リンク限定

神武東征~日本の始まり~

稚拙ですが一応纏めてみました。
3
前へ 1 ・・ 8 9
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

饒速日命墳墓。かつては「山伏塚」と呼ばれていた塚である。この「山伏塚」を「山主塚」の訛りと考えた人々が「山伏塚」を饒速日の墓だと比定した。 pic.twitter.com/ph4uVieMYz

2019-02-28 23:11:25
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

神の子の饒速日が死ぬと遺体は天に昇った。妻の御炊屋姫は饒速日の遺品を白庭邑に埋葬した。それが饒速日命墳墓の伝承である。 pic.twitter.com/OlRuAe4xTy

2019-02-28 23:19:41
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

真清田神社。尾張一宮であるこの神社の祭神は「天火明命」であるが、この神の名前は饒速日の別名である為、尾張氏の祖先も饒速日ということになる。 pic.twitter.com/vzP8CQmyqn

2019-03-01 03:49:39
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

日本の神様は上古では人と神がとても近い存在だった。それがいつしか遠い存在になってしまったのだ。 pic.twitter.com/9ZGurmJXlm

2019-03-01 03:57:11
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

饒速日の痕跡は多いがその一方で誅殺された長髄彦の痕跡は「賊」として扱われているせいかとても少ない。 pic.twitter.com/rilNOGzq5X

2019-03-01 04:03:20
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

石切神社上之宮。饒速日を祭神とする神社だが、この神社の祭神の石切大神を逆賊の長髄彦に当てる説があるようだ。 pic.twitter.com/7OMfV1xFdc

2019-03-01 10:13:43
拡大
拡大
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

石切神社神武社跡。神武天皇も石切神社に祭られてはいるが、石を蹴りあげた等という荒々しい伝承があるくらいで扱いはあまりよくないように見える。 pic.twitter.com/KAUXGK7785

2019-03-01 10:18:15
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

逆賊長髄彦は二神に仕えることを拒否して饒速日に殺された。裏切った饒速日の子孫の物部氏はそのまま天皇家に仕え、河内、大和を拠点として栄えた。 pic.twitter.com/Kalknspc1E

2019-03-01 12:19:13
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

後年、饒速日を祖先とする物部氏は丁未の乱で長髄彦の末裔の迹見赤檮の放った矢によって総大将物部守屋を射殺され、物部一族は滅亡した。両者の対決は宿命だったのかもしれない。 pic.twitter.com/NoK7mYyR5K

2019-03-01 12:31:15
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

蜘蛛窟。葛城にある土蜘蛛が住居としていたとされる場所。神武天皇の軍勢は身短く手足長く窟に住む先住民を「土蜘蛛」と呼んだ。 pic.twitter.com/ayIfvGRbvN

2020-01-09 12:43:41
拡大
拡大
拡大
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

「蜘蛛窟」の土蜘蛛は殺戮されたという。殺戮する際に神武天皇の軍勢は葛の網で土蜘蛛を捕縛した為、この地を「葛城」と呼ぶようになった。 pic.twitter.com/o5tEM3GVdw

2020-01-09 12:46:26
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

蜘蛛塚。神武天皇によって葛城で殺された土蜘蛛の頭部と胴体と脚部を切って埋めたと伝わる塚。埋めた場所には大きな石を置いたという。 pic.twitter.com/3JY3us9AEb

2019-04-25 12:47:49
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

神武天皇社。大和の残存する抵抗勢力を滅ぼした後、神武天皇が即位したとされる地に鎮座する神社。神武天皇の「東征」はこの「神武天皇社」で終わる。 pic.twitter.com/25Vv2Ayba5

2020-01-09 16:51:58
拡大
拡大
拡大
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

神武天皇社の祭神は「神倭伊波礼毘古命」。神倭伊波礼毘古命とは神武天皇のことで「神武天皇」は後世につけられた諡に過ぎない。 pic.twitter.com/TqhaGcTH4t

2020-01-09 16:54:41
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

嗛間神社。神武天皇社境内社。祭神は吾平津媛命。伝承によると神武天皇の前妻である吾平津媛命は神武天皇が媛蹈鞴五十鈴媛という人物を妻に迎えた為、この地で侘び住まいをすることになったという。 pic.twitter.com/9Hjg6j5VY0

2020-01-09 21:08:28
拡大
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

吾平津媛の「夫婦」への怨念は今でも残るという、、その為嫁入り行列はこの神社の前を通ってはいけない。もし前を通らば吾平津媛の呪いが夫婦へ降りかかるのだ。 pic.twitter.com/yNqwE41IAK

2020-01-09 21:14:43
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

神武天皇聖蹟狭井河之上顕彰碑。狭井川付近に建立された神武天皇を顕彰する為の碑石。初代天皇となった神武天皇は狭井川の畔で伊須気余理比売という皇后を得たという。 pic.twitter.com/KfIhA6xzYD

2020-03-10 06:42:55
拡大
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

狭井川。この河の畔に大物主神の子供である伊須気余理比売の住居があったという。「狭井」という名前は昔は「佐韋」と呼ばれていた山百合が多く河原に咲いていたことを由来とするようだ。 pic.twitter.com/F3QpYDojVi

2020-03-10 06:52:08
拡大
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

橿原神宮。勝利者である神武天皇を祭神とする畝傍山の麓に存在する神社。神武天皇は大和平定後、畝傍山の麓に橿原宮を開いたという。 pic.twitter.com/r2efezrmi0

2019-03-02 06:37:35
拡大
拡大
拡大
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

畝傍山東北陵。神武天皇の墓として比定されている古墳。本当に上古に生きた神武天皇の墓かどうかは怪しい。 pic.twitter.com/sQp2jxFWmc

2019-03-02 08:54:18
拡大
真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

鳥見山。橿原宮で即位した神武天皇は鳥見山という場所で皇祖神・天神を祀ったという。ここから皇室の歴史が始まったのだ。 pic.twitter.com/UrZLWbkxtF

2019-03-02 09:06:20
拡大
前へ 1 ・・ 8 9