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まとめ管理人
@1059kanri
朝廷における朝議でも、明治憲法下の御前会議でも、天皇はその「有力構成員」ではあるものの、基本その議論の場における多数意見に従う事が慣例となっており、実は天皇個人の意見というのはあまり重要では無かった。
2019-05-14 23:08:57
まとめ管理人
@1059kanri
なので幕末に徳川慶喜や松平容保が孝明天皇から個人的な信任を得たと言っても、それが直接朝廷世論の掌握には繋がらないわけですね。その場合も廷臣が天皇に対し不忠なのではなく、「天皇に道を誤らせない」という意味で「忠義」なのです。
2019-05-14 23:21:47
まとめ管理人
@1059kanri
実は江戸幕府に於いては、将軍の権威は時代と共に上昇し、幕末頃にはどんな実力者であっても将軍の個人的信任無しには権勢を振るうことが出来ない状況でした。なので慶喜や容保は天皇も将軍的なものだと考え、天皇個人に接近したと考えることも出来るかも知れません。
2019-05-14 23:42:57
まとめ管理人
@1059kanri
このあたり、西国にあり朝廷の実情に詳しかった、彦根藩の井伊直政にしても薩長にしても、天皇個人の意見がどうあろうが朝廷内の多数派工作に勤しんだ事と対照的ではあります。
2019-05-14 23:50:20
大山 格🇺🇦
@itaru_ohyama
@1059kanri 憲法制定するまでの狭間の時期は、天皇と憲法のあり方をめぐって、さまざまなドラマがありました。明治帝と幼なじみ藤波言忠をドイツに派遣して憲法学を叩き込み、それを口移しで明治帝に伝えることで間接的ながらスタインの学説を学ばせたり、道徳論で山岡鉄舟にぶん投げられたりしてます。
2019-05-14 23:17:46
林小可@猫空茶藝館12/31西け20a_新刊『遥かなる近代』第10号
@xiaoke_As
@1059kanri 壁|ω・`) 日露開戦前、日米開戦前の御前会議で、和歌を読んで意を伝えてもガン無視されてますしねぇ(苦笑
2019-05-14 23:19:25