放射能のリスクをやたらに過小評価したがる性向をどう考えればいいのだろうか。パニックや「風評被害」を恐れるとか原子力政策を死守したいとかいった理由ならばわかる。だが、政府や地元住民や電力会社とは関係のない人間たちまで「放射能は危険ではありません」と口を揃えていうのはなぜだろうか。
2011-05-10 14:00:03原子力産業畑の人もさすがに原発の将来は暗いということを自覚してきたのではなかろうか。だとすれば、最後の悪あがきをしそうなそういう人々をこそ、代替エネルギー開発の先頭に立たせるような提言を政府はもっとぶちまけてほしいところ。白紙の一歩先の方がむしろ気になる。
2011-05-10 21:54:30一人の命は、地球よりも重い。そのことが今まさに問われているのではないでしょうか。誇張かもしれません。でも、子を想う親の気持ちはそんなものではないかと思います。私にももうすぐ二歳になる息子がいます。要は、想像力の問題なのでしょう。
2011-05-11 02:19:24もちろん、国家がそれなりに人命を尊重していることを認めますし、そのことを否定するわけではありません。しかし、今起きていることは、確率の問題であって、確率の問題について国家は我関せず、と言っているようなものです。たとえは悪いですが、子供たちの未来がいわば国家の賭けに晒されている。
2011-05-11 02:22:42それと同時に、もうひとつ絶対外せないのが、「フツパ」の精神。http://bit.ly/ly0MtE もちろん肯定的な意味で。少しでもおかしいと感じたら、その違和感をいちいち言語化していかないと、後で泣き寝入りするだけに終わってしまう。それで後悔しないのであれば、お好きなように。
2011-05-11 15:10:53集団的に意見を統制しようとする圧力の前で、自分が異なる意見や立場に立ったとき、正面突破はかえって逆効果になりやすい。だから、積極的にズレたり、身をかわしたり、聞いている振りをしたり、空とぼけてみたりし、いざとなったら抜け出したらよい。これは無責任ではなく、責任のある行為だと思う。
2011-05-11 15:26:57無責任でないというのは、正面突破が限りなく難しい限りにおいて、だ。正面突破に公算の見込みがあると思える場合には、できることなら持論を堂々と展開した方がいい。これは責任ある行為というよりは、勇敢な行為だ。その見込みが薄いのに正面突破を試みるのは、愚かというよりは無駄骨である。
2011-05-11 15:37:12「能力に対する信頼」と「意図に対する信頼」・・・今の政府に対して私はその両方を損ねている。@sakichoco 「前の政府」にも期待できなかったように、当面は、「後に続く政府」にも大した期待はできそうにない。けれど、政府ではなく、民衆の声には前よりも期待できるような気がする。
2011-05-11 16:11:47「和をもって尊し」という聖徳太子の思想は、「個をもって尊し」という発想と相まってこそ真価を発揮する。聖徳太子は個性の爆発だ。現代日本社会における和の礼賛は、聖徳太子への裏切りである。
2011-05-11 16:27:58被災地を生きる人々は「いま・ここ」にある心配で精いっぱいだろう。原発事故の厄介さは、それに加えて、「10年後」の自分たちの心配までしなくてはならないことだ。ところが、政府はそれに加えて、自分たちの政権があと「何週間、何カ月」もつかという心配もしなければならない。
2011-05-11 16:45:44政治家にとっては、正しい知識や情報とともに、社会を変革しようとする情熱ががかえって足かせになることが往々にしてある。人気取りや愚民化政策こそが政治家の自己保存にとって有効であることが少なくないから。
2011-05-11 16:49:31非常時には人間が試される。「秩序の維持」という名のもとに非人間的なことを平然とやってのけられる者がいると思えば、真実と自由を求めるがゆえに人間的な葛藤を生きる者がいる。全体の幸福のために、一人一人の自由が侵害されてはならない。この場合、自由とは我がままとは何の関係もない。
2011-05-11 23:59:06政治家や経済人が人々の生命や生活よりもコスト面を重視するのは、社会システムの維持を生身の人間の生存よりも優先するからである。それゆえ、原発で被害に遭った酪農家の苦悩を政治家に理解しろと訴えても無理な相談である。→
2011-05-12 02:14:04→土下座して謝罪させることよりも、然るべき法的な手続きに則り、コスト面で生じた、そして将来生じるであろう被害のコストをきちんと打ち出した上で、しっかりと補償させることが優先されねばならない。補償問題を曖昧にしたままで謝罪するのは本末転倒だ。土下座して牛が返ってくるわけではない。
2011-05-12 02:40:02←そう考えると、加害者には安易に謝らせない方が得策かもしれない。土下座する姿は人々の同情心をくすぐりかねない。そうすれば、世間的な次元で、補償問題に対する人々の関心が相対的に薄まってしまう。マスコミは土下座する姿ではなく、被害の具体的な状況と規模をこそもっと焦点化すべきだ。
2011-05-12 02:33:27これだけの人的・経済的な犠牲を払ってもなお原発政策を基本的に維持するとしたら、原発に拘る主な理由が「電力供給の安定化」にないことは明白になる。その時には、原発開発はいざとなった時の核開発への布石でありカモフラージュであるという、しばしば囁かれてきたことの信ぴょう性が高まるだろう。
2011-05-12 02:37:46日本では、ポジティヴな情報が社会に浸透するのは極端に早いのに、ネガティヴな情報が共有されるのにはひどく時間がかかる。被災地での復興に向けたスローガンは遍く浸透したが、原発の恐怖がいまだ他人事でしかない人たちは少なくない。
2011-05-12 13:31:33ポジティヴな思考をこよなく愛する国民性に鑑みると、原発の恐怖と愚かさを声高に訴えること以上に、再生可能エネルギーの開発と実用化がもたらす具体的な利益を試算して、その恩恵を大々的に宣伝する方が、脱原発への近道であろう。その意味で、管首相の白書宣言は一定の効果はあったかもしれない。
2011-05-12 13:37:24@blowbass 非常時に政府が最も気にかけているのは、パニックや暴動や「風評被害」であることは今や明白となった。現在進行中の被害を最小限度に抑えることはつねづね考えているだろうが、それが必ずしも国民の将来の健康や福祉であるとは限らない。
2011-05-12 13:53:59@blowbass 今の現状をなんとか取り繕うことに全力で取り組んでいることは間違いないだろうが、将来的なリスクの減少まで十分に配慮している余裕も暇もない、というのが実際のところだろう。それに対して、東電の経営陣は、将来の経営上の損得も見据えているであろうことは間違いない。
2011-05-12 14:00:00