- Uroak_Miku
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1)高校に上がったとき、国語の副教材としてチャート式の参考書も受け取って、開けてみたら日本文学の長編名作紹介に『日本沈没』があってちょっと嬉しかったり意外だったり。著者そのひとも後日腐していたように、いわゆる論壇ではまともに扱ってもらえないままでした左京小説。
2019-05-06 13:07:382)『沈没』の受賞歴をみても、日本推理作家協会賞はあっても直木賞とかの文壇系のものがなかった。 文壇の存在理由って何だかわかりますか?いわゆる「国語」の世界で小説家たちが権威を自己維持するためにあるんですよ。
2019-05-06 13:10:453)正しい国語とはなにか、あるべき文とはなにか。その手本であり規範を担うのがわれら文人であるぞ、とアピールし自己権威化するために文壇が、そして文学賞はまわっている。
2019-05-06 13:12:235)左京先生の長編第一作『日本アパッチ族』は直木賞の候補にあがっていたとかなんとか…カレル・チャペックの『山椒魚戦争』の匂いが濃厚なこの怪作、結局論壇バッジはもらえなかった。左京先生はついに文壇には入れてもらえなかった。
2019-05-06 13:16:106)北杜夫も『人工の星』とかで芥川賞の候補に入ってはいるのです。しかし川端康成に完全黙殺されて落選。結局SFとは無縁な『夜と霧の隅で』で受賞。
2019-05-06 13:17:497)正しい国語の担い手=自分たちの権威化という裏メカニズムが文壇にはあって、北はこれに入れてもらえたけれど小松は排除された。 SFはむしろ国語なんか知ったことか体質だから。
2019-05-06 13:19:518)大江健三郎が『キルプの軍団』でスぺオペをくり広げたものの、筒井康隆に「SFに必須な、アレが感じられない」と評された。 私なりに解釈すると、大江は「正しい国語」という自意識をついに捨てきれなかった、それが筒井の目には「アレがない」と映ったのではないか。
2019-05-06 13:22:179)『キルプ』ではなくほかの作品だったかな。とにかく「アレが捨てきれない」が筒井の目には「アレがない」と映ったのは興味深い。
2019-05-06 13:24:06