タイタニックについてのあれこれ

タイタニックについて適当にしゃべったツイートをまとめました。 参考資料は「不沈〜タイタニック 悲劇までの全記録」「タイタニック〜百年目の真実」「Blu-ray版タイタニック収録特典〜ジェームズ・キャメロンと探るタイタニックの謎」「タイタニックの最後の晩餐」「タイタニック発見」です。
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えふみふ @Fd_Fmif

タイタニックについてあれこれしゃべったやつをまとめました pic.twitter.com/xiPUkoFaVd

2019-04-29 19:31:11
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えふみふ @Fd_Fmif

タイタニック沈没の直前まで、比較的秩序立っていたという証言があります。ですが沈没直前の2時15分頃、第1煙突と第2煙突の間にある前部伸縮性接合部という接合部が裂けた際に船体に衝撃が走り、これをきっかけに乗客の多くは船尾に向かって駆け出し始めたそうです。

2019-04-22 22:25:08
えふみふ @Fd_Fmif

映画であったように第1煙突が倒壊したきっかけも、この接合部が裂けたことにより煙突を支えていたロープのうち接合部より後ろにあった2本が切れ、船体が傾いている側に残ったロープに煙突の重みがかかったのが始まりです。

2019-04-22 22:56:46
えふみふ @Fd_Fmif

タイタニックは沈没の際、船の沈み方にしては珍しく、横転することなく船首が沈下し船尾が持ち上がるという沈み方をしました。 船尾が持ち上がると言っても97年の映画のように垂直に近いところまで持ち上がったのではなく、もっと海面に近い19°辺りまで持ち上がったというのがわりと新しい説です

2019-04-22 21:09:45
えふみふ @Fd_Fmif

タイタニックの浸水経路 氷山に接触し、第1〜第3船倉、第6ボイラー室が浸水。これにより船首が沈み、水は防水隔壁がないEデッキの船首から船尾をつなぐ長い廊下(船員はスコットランドロードと呼んでいた)を伝って隔壁の後ろへと溢れ出ていった。

2019-04-22 23:15:25
えふみふ @Fd_Fmif

第5ボイラー室では隔壁とポンプによる排水でなんとか浸水を食い止めていたが、出港時から続いていた第5、第6ボイラー室間の石炭庫の火災により隔壁の強度が下がっており、水圧に耐え切れず隔壁が崩壊。第5ボイラー室への浸水が始まる。

2019-04-22 23:17:17
えふみふ @Fd_Fmif

浸水が進み船首の沈下が進むが、ここで新たな箇所からの浸水が始まる。ライトラー二等航海士が海上におろしたボートに乗客を乗せるため、Dデッキ左舷船首部の舷門を一箇所開けた。しかし船体が左舷側に傾き始めたため扉は閉めれなくなり、最終的にここから乗客を乗せることもなかった。

2019-04-22 23:21:00
えふみふ @Fd_Fmif

この時開け放しにされた舷門からの浸水により船首部前方に満遍なく水が行き渡るようになり、沈没の速度を速めることに繋がった。 このあと船首は完全に沈み、ボートデッキまで水に浸かるようになるが、この辺りで船体の傾斜が19°くらいになる。この角度が船体が負荷に耐えられる限界と言われていて、

2019-04-22 23:26:23
えふみふ @Fd_Fmif

この角度に達したあたりから船体上部には引っ張る力が、船底部には圧縮する力が働く。船体の構造から船底部は圧縮応力に弱い傾向にあったらしく、船体の破断に関する最初の変化は船底部に現れたと言われている。 結果的に船体は第2煙突と第3煙突の間(やや第3煙突寄り)で破断した。

2019-04-22 23:33:29
えふみふ @Fd_Fmif

船体が折れた場所は第2煙突と第3煙突の間で、折れたあとは船底の二重船底で繋がっていましたが、浸水した船首が重りとなって船尾を引っ張り、船底がはがれ完全に引き裂かれました。

2019-04-22 21:19:44
えふみふ @Fd_Fmif

船内のほとんどの区画が浸水した状態で沈んだ船首とは違い、船尾は多くの区画に空気を残したまま、船首に引きずり込まれる形で沈みました。そのためある程度沈んだ段階で水圧により船内に残った空気が一気に押し出され、破断部から外板や船内の構造物が剥がれ落ち、海底まで崩壊を続けながら沈みました

2019-04-22 21:26:50
えふみふ @Fd_Fmif

スミス船長の最後の目撃情報にはいくつかの説があり、沈没直前に乗組員たちを任務から解放する旨の言葉を伝えてブリッジに入っていったのが最後の目撃とするものと、タイタニック沈没後漂流していた折りたたみ式ボートB号に泳ぎ着き、ボートに登らず水に浸かったまま「みんな、頑張れ!」と

2019-04-22 23:41:11
えふみふ @Fd_Fmif

ボートの乗員を励ましつづけ、その最中波にさらわれて姿を消したのがスミス船長だったとするものもある。 一番可能性のある彼の最期は、前部ボートデッキが沈んだ時に海に流し出されたというもの。火夫の一人は海上に子供を抱いたまま漂っているスミス船長を見たと証言する者もいた。

2019-04-22 23:46:28
えふみふ @Fd_Fmif

沈没の直前まで演奏を続けた音楽団のことはよく知られていると思いますが、彼らは船の乗組員ではなく船会社に雇われてタイタニックに派遣された楽団でした。そのため乗組員でもなければ乗客でもない、しかし契約の関係で上級航海士の指示には従わなければならないという曖昧な立ち位置にいました。

2019-04-22 21:46:30
えふみふ @Fd_Fmif

彼らには二等船室が与えられ、食事も二等用ダイニングでとっていました。 沈没の際は乗客にパニックを起こさせないようにとボートデッキで沈没の直前まで演奏を続け、その楽団員全員が船と共に沈みました。最後に演奏された曲は”主よ御許に近づかん”とも”秋”とも言われています。

2019-04-22 21:50:53
えふみふ @Fd_Fmif

楽長のウォレス・ハートリーは何年も前に「乗った船が沈没しそうになったらどうする」と友人に聞かれ、「楽団員を集めて演奏するよ」と答えたそうです。 沈没の2週間後、彼の遺体は身体にヴァイオリンを結びつけた状態で発見されたそうです。

2019-04-22 21:59:17
えふみふ @Fd_Fmif

この音楽団のように“曖昧な立場”にいたのが一等用レストラン“アラカルト”の従業員でした。 このレストランは船会社が経営していたわけではなく、ムッシュー・ガッティが特別に許可を得て営業しており、彼らもまた“乗客でもなければ乗り組み員でもない”立場にいました。

2019-04-22 22:19:56
えふみふ @Fd_Fmif

タイタニックには各等級別の食堂と、特別に許可をもらい営業していたアラカルト・レストラン、軽食がとれるベランダカフェ(パームコート )、カフェ・パリジャンなどがあり、カフェなどではいつでも軽い食事や熱いコンソメを飲めました。

2019-04-22 22:42:12
えふみふ @Fd_Fmif

タイタニックでは1等から3等までの乗客の待遇がほかのどの船よりもよく、2等客はほかの船で言うところの1等客クラスのサービスを受けれて、3等客も(今では当たり前のことですが)乗客一人一人にベットが与えられ、量も質も良い食事や香りの高い紅茶を与えられました。

2019-04-22 22:47:09
えふみふ @Fd_Fmif

当時の大西洋航路において三等客は船底の船室に押し込められ、食料も持参させる場合があるような待遇だったため(もちろんそれ以上のサービスを受けれる船もありました)、一等客と比べると雲泥の差はあれど、当時の基準としては高いサービスを彼らは受けることができました。

2019-04-22 22:50:41
えふみふ @Fd_Fmif

タイタニックにはオリンピックという瓜二つの姉妹船がおり、先に就航したオリンピックから様々な改良点が得られたため、竣工直前のタイタニックにその改良が施されました。そのため細部を見ると様々な点で違いが見えてきます。

2019-04-23 06:57:27
えふみふ @Fd_Fmif

まずAデッキにあるプロムナード(遊歩道)の半分の窓にガラスが取り付けられます。当初は窓枠だけの吹きさらしの状態でしたが、強風や波しぶきから乗客を守るための処置でした。 タイタニックにはスイートルームが増設されており、これによりBデッキにもあったプロムナードが廃止されています。

2019-04-23 07:01:13
えふみふ @Fd_Fmif

他にもCデッキ船首部の船員用食堂の窓の追加や、レストラン・アラカルト、カフェ・パリジャンの開設など、大小様々な改良が加えられました。 これらの改良点は妹船のブリタニック号にも取り入れられました。 タイタニックの沈没後は、姉と妹共に救命ボートの増設などの処置が取り入れられます。

2019-04-23 07:05:50
えふみふ @Fd_Fmif

しかし、いくら細部が違うと言ってもパッと見タイタニックとオリンピックは本当にそっくりな船なため、様々なメディアにてオリンピックの写真をタイタニックの写真と説明するなどのうっかりミスが発生しました。 また、両船が瓜二つなことを利用した船体のすり替え説などの都市伝説も生まれました。

2019-04-23 07:25:39