空と踊る男のツイッター怪談その2:夕焼け恐怖症

ツイッターに投稿したオリジナル怪談です。 なおツイッター怪談とは「ツイッターで語る怪談」という意味合いですので、特にツイッターを題材としているわけではありません。念のため。
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空と踊る男 @dancewithsky

ではでは、 #ツイッター怪談 第二弾の投稿を始めさせていただきます。 タイトルは「夕焼け恐怖症」です。 なお、(完)と出るまではまだ話は終わっておりませんので、念のため。 それでは、ごゆりとお楽しみください。

2019-06-13 21:35:33
空と踊る男 @dancewithsky

都内のアパレル企業にOLとして勤めるUさんが、仲の良い同僚のOLだったIさんから聞いた話である。 なお、筆者はこの怪談の蒐集のために知人を介してUさんと一度会ったきりで、本来の語り手であるIさんとは面識がない。だからこの話が事実かどうかは、もちろん判らない。一応そういうことにしておく。

2019-06-13 21:39:15
空と踊る男 @dancewithsky

Iさんには、どうしようもなく恐ろしいものがこの世にひとつだけあった。 「夕焼け」である。夕焼けが怖くてたまらないのだ。 その恐怖がいつから、なぜ始まったのかは本人にも判然としない。少なくとも十代のとば口に立つ頃にはそれをはっきりと自覚していたという 。 夕方という時間帯自体が苦痛と

2019-06-13 21:40:36
空と踊る男 @dancewithsky

いうわけではない。また夕焼けがその後に訪れる夜や闇を連想させるから怖いというのとも違う。原因不明の恐れを覚えるのはあくまで夕焼けそのものに対してなのだ。 「血のような」と形容されることもある、赤とオレンジが溶け合った独特な色の西空。沈みゆく夕陽。そしてその夕陽が照らす雲の群れ。

2019-06-13 21:42:11
空と踊る男 @dancewithsky

それらが眼中に入るだけで、もういけない。動悸は高まり、呼吸は乱れ、両の掌に厭な汗が滲む。背筋をおぞましい戦慄が這いのぼり、ひどい吐き気と震えに襲われる。 それほどIさんにとって夕焼けへの忌避の念は深刻なものだった。他の人は夕焼けを嫌うどころか、目にすると「綺麗だなぁ」などと感慨に

2019-06-13 21:43:44
空と踊る男 @dancewithsky

浸っていたりするのも全く理解できず、なおさら恐怖を募らせた。自分は精神を病んでいるのではないか、と真剣に悩みもした。 長じてゆく中で本やネット等で調べてみた結果、人間にはありとあらゆる種類の恐怖症が存在し、それらの大半は明確な原因など特定できないこと、恐怖の対象を極力避けつづける

2019-06-13 21:45:11
空と踊る男 @dancewithsky

か、逆に正面から向き合って克服する以外には対処方法はほぼない、ということを知った。 後者はIさんにとっては絶対に不可能な話だった。 だから、夕焼けに出くわすのを避けるために帰宅時刻を調整するのが困難な高校生までの日々は、まさに地獄だった。夜になれば恐怖から解放されるのに、毎日遅くに

2019-06-13 21:46:30
空と踊る男 @dancewithsky

帰ることなど当然家族は許してくれない。そんなことをしなければならない理由も誰にも説明できない。頭がおかしいと思われるに決まっている。 社会人になり一人暮らしを始め、完全な夜が来るまで自由に時間を潰すことができるようになってから、Iさんはやっと救われた気がした。要は窓のない屋内で

2019-06-13 21:48:07
空と踊る男 @dancewithsky

黄昏時が過ぎゆくのを待てばいいだけなのだ。そして陽の長い夏になら、仕事さえ早く終われば空に赤みが混じりだす前に帰宅することも可能となる。そもそも一日じゅう雨が降りつづく日なら心配自体が無用だ。 就職してからのIさんは、季節や天候を慎重に見計らいつつ、恐怖の対象との遭遇を避けるすべを

2019-06-13 21:49:50
空と踊る男 @dancewithsky

巧妙に身につけていった。 致命的なミスさえ犯さなければ、もうあの凶々しい茜空を恐れる必要などない。そう考え、積年の理不尽な責め苦から解放された気分を味わうこともあった。 だが、誰の人生にも予想だにしない瞬間は訪れる。 Iさんの住むアパートは駅から徒歩10分弱の距離にあり、山側のやや

2019-06-13 21:51:21
空と踊る男 @dancewithsky

高台に位置しているため坂道を登り下りする必要がある。高台と駅を結ぶ坂道ルートは複数あるが、Iさんは傾斜はきついが最も距離が短い坂を毎回選んでいた。夜道を照らす街灯の数が比較的多く、帰る際に安心感があるという理由もあった。 しかし、そのルートには一ヶ所だけ、かなり厄介な場所があった。

2019-06-13 21:52:38
空と踊る男 @dancewithsky

ちょうど坂道を登りきったところの左手に、なぜか長いあいだ住宅が建たずに放置されている広めの造成地があり、そこだけ切り取ったように空と眼下の街並みが展けていてやけに見晴らしが良いのだ。 こんな眺めから万が一にも夕焼けを目にしたら、どれだけ恐ろしいだろう…… そこを通るたび、ついそんな

2019-06-13 21:54:20
空と踊る男 @dancewithsky

想像を巡らせてしまう。 仕事の疲れから帰宅時間の調整に微妙に失敗し、空に朱が差しかかる夕間暮れにそこを通ってしまったことが一度だけある。取り乱しながらも必死に西側から顔を背けつつすくむ足で駆け抜け、何とか直接の目撃は回避できたのだが。 そして、うだるような猛暑となったある夏の日。

2019-06-13 21:56:15
空と踊る男 @dancewithsky

Iさんはその日、定時に仕事を終え帰途についた。夏の盛りの空は夕刻を過ぎてもまだ十分に明るい。さいわいIさんの職場は自宅からわりに近かったため、これなら逢魔が時の訪れる前に余裕で帰宅できる。 最寄り駅を降り、Iさんはいつものいちばん近道である坂に足を向けた。やがて坂を登りきると、そこで

2019-06-13 21:57:50
空と踊る男 @dancewithsky

ひと息つき汗を拭った。 そのとたん、激しい立ちくらみに襲われ、Iさんは自らの身体を支えきれずにその場にくずおれた。 ふと気づくと、坂の真上の道にへたりこんでいる自分がいた。 苛烈な暑気に当てられ、しばらく気を失ってしまったようだ。 あたりはいつのまにか赤くて紅い橙色に包まれていた。

2019-06-13 21:59:15
空と踊る男 @dancewithsky

え…… 全身を強張らせたその次の刹那、Iさんはまるでそうすることが定められていたかの如く、無意識に左手の西空に目を遣っていた。 濃淡の異なる血と血が混ざり合って逆巻き渦を成しているかのような凄絶な夕焼けが、空を染め抜いている。 Iさんはなぜか視線を逸らせなかった。凍りついたように目を

2019-06-13 22:00:45
空と踊る男 @dancewithsky

瞠りながら茫然自失したその時、 造成地のずっと奥の、夕陽の沈みゆく地平線とほぼ重なった中空に、何か黒い影のようなものが浮かんでいるのが見えた。さらにそれがだんだんこちらに近づいてくるのも。 近づくにつれ、次第にそれの形がはっきりしだした。 ……人? 黒い靄状の塊でありながら、姿形

2019-06-13 22:02:39
空と踊る男 @dancewithsky

だけは人のそれだ。 まだ距離はあるがどんどんこちらに近づいてくる。次第にその速さが増しているように思える。 何…… Iさんは身体を動かせなかった。目を閉じることすらできない。かつて覚えたことのない途方もなく不吉でどす黒い予感が胸を満たしてゆく。 それから、Iさんの耳にどこか遠くの方

2019-06-13 22:05:19
空と踊る男 @dancewithsky

より呼ぶ声が響いた。 おぉぃ… 誰かの、いや「何か」の呼び声。ぬめり粘つき膚に絡みついて離れないような、人の呼びかけを模していながら人ではないものの声。 おぉぃ… そしてその声も徐々に近づいてくる。 おぉぃ… ……でもおかしい。そんなはずがない…… なぜなら、その声は間違いなく、

2019-06-13 22:07:23
空と踊る男 @dancewithsky

Iさんの背後から聞こえてきたから。 おぉぃ… 前方の血みどろの夕焼けの向こうからは人の形をした人ならざる黒い影が、後方の見えないどこかからは人に似た人ならざる呼び声が、同時にIさんに迫ってくる。 逃げられない…… 耳を塞ぎしゃがむことも振り返ることもできず、絶望に囚われながらIさんは

2019-06-13 22:11:29
空と踊る男 @dancewithsky

その場に立ち尽くしていた。 おぉぃ… 声はすぐ背後まで近づいている。そして黒い影も今や恐るべき素早さでIさんの目前に迫っている。 ……このままここから動けずにいたら、私は、一体…… おぉぃ… ついに黒いものがIさんのすぐ正面まで来た。間近で凝視しても、やはり人の形をした真っ黒な影に

2019-06-13 22:14:13
空と踊る男 @dancewithsky

しか見えない。 来る、助からない…… 慄きが止まらない。限界まで亀裂の生じた足下がついに崩れ落ち、全身の血がその奥底へと吸い取られていくようだった。 嫌…… もうおしまい と、頭の中で囁きが聞こえた気がした。 おぉぃ… 「おぃ」 耳許でそう呼びかけられた瞬間、Iさんの視界は暗転した。

2019-06-13 22:21:56
空と踊る男 @dancewithsky

あんたみたいな子なんて産まなければよかった。 氷のように冷たい声で、母がそう言った。 母の背後には真っ赤な夕焼けが垣間見える。 あんたみたいな子なんて産まなければよかった。 繰り返しつぶやきながら、母はIさんの首をゆっくり絞めていた。 ……ごめんなさい。許してください。Iさんは必死に

2019-06-13 22:24:51
空と踊る男 @dancewithsky

謝ろうとした。けれど首を絞められているせいで声が出せない。 あんたみたいな子なんて産まなければよかった。 何か……思い出せないけれど取り返しのつかない何か悪いことを自分はしてしまったのだ。謝らなきゃ。ちゃんと謝って許してもらわなきゃ。 あんたみたいな子なんて産まなければよかった。

2019-06-13 22:26:46
空と踊る男 @dancewithsky

能面のような無表情で、母は幼いIさんの首を容赦なく絞めつづける。 ごめん……なさい……ゆる……して…… Iさんの目に涙が滲んだ。視野が狭まってゆく。 あんたみたいな子なんて産まなければよかった。 おぉぃ… 薄れゆく意識の中でIさんは、背後から呼ぶその声を聞いた。 にぃぇ、と母が笑った。

2019-06-13 22:28:47