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2018年12月19日

何もできずにそばにいる。

人が深く悩んでいる時に私たちは何もできないですが、何もできずにそばにいるということこそ、人と人とのかかわりにおける本当に大切なことではないでしょうか。
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大角 康 @koukaku0811

禅の世界においても、南禅寺の管長であられた柴山全慶老師が一人の若い女性の方から、「私には病気の母がいて、少しでも良くなればいいと思い毎日仏様を拝みにきておりますが、これには結局どんな功徳があるのでしょう」と聞かれた際に、「う~~ん……」と言ってただ悩まれたという話がありますが、 twitter.com/feynmannnn/sta…

2018-10-13 20:07:47
大角 康 @koukaku0811

それを聴いた久松真一先生は「どうして無功徳と言わなかったんですか!」と仰ったそうなのですが、悩む人を目の前にしながら通り一辺倒の型通りの答えを言うことの方が、何と言えば良いか真剣に考えるゆえになかなか答えられないことよりよほど罪深いのではと思いました。

2018-10-13 20:07:47
大角 康 @koukaku0811

その女性に救いをもたらすものは、教義を語る文言などではなく、その女性の胸中を丁寧に慮ってくれる人がいるという事実であると思われるゆえに、私にはかえって柴山老師のご対応の方がよほど尊く見えてくるのです。

2018-10-13 20:07:47

コメント

ティルティンティノントゥン @tiltintninontun 2018年12月19日
昔は「子供は父親の背中を見て育つ」と言われていたけど、このケースでは「母親は娘の背中を見て救われている」じゃないかな。
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大角 康 @koukaku0811 2018年12月19日
tiltintninontun 仰る通りだと思います。 毎日毎日自分のために祈ってくれる人がそばで看病してくれているという事実こそ最大の救いと思われますが、このような救いこそまさに、イエス・キリストが周りの人々にもたらしたものだったんじゃないかなぁとも思っています。
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