佐々木敦氏のホンマタカシ論

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佐々木敦 @sasakiatsushi

東京オペラシティアートギャラリーにて、ホンマタカシ展『ニュードキュメンタリー』。しかしこれだけ観るだけでも、ホンマタカシという写真家が、たぶんそもそもの最初から極めてコンセプチュアルな姿勢で写真に向かっており、なおかつ何でもどんなにでも撮れる技術を兼ね備えていることがよくわかる。

2011-05-07 12:13:25
佐々木敦 @sasakiatsushi

以前、ベクトルズでインタビューした時、ホンマタカシは現代の写真家には「関係」を撮る者と「原理」を撮る者がいて、前者はアラーキーやナンゴールディン、後者はたとえば鈴木理策や自分であると話していた。では今回の展示の一連の娘さんの作品は「関係」なのかというと、そんな単純な話ではない。

2011-05-07 12:35:04
佐々木敦 @sasakiatsushi

そもそも「関係」と「原理」は当然ながらパキッと二つには分けられない。「関係」を撮った写真にも「原理」は潜むし、「原理」を晒け出そうとしても「関係」は忍び込む。だから、シャッターを切る際の動機はどちらかに偏っているのだとしても、どこかでもう一方に留意している必要があるのだと思う。

2011-05-07 12:37:55
佐々木敦 @sasakiatsushi

あと、これは彼の本でも強調されていることだが、写真における「決定的瞬間」なるものをめぐる懐疑と問い直しということがある。「決定的瞬間」なんてものが写真それ自体に内在していないのは当然のことだ。それはコンテクストと意味論の範疇でしかない。だがそれでも、写真は「瞬間」を「決定」する。

2011-05-07 12:39:50
佐々木敦 @sasakiatsushi

写真は「瞬間」を「決定」する。これが僕が「写真」を表象芸術の中でもっとも異常なものだと考える第一の理由である。たとえば、波を撮った作品群にかんして、ホンマタカシはフレームを覗かずにシャッターを切っていたと話していた。それは「表現」ではなく、或る意味では只の機械的な「記録」である。

2011-05-07 12:42:11
佐々木敦 @sasakiatsushi

だが、それをプリントし展示することで「表現」になり「芸術」になる、というような単純なことでもない。やはり「瞬間」の「決定」の内に「表現=作品」への転移が装填されている。

2011-05-07 12:43:16
佐々木敦 @sasakiatsushi

これはたとえば、何の変哲もないフィールドレコーディングは、ただそれだけなら「自然の音」でしかないが、マイクロフォンで拾ってレコーダに録音するだけで、何かが変わってくる、ということにも似ている。それは「芸術」を「芸術」足らしめる事後的なプレゼンテーションの問題以前のことなのだ。

2011-05-07 12:44:41
佐々木敦 @sasakiatsushi

或いは、そうして機械的に定着された膨大な「瞬間」から、正に事後的にどれを選ぶのかという問題。その選択を支えているのは個人的な趣味判断や、その上位にある美学的な尺度だけなのか。これは僕にとっては、『即興の懐胎』で論じた「なぜ演劇は複数回上演されるのか?」という問いと関係している。

2011-05-07 12:48:20
佐々木敦 @sasakiatsushi

ああ、違うな。フィールドレコーディングとの連想は適当ではなかった。それなら「映像」でも同じだから。「写真」で起きているのはたぶんもっと変なことだ。確か前にも書いたけど、誰も「写真」のように世界を見てはいない。だがわれわれは「写真」を見ることが出来る。このことが兎に角、異常なのだ。

2011-05-07 12:54:23