《私は原発事故発生後、大切な人たちを追加被曝から守ることもできず、逃げ続けて、愚痴をつぶやいているだけです》

自己ツイートをまとめました。 私は「原発事故と戦っている人」ではないし、 「原発事故の危険性について叫んでいる人」でもありません。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

一気にフォロワーが増えたのは、原発事故発生後の私を「ツイッターで戦う勇敢な人」と誤解してくれた人が多かったのかもしれませんね。 だけど私がツイッターを使ってしているのは、原発事故に対して、大切な人たちを守れず、事故発生現場近くから逃げ出して愚痴を書いているだけなのですよ。

2019-01-26 02:14:25
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

東電原発事故発生前から、色々な個人的事情で原発事故に関する情報を私は持っていました。そこに311がやってきて、原発事故が始まった。私は多くはない知識と得られる断片的な情報から「既にメルトダウンが起きて、広域に放射性物質汚染が発生する」という、当たり前の結論にたどり着きました。

2019-01-26 02:14:26
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発事故発生直後の私は「素人の私が気づく程だから専門家も政府もメルトダウンに気付き、住民を被曝から守り、広域に避難するよう言ってくれるだろう」と考えていた。が、現実には「専門家」はメルトダウンを全力で否定。福島県庁とメディアは安全宣伝を繰り返し、21日の山下俊一氏の講演会に至る。

2019-01-26 02:14:27
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私は3月16日の福島県立高校合格発表で、受験生や高校生が高汚染の雨や雪で被曝することを防げなかった。 その後、担当する部活動の生徒が屋外活動で被曝することも防げなかった。4月に新学期が始まり、高校生が登下校で被曝することも防げなかった。 何もできなかったのです。

2019-01-26 02:14:28
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年4月に、福島県中通りの学校で新学期が始まった後も、なんとかして家族や生徒の被曝を防ごう、減らそうと考えていた。我が子にはビニール製のカッパとマスク着用で登下校させていたが、その姿は周囲から完全に浮いていて、イジメにもあった。 我が子さえも守れなかったのです。

2019-01-26 02:14:28
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年4月に、福島県中通りの高校でも新学期が始まり、体育の屋外授業は自粛されたが、部活動の練習は無防備で、体外・体内吸気被曝させ放題だった。私は自分が顧問をする部の生徒の被曝を少しだけ減らす工夫ができただけだった。 顧問する部の生徒さえも守れなかったのです。

2019-01-26 02:14:29
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

その後、浜通りから避難してきた高校生も勤務校に転入してきた教室で、色々と気を使いながらも、窓を閉めさせて屋外から放射性物質が入るのを止めるのが精いっぱいだった。しかしそれも福島県教育委員会から禁じられた。 生徒を追加被曝から守ることは全くできなくなったのです。

2019-01-26 02:14:29
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

我が子も、私の周りの高校生も、追加被曝から守ることは全くできなくなったのです。何もできなかった私は、ツイッターで愚痴をつぶやきながら、遠隔地である北海道に逃げる事しかできなかったのです。 北海道に来てからも、避難者に対する「福島は安全だ」という福島県庁の圧力は減りませんでした。

2019-01-26 02:14:30
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

福島県外に避難した人たちの殆どは、県内に残った家族や親戚、知人に配慮する為と、自らの避難生活を維持する為に、メディアの取材を避け、発言も控えました。 県外に避難した人が避難先の自治体やNPO等から温かく迎えられる様を、福島県内メディアは報道しませんでした。

2019-01-26 02:14:31
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発事故と福島県庁からの圧力に負けて逃げた私は、避難先の北海道の人たちに温かく迎えられた状況を、多くはツイートできませんでした。同じ場所に避難した他の人たちに迷惑がかかることも心配だったのです。 また、北海道で何とか見つけた仕事を失いたくなかったので、発言を自制する部分があります

2019-01-26 02:14:31
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

発言を自制している状態であっても、職場への圧力や、私の過去に関するデマに基づく投書などで、私は職場を何度か変えざるを得ませんでした。 私はそこでも、戦うのではなく、逃げ続けてきたのです。

2019-01-26 02:14:32
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

だらだらと長くなりましたが、 要するに私は原発事故発生後、身近な人たちさえも事故による追加被曝から守ることができず、 負けて、逃げて来たのです。 その愚痴をつぶやき続けているのが、このツイッターアカウントなのです。「魂の叫び」などという大それたものではありません。負け犬の遠吠えです

2019-01-26 02:14:33