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えーと試みに、なんですがつらつらと連投します。…すでに何人かの方にはご相談もしたので知っている方もおいでとは思いますが…現在手塚治虫『どろろ』及び、そのメディミックス全般に対する考察本の企画を進めておりまして_(┐「ε:)_
2019-06-11 19:21:01私この間からゴソゴソやっている、『どろろ年表』を河原端がらさんと、ともかくも試作完成して『どろろ』と史実についてあれこれたわ言ぶつあたりで参加することになりそうで…
2019-06-11 19:23:30それに当たりまして(本来全然専門外なんで、私自身が冷や汗なんだが)…おそらく作中世界の前提になっている室町後期の社会、この辺入門編に噛み砕かなければ、おそらくほとんどの人には「こんな時代」とイメージすら浮かばねーんではないかと。
2019-06-11 19:25:26…まあ挫折しっぱなしもなんなので、私の場合ぐだぐだ呟いてれば端緒を思いつくかもしれない。一応『室町時代』というやつについて概観をメモってみましたが。こんな感じ。 pic.twitter.com/1UEar5542i
2019-06-11 19:28:09室町時代…戦国とか江戸とか平安とかに比べて、どうにも一般認知が低く地味な印象が拭えませんが(…どういう時代ってパッと絵が浮かぶ人が少数派よね)…私的にいうとこれ地味なんじゃなくて、設定盛り過ぎて飽和してるんだわ。_(┐「ε:)_…誰がこれを要約出来るというの。
2019-06-11 19:30:29まずな、印象が薄い割に結構長いんだわ。190年位ある。無能でグッダグダな将軍ばかり続いた割には、鎌倉幕府より保ってるんだな。(意外と)…そして時代区分が錯綜してややこしい。
2019-06-11 19:32:46「室町時代」という区分で行けば、主に室町第に御所を置いた、足利将軍家が将軍職を継承していた時代となるので、1378ー1568年頃、となる。しかしその始め60年間位は、南北朝時代、とも称されるし、その動乱が終わると今度は応仁の乱で、これが終わってからの約100年くらいが一般的に「戦国時代」。
2019-06-11 19:37:25ちょっと長大になりそうなんでスレッド分けよう。…まあ私は歴史研究が専門じゃないし、あくまで『物語』的にこの時代をどうイメージするかというと、古代王権(天皇家)の聖俗双方に及んでいた覇権がとうとう失墜する、その長い断末魔の200年弱、という感じがする。
2019-06-11 19:45:26天皇家の聖俗の権威というものを、とうとう誰も信じなくなる、その危機感が天皇や公家自身においても、また結局は天皇権威で権力が担保されていた将軍においても凄まじく、無茶苦茶往生際悪く暴れていた200年、というか。
2019-06-11 19:48:23そういう時代の象徴として何を上げるかというと、どうもやっぱり後醍醐天皇なんだよな_(┐「ε:)_ pic.twitter.com/GsRO435lt3
2019-06-11 19:49:52後醍醐天皇の建武の新政が早々に破綻して、室町時代は幕を上げるわけだけども、でも結局室町時代…ひいては日本史中世てものを通して、この人の異様さがずーーっと有形無形に影響を与え続けている、としか思えないんだよな。
2019-06-11 19:52:44まあやっぱ、必須参考図書、網野善彦『異形の王権』て感じなんですけど(…既にちっとも噛み砕いてないな)文庫にもなっていて、このタイトルの論考自体は結構短いので、興味を持った方は是非。短いながらかなり刺激的です。
2019-06-11 19:54:59この後醍醐天皇の有名な肖像画ですけど、天皇の肖像としては図像的に本当に異様で。これ掛け軸で上にもっと長いんですけど、上に八幡大菩薩、天照大神、春日明神って書いてあるんですね。
2019-06-11 19:58:30まず在位中の天皇が袈裟をつけて、独鈷杵という密教仏具を握っているというのがまず異様。天皇というのは結局この国の神道儀式の親玉なので、仏門に入るとなると、それは天皇としては退位することを意味するんですな。
2019-06-11 20:01:07それが、この後醍醐天皇は実際記録もされているんだけども、鎌倉の幕府政権の打倒を祈願して、自ら密教系の加持祈祷を行なったというんだから、その当時から型破りというか、総毛立つような異様さを放つ人だったわけで。
2019-06-11 20:02:39そしてこの髭面も異様ですよね。全く公家風じゃない。実際問題その息子の護良親王とともに「本当に皇族かよ!」というくらい武断の行動をする人で、何度もクーデター計画が発覚して隠岐に配流までされるのに、何とそこを脱出して、とうとうクーデターを果たしてしまうので、
2019-06-11 20:05:32クーデターを果たしてこの人がとった政策というのが、懐古的であると同時に新しすぎる、天皇親政による専制支配みたいな政策だったもので、山程軋轢を生じて、結局足利尊氏に離反されちゃってその志は半ばで尽きるわけですけども。
2019-06-11 20:08:55でも結局足利政権は後醍醐天皇という存在を殺し得たのかというと結局出来ていない。建武の新政が挫折して室町幕府に実権が移る過程で、後醍醐天皇の息子だった護良親王が幽閉の果てに謀殺されるんですが。
2019-06-11 20:12:20…なんていうんだろう、日本の文学寄りの歴史観的に、前時代に殺された誰かの怨霊への恐怖の上に次の時代が紡がれる、という所があるけれど、室町時代においてはこの護良親王が時代の怨霊だったのではないか、という感じがします。
2019-06-11 20:14:18まあ実際当時も足利将軍家がずーっと内輪で争っていて、世が乱れるのは親王の祟りだなんて言われたようですし。太平記なんかでは、この親王は天狗に変じたことになっています。
2019-06-11 20:17:48権力争いで敗れたものたちが、天狗道に落ちて…確か日に何だかんだ決まった量の煮えたぎった鉄を飲まなきゃ行けないんだけど、その代わりに天下の騒乱を巻き起こす法力を得るという…それが太平記の天狗観なんですけど、この辺とか、すごく『どろろ』に出てくる魔神ぽい。
2019-06-11 20:24:40だから、天皇制の権威の失墜というものが甚だしく、それに伴う身分制や諸々の秩序の混乱が上から下まで大変なことになっていて、皆そこら中からそういう得体しれない悪いものが現れるんじゃないかと思っていた、そういう時代であったわけです。
2019-06-11 20:27:28