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シノハラユウキ @sakstyle
これまで出てきた論点を総ざらいする感じで、最終回直前にふさわしい(?)大作/カメラと対比されるものとしてのマイク/二人称は今までになかった論点かも / “ガルラジにおける視点、時間、超越性について - 除雪日記” htn.to/mwc5JrpjscK
シノハラユウキ @sakstyle
存在論的序列が同じであるかのような錯覚って、鑑賞者自身をプロップとするメイクビリーブだよなあと思います(ウォルトンがいうところのgame worldが近いのかもしれない) twitter.com/yunaster/statu…
シノハラユウキ @sakstyle
ガルラジ世界のスタジオにはマイクがある、というのは、ナンバユウキさんの言ってた「貫世界的メディア」のアイデアを、別方向から照らしたもの、という印象/あと、モキュメンタリーのラジオ版だよなー、とも。モディオ?
シノハラユウキ @sakstyle
ナンバさんが貫世界的メディアって言い出した時も思っていたのだけど、ウォルトンが、小説の本(物理的な本そのもの)がメイクビリーブのプロップになっている、と言っていた話の応用編という気がしている。
シノハラユウキ @sakstyle
『ロビンソン・クルーソー』読んでいる時、自分(読者)が今手に持っている本は、デフォーが書いた小説なのではなく、ロビンソン・クルーソーが記した手記なのだ、とメイクビリーブするという奴。自分が今持っている本は、ロビンソン・クルーソーのいる世界で作られた本だとメイクビリーブしている、と
シノハラユウキ @sakstyle
我々は、フィクションが現実化している、というように感じ、そのように記述するのを好むが、ウォルトン先生的にはむしろ、我々がフィクション化しているという方がより適切な説明の仕方だということになるが、まあそれはそれとして。
シノハラユウキ @sakstyle
デレマスのアプリ内ラジオとガルラジの違いは、やっぱり、演技の仕方・声の出し方の違いに「も」あると思っている。 もちろん、ゆなすたさんがいうように「編集していないような感じ」もこの違いに貢献していて、この2つを分けたのは整理としてよい気がする
シノハラユウキ @sakstyle
で、この声の出し方・演技の仕方については、稲岡さんの声優論を踏まえたい感じがあって、刊行が待たれるところなんだけど、全面的に、稲岡さんの声優論だけで説明できる話でもないような気もする(まだ読んでないからわからないけど)
シノハラユウキ @sakstyle
声優の声というのは「キャラクターの声を声によって描写している」という観点があって、ここでいいたい声の出し方・演技の仕方の違いって、描写の様式の違いに喩えられるかなーと思っている。
シノハラユウキ @sakstyle
「自然主義的リアリズム」と「まんが・アニメ的リアリズム」って言っちゃうと、またなんか話が抽象的になっちゃう感じもするけど、そういう様式の違いが、声や演技の仕方にもあるだろう、と。写実的なタッチの絵とイラスト然とした絵の違いとか
シノハラユウキ @sakstyle
で、これたぶん目新しい話ではなく、演技論とかちゃんと掘ったら出てくるだろうなとも思ってるけど、完全に不案内なジャンルなのでわからん。舞台俳優と映画俳優だとしゃべり方や演技の仕方が違いますよねー話あたり
シノハラユウキ @sakstyle
でも、改めて考えてみると、マイクとカメラの話はいい話だな 言われてみりゃ当たり前だなーって話なんだけど、カメラほど意識化されないからなーマイク
シノハラユウキ @sakstyle
この記事、最初、視覚と聴覚って違うよね、その違いこそがガルラジの特徴を生んでいるんだよねっていう線で説明を進めようとするんだけど、マイクとカメラの類似に気づいて、視覚的フィクションと聴覚的フィクションも同じように捉えられるのではないかという切り口を開いたのが、いいところなのでは
シノハラユウキ @sakstyle
あ、あと、ガルラジは声・演技の様式が違うのでは、と書いたけど、くっきりと違うのではなくて、違うものが混ざっているくらいの感じ
シノハラユウキ @sakstyle
妻は、ガルラジについて、アニメっぽい喋りとラジオっぽい喋りが混ざっていて、聞いてて疲れるという感想だった

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