石川啄木は雑誌『小天地』を出した。啄木研究者には注目されてる雑誌。自分の作品だけ大きい活字で掲載しているというもの。小木曽と石川は揉めたことがあり、小木曽は後々まで石川をよく言っていなかった(婉曲表現 #関西文脈35
2018-12-08 14:42:15明治36年に九州で作られた合同作品集『筑紫琴』。裏表紙にポエムっぽい文言が入っていたりする。報告者「…なに二病って言うんですかね」 #関西文脈35
2018-12-08 14:47:48#関西文脈35 活性化する誌友交際。そのハブになる人のところにある種の”ライブラリー”が形成される。雑誌の寄贈収集がさかん。地元に図書室を設置、人々に無料で公開など。
2018-12-08 14:50:56ライブラリーといっても文部省の図書館令に定義する図書館とは違う。公共図書館としてカウントされるようなものではない。しかし中には図書館設置の動きに連動したものも。忍(おし)学友会の図書部は役場内にあったが、公衆が閲覧しにくいということで商工会の事務所内に移転した。 #関西文脈35
2018-12-08 14:51:55#関西文脈35 / “CiNii 論文 - 木村小舟と岐阜通俗図書館” htn.to/vT1JGsMZ
2018-12-08 14:53:05資料。高山樗牛が亡くなった時、彼の遺徳を記念するため作られた樗牛会。会員一覧を見ると、誌友として活躍していた石島郁太郎の名も。樗牛と誌友ネットワークのつながり。 #関西文脈35
2018-12-08 14:55:31会員大会で、会場内に雑誌展示の場所を設けて寄贈を呼びかけた。地方雑誌会の景況を知るため「ジャンルは何でもいいよ」「古くても廃刊済みでもいいよ」「参加できないひとは写真だけでも送ってね」。 #関西文脈35
2018-12-08 15:00:22#関西文脈35 高山樗牛と同志会。会員大会を開くときに会場内に雑誌閲覧場を設けた。当時の人々にとって”雑誌”とはどういうものだったのであろうか。
2018-12-08 15:02:08余談。雑誌投稿はみんな本名で清らかに交際していた…という訳でもない。明治43年の都新聞で「文通相手が女だと思っていたら実は男だった」という人生相談あり。 #関西文脈35
2018-12-08 15:02:30嵯峨景子氏による、女学生雑誌投稿のネットワークに関する研究。女子は自ら雑誌を出すというより、友達を増やしたり文通したりがメイン。(ただここでもネカマ告発はあったらしい) #関西文脈35
2018-12-08 15:05:07#関西文脈35 それそれ / “HAYASHI Yutakaさんのツイート: "『大学への数学』で名前を(一方的に)見ていたひとが、大学で同じクラスになったってはなし?… "” htn.to/zU2K9X
2018-12-08 15:06:33#関西文脈35 幸徳秋水が渡米して日本へ革命主義の宣伝をするのに、こういう雑誌の投書家の住所にあてて郵送する的なことをやってたとか
2018-12-08 15:13:01投稿少年の思想としては、社会主義等への親和性。のちの木村毅の著作で、雑誌に掲載された投書家の住所宛に宣伝物を送った話などが載っている。社会主義や無政府主義を宣伝するパンフが投稿少年たちに送られてくることはあったらしい。 #関西文脈35
2018-12-08 15:14:20社会主義に批判的な投稿もあったが、全体としては社会主義に親和性。そのため文部省からも目をつけられていた。第3種郵便物の指定を外されたと嘆く投稿も。 #関西文脈35
2018-12-08 15:18:16