評論家を徹底評論!?
@tashirotakahiro そこなんですよ。 作り手を包括的な知識から高く評価して自ら身を引くことさえしたーというモチーフを使って、ねずみというチャレンジャブルな境遇から立ち上がった主人公チームを称揚した構造なんです。 だからどんなモチーフを使っていてもそれは物語のため
2011-05-05 07:04:25あんな評論家はいないしそもそも評論というものは社会構造的にそういう風に作用はしないってことなんだろう。しかし作り話に評論の未来や希望を見てもいいんじゃないか?
2011-05-05 07:07:45@tashirotakahiro そうです。フィクションです。それに希望を持つのもありです。最初に書いた「生活に適用できると思わせてしまう」ってのはそれです。 見る人に希望を与えるのはフィクションの大事な任務なんですから。エンタメに出来ることとは、それです。
2011-05-05 07:09:58@tashirotakahiro 最終的には「ぼくはじぶんがなにものかわかりません」と書き「家族を逃がしました」と書き、それでも評論商売を続ける東さんのタフネスさを高く評価しています。タフネスですね。そうやって生き延びることが適応度向上に役立ちます。適応度は生物の評価基準です
2011-05-05 07:07:04@tashirotakahiro あわてんぼさん。 全体の結論を嫌味に集約するはず無いじゃないですかw それじゃとぎゃったーを読む人が怒りますよw 彼や彼らのしてきたことではもはや世間に貢献できない。だがはびこり生き延びる。彼らの言い分が広がれば世間は不幸になってしまう。
2011-05-05 07:11:49@tashirotakahiro ドラッガーも言ってるでしょう。効率性、卓越性、貢献、と。効率性が無ければ、卓越性も貢献も生かしてもらえないって気づくべきかもしれません。評論は何に貢献してきたのか、という話が、今の話なんです。
2011-05-05 07:16:34@tashirotakahiro 311で突然無様に変わったわけじゃないでしょうw 昔から無様だったんでしょうけれど評論業界ではあれでよかったんでしょう。知ったこっちゃありません。その上で、エンタメは今必要とされている。切実に。それに貢献しない評論に意味は無い。では貢献とは何かと
2011-05-05 07:24:10@tashirotakahiro 貢献的な評論は、編集者が事業継続に足りない要素を作家にリクエストするように、エンタメを俯瞰した時に社会により貢献的な何かをリクエストしえる可能性があります。理想的には。現実として可能かどうかは別にして。無理臭いけどその視点はあるべきが結論でひとつ
2011-05-05 07:28:16う~むその結論は評論家にとって酷なものですねえ・・・私オタクと一緒で評論家は消費者と重なっちゃったんじゃないかって思っているんですよ。
2011-05-05 07:30:38@tashirotakahiro だから、評論芸のツイートもし、商業評論といい、嫌味をいい、さらにその上に評論を置いて見せたんです。消費者のバイトならせめて商業評論をしろ。それ以上の高みを目指すなら、高い何かを目指せ。心にバスターマシンの一機くらい抱えて見せろ、努力と根性だ、と
2011-05-05 07:32:26なるほど!まあ「・・・でひとつ」が出たからこんな感じでいいでしょうか?かなり長文になっちゃったよ!結局朝までお相手ありがとうございました!
2011-05-05 07:34:25