リンク限定

神武東征~日本の始まり~

稚拙ですが一応纏めてみました。
3
前へ 1 ・・ 7 8 次へ
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

土蜘蛛。神武天皇に従わなかった豪族はそのように呼ばれた。彼らは大室と呼ばれる岩穴に蜘蛛のように住み着き神武天皇の行く手を阻んだ。 pic.twitter.com/hW906rqotB

2019-02-26 05:47:11
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

磐余道。磐余には兄磯城の軍勢で通れるところがないくらいに軍勢で溢れかえっていた。八十梟帥らを皆殺しにした神武天皇の次の敵は兄磯城だった。 pic.twitter.com/1hm4rWxuXr

2019-02-26 09:26:20
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

唐古鍵遺跡。磯城郡にある遺跡。神武天皇の敵の豪族「兄磯城」の勢力圏だったのだろうか。この遺跡に存在する環濠は、遺跡の周囲に外敵が存在していたことを示している。 pic.twitter.com/xjJEmReEBx

2019-02-26 22:31:41
拡大
拡大
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

神武天皇は八咫烏を派遣し兄磯城を呼び寄せようとした。兄磯城はこれに対して激怒したが、兄磯城の弟の弟磯城は神武天皇に臣従した。神武天皇は兄磯城に臣従するよう弟磯城に説得させたが失敗した。 pic.twitter.com/ta5mUStCAI

2019-02-26 22:41:11
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

神武天皇は兄磯城の軍勢を椎根津彦の計略で、女軍を忍坂まで出して兄磯城の軍勢をおびき寄せ、男軍を墨坂から出して挟み撃ちにして撃破した。戦いに敗れた兄磯城は斬られた。 pic.twitter.com/pf3fxwxmez

2019-02-27 02:42:45
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

神武天皇は大和の豪族を各個撃破した。次の敵は宿敵の長髄彦だった。神武天皇は兄である彦五瀬命を殺されたことを深く恨んでおり長髄彦を絶対に殺そうと考えていた。 pic.twitter.com/V4pdkicX9M

2019-02-27 02:53:00
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

長髄彦本拠地碑。長髄彦は生駒山周辺に勢力を持っていた豪族の長で、長髄彦の「長髄」は邑の名であり、彼を登美毘古(トミビコ)とも呼んだ。 pic.twitter.com/9DsD9pG5dx

2019-02-27 03:04:25
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

長髄彦の軍勢は強かった。復讐に燃える神武天皇の軍勢を何度も撃退した。その時不意に空が暗くなり、氷雨が降り注いだという。 pic.twitter.com/wrAoxAWKLU

2019-02-27 12:56:05
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

神武天皇の元に金色の鳶が飛んで来て、天皇の弓の先に止まった。その鳶は流電の如く光り輝き、それを見た長髄彦とその軍勢は惑い戦意を失った。 pic.twitter.com/Ps5MedfCJK

2019-02-27 20:46:02
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

戦意を失った長髄彦は神武天皇に使者を出してこのように告げた。「私は既に饒速日という神に仕えている。天神の子が何故二人もいるのか。何故あなたは天神の子を名乗り人の国を奪おうとするのか、あなたは偽者ではないだろうか」 pic.twitter.com/EDFkxjSUC1

2019-02-27 21:00:26
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

磐船神社。饒速日(ニギハヤヒ)という神は神武天皇が来るよりも先に天の磐船で河内国に降臨していた。(画像はwikiから転載) pic.twitter.com/NRRzAZRHoY

2019-02-27 21:14:11
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

鳥見白庭山碑。磐船神社付近に降臨した饒速日はその後、拠点を磐船神社から長髄彦の本拠地である鳥見白庭山に遷した。 pic.twitter.com/Fl6lQ3kDTz

2019-02-27 21:23:38
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

神武天皇はこのように言った。「天神の子は多く居る。 お前の神が本物の天神の子ならば、必ず証拠があるはずだろう、それを見せてほしい。」 pic.twitter.com/oYH7VqhHEF

2019-02-27 21:31:45
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

長髄彦はすぐに饒速日命の天羽々矢と步靫を天皇に見せた。 天皇はそれを見て 「本物だ」 と言った。 天皇はお返しに自身の天羽々矢と步靫を見せた。長髄彦はそれを見て恐れ畏まったが、今更始めた戦いを辞めるわけにはいかなかった。 pic.twitter.com/tINCdiWST3

2019-02-28 01:39:14
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

饒速日は天神にとって重要なことが天照大神の子孫であると知っていた。饒速日は長髄彦に天神の上下関係を教えても長髄彦は気難しく理解出来そうになかったので、饒速日はついに長髄彦を殺した。 pic.twitter.com/Kp2HvUrcDb

2019-02-28 01:47:05
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

鍋塚古墳。饒速日に裏切られ殺された長髄彦の墳墓だと伝わる円墳。築造は古墳時代中期なので上古に生きた長髄彦が葬られている可能性は低い。 pic.twitter.com/cG4hnQ5eYF

2019-02-28 02:00:45
拡大
拡大
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

長髄彦を殺した饒速日の墳墓は生駒総合公園から山の方に入ることで参拝することができる。観光地化していないので案内表示はない。 pic.twitter.com/92LzUuNRHb

2019-02-28 06:46:03
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

饒速日は長髄彦を殺した後、神武天皇に従った。神武天皇は東征前に鹽土老翁から「先に天磐船に乗って飛んで降りた者が居る」と聞いていたので饒速日の存在を知っていた。 pic.twitter.com/HTYxx0Z1he

2019-02-28 06:52:41
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

鹽竈神社。神武天皇に東征を勧めた塩土老翁という神を祀る神社。鹽竈神社には神武天皇に敗れた長髄彦が大和から東北に落ち延びたという伝承も存在する。 pic.twitter.com/hmAtf3JcQX

2019-02-28 07:04:41
拡大
拡大
拡大
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

饒速日は長髄彦の妹を妻として迎えていた。名前は三炊屋媛という。その間にできた子供が宇摩志麻遅命という人物で物部氏の祖先である。 pic.twitter.com/5xpg2YUJPD

2019-02-28 12:23:46
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

婦道神社。長髄彦の妹である三炊屋媛を祭神とする神社である。三炊屋媛は長髄彦と饒速日の間を取り持ったという。 pic.twitter.com/nUTwWbAXCj

2019-02-28 12:29:17
拡大
拡大
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

饒速日の墳墓への道中に誰かが墳墓への道がわかるように書いたのだろうか、、看板に「ニギハヤヒ→」と書かれていることがわかる。 pic.twitter.com/g3MT1sKfHT

2019-02-28 12:32:42
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

「ニギハヤヒ→」の通りに進んでみる。結構歩くので道があっているかどうか不安になる。 pic.twitter.com/WUnj8CoeyO

2019-02-28 12:34:57
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

倒木が激しい。危ないという程ではないが普通の整備された道ではないことがわかる。 pic.twitter.com/JseXxxfHSa

2019-02-28 12:37:30
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

倒木が激しい場所から少し登ると鉄塔が見えてくる。この鉄塔の足元に饒速日の墳墓があるのだ。 pic.twitter.com/DKOlpXX4vV

2019-02-28 12:42:17
拡大
前へ 1 ・・ 7 8 次へ