」を責めずにはいられない気持ちになっている。これは1995年には見られなかった現象だろう。2011年の大地震によって顕在化した「社会の深層」は、そのような「中心なきシステム」なのだろう。
2011-04-29 02:45:55まどマギにおいても、魔法契約システムの中心人物(管理者)は一切描かれないし言及もされない。問題は、既にエネルギー利権を再生産しているシステムそのものなのであり、その管理者を改心させても他の既得権益者によってシステムは維持されてしまうだろう。「中心なきシステム」が問題になっている。
2011-04-29 02:53:08このように、大震災は、社会の「あたりまえ」(日常の基盤)を揺るがすがゆえに、その「あたりまえ」の底に隠されていた「社会の深層」を、顕在化させる気がする。
2011-04-29 02:57:401995年に顕在化されたのは「この世界を終わらせたい」という物語であり、そこにはまだ中心があった。「世界を終わらせたい」と願う者は、世界を享受できない少数派(オウム幹部≒ゼーレ)であり、彼らがその物語の中心人物であった。彼らを抹消すれば、物語はハッピーエンドに転じると見なされた。
2011-04-29 03:03:39対して、2011年に顕在化したのは「この世界を維持したい」という物語であり、そこには中心がない。「世界を維持したい」と願う者は、世界を享受している多数派(原発利権共有者≒キュゥべぇ種族)であり、彼らは世界に遍在するがゆえに、中心たりえない。彼らを抹消しても、物語は何も変わらない。
2011-04-29 03:07:46キュゥべぇの描写は、まさにそれを象徴している。キュゥべぇは殺されても、すぐに代わりのキュゥべぇが現れ、それは、死んだキュゥべぇの死体を食べてしまう。キュゥべぇを殺しても、事態は何も変わらない。エヴァにおいて、ゼーレのメンバーやゲンドウが死んだ後で、世界が変革されたのとは対照的だ。
2011-04-29 03:17:13さらに、オウム幹部(記者会見担当の上裕史浩)やゲンドウが「感情を表出していた」のに対して、東電幹部(記者会見担当)やキュゥべぇが「感情を表出しない」のも、象徴的だ(キュゥべぇ種族において感情は稀な精神疾患とされている)。つまり規律訓練権力(ツリー)から環境管理権力(リゾーム)へ。
2011-04-29 03:25:29キュゥべえが「エネルギー搾取組織の営業担当」であることを暗示する、ものすごく芸の細かい演出(これは気づかなかった…)。すごいな。>http://bit.ly/f7nKmD
2011-04-29 04:34:30キュゥべえは、「発電組織の営業担当」なだけでなく「色白で目がまんまる」な所も「プルト君」とそっくりである。魔法の契約は、原発の契約。必ず、絶望(放射性物質)を撒き散らす魔女(放射性廃棄物)を生む。>日本原子力研究開発機構「頼れる仲間プルト君」http://t.co/QVt8KGV
2011-04-29 04:51:04しかしまあ、「環境管理権力」に回収されてしまうこの解釈は、まだどうも深みが無い気もする。誰かが、こういった安易な解釈を、修正したり深めたりしてくれたらいいのだけれど…。そういうツイートや文章と、今後どこかで出会いたい。誰か書かないかな。
2011-04-29 03:39:36(日本のサブカルにおいて「ループからの脱出もの」は遅くても「うる星2」から存在しているだろうけれども、主人公たちの「死」が絡んだシリアスなものは、「ひぐらし」(2002年~)がルーツなのかな。その「ひぐらし」でも、「死」の発端は「ダム建設」にあり、エネルギー問題と関連している。)
2011-05-01 13:05:41「Never7」が2000年ですな。 RT @_h_japan: (日本のサブカルにおいて「ループからの脱出もの」は遅くても「うる星2」から存在しているだろうけれども、主人公たちの「死」が絡んだシリアスなものは、「ひぐらし」(2002年~)がルーツなのかな…
2011-05-01 13:42:34ありがとうございます!2000年頃から「深刻なループもの」が流行っていく要因を考察したら面白そうですね。「ループもの」はジャンル(東さんのいうXY平面)の分類だからリアリズム(Z軸)とは独立だけど、ゲーム的リアリズムとの相性は良さそう。RT @kskszk: 「Never7」が…
2011-05-01 14:43:51@wakusei2nd 最後の質問として採り上げてくださり多謝です。ぼく自身は最終話以降http://bit.ly/mrhLJpのようなことを考えてきましたが、たしかに「友人関係によるシステム変革の可能性」は、エヴァ~ゼロ年代(不可能性の時代)の閉塞から脱する重要な第一歩ですね!
2011-05-04 22:08:50「まどマギ」の世界観は、「ぼくらの」(原作2004年~、アニメ2007年)と非常に良く似ている。実際、世界観が説明されたときに描かれた多数の椅子は、明らかに「ぼくらの」へのオマージュだ。よって「ぼくらの」との差異を抽出することで、「まどマギ」の思想的含意が明らかになるだろう。
2011-05-05 00:11:10「ぼくらの」/「まどマギ」の共通点①:宇宙規模の発電システムのエネルギー源として搾取される。共通点②:「血縁」(エヴァの閉じた母子関係)と「閉じた恋愛」(短絡的セカイ系)と「終わりなき日常」(現実逃避の空気系)が相対化され、「開かれた友人関係」によってシステムの変革が目指される。
2011-05-05 00:11:51相違点①「ぼくらの」:システムの中心が描かれ、末端(コエムシ)は感情でシステムを維持する(ツリー=規律訓練権力)(なおエヴァもグレンラガンも同じく古いツリー型)。/「まどマギ」:システムの中心は描かれず、末端(キュゥべえ)は感情なしにシステムを維持する(リゾーム=環境管理権力)。
2011-05-05 00:12:29相違点②「ぼくらの」:搾取されるのが集団(少年たちあるいは地球)。/「まどマギ」:搾取されるのが個人(つまり搾取的な発電システムの個人化)。相違点③「ぼくらの」:友人関係は、発電システムの一部を止めたにすぎない。/「まどマギ」:友人関係は、発電システムそのものを変革した。
2011-05-05 00:16:41