プラトン『テアイテトス』を読む

田中美知太郎訳のプラトンのテアイテトスを読みながら分かりにくいところを改訳したり、解説したりしています
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Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

他人の考えに間違いなんかあるはずがないと、君たちは言うのかね。ところが、プロタゴラスの「人間は万物の尺度である」とはそういうことなんだよ。

2019-07-31 16:28:47
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

すると、テロドロスさん、他人にとってはプロタゴラスの説は偽りでも、君にとっては真実だというのかね。それだと、もし仮にプロタゴラスが自分の説を真実だと思っていないとしたら、真実だと思う人は誰もいなくなってしまうよ。

2019-07-31 17:13:25
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

何より滑稽なことは、他人の考えに間違いはないと言うなら、プロタゴラスの考えは間違っているという人の考えも間違っていないとプロタゴラスは言っていることになってしまうよ

2019-07-31 17:36:53
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

すると、プロタゴラス自身も自分の説が真実であるとは思っていないことになってしまう。となると、プロタゴラスの真実を信じている人は一人もいなくなってしまうね(ソクラテスの追究はキビシー!)。

2019-07-31 18:03:52
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

そこでプロタゴラスの意見のうち「人によって頭の良さに違いがある」というソクラテスも同意できるところに戻って議論を再開しようとする。物事を改善できる人は頭のいい人に違いない。医者や政治家がそうだ。しかし、医者は自然を相手にするが、政治家は慣習や法律など人為的なものを相手にする。

2019-07-31 22:38:10
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

すると、医者は人の同意を得るのはたやすいが、政治家はなかなか難しい。人々は自然を重視する考え方で生きているからだ(172b)。ここから、弁論家と哲学者の違いの話に脱線する。プロタゴラス哲学の話に戻ってくるのは177c。

2019-07-31 22:43:01
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

「だが、私たちはこれは、テオドロス、一つの話から他の話へと言論を移して、後になるほど一段と大物の言論のとりこになるじゃあありませんか(172c)」。 「テロドロス君、ここから話が次々に脱線してどんどん大きくなるよ」という意味らしい。「とりこ」はκαταλαμβάνειの訳だが、この程度でよいかと。

2019-07-31 23:36:29
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

172d いまのべた知恵の探求者たちには、——その言論なども平和のうちに悠々閑々と行われるわけなんです。現に私たちのしている言論から言論への変更はこれでもう三度目なんですが、この人たちだって、 言論=議論、変更=移行、この人たちだって→知恵の探求者たち 哲学に無関係な文も分かりにくいね

2019-08-01 14:14:06
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

この脱線の部分で最初は哲学者をけなすかと思えば、途中からは弁論家をけなしな出して、やっぱり哲学者の方が正しいという話になって、これは『大鏡』の古文の方が分かりやすいんじゃないかと思うほど、くねくねとした、話の脈絡が追いにくい(ちょうどこんな)日本語になっている。誰か改訳してよ。

2019-08-01 16:32:08
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

実有運動説(すなわちものは本来何であるかといえば、それは運動するものなのであるということ)を唱えて、そして「それぞれの場合におのおのの者に思われていることは、かく思われているその者にとって、またその通りにありもする」と説いている人人が、この主張をとって断じて枉げようと思わない場合は

2019-08-02 00:57:37
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

他にもむろんあるでしょうが、かの正しい(合法的な)ものについては特にそうなのでして、彼らの主張 によれば、これがその一番著しい場合なのです。およそ一国一都市が自らにそれと思われたところのもの(すなわち議定したもの)をもって法律に制定した場合、そのものはかく制定した国家都市にとって、

2019-08-02 00:58:39
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

それがかく制定されてある限り正しいものでまたありもするのだというのですが、しかしよきもの(善福)についてはもはや彼らは、およそ一国一都市が自分のためになるものだと思って自分のところの法律に制定したものは、たとい何であっても、それがためになるものだとして定められてあるだけの期間は、

2019-08-02 01:02:11
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

またかくのごときものでありもするのだなどと、あえてどこまでもがんばって主張するほど勇敢な者は、もはやひとりもないということをですね(177d)。 プロタゴラスは正義と善とでは言うことが違うと言いたいらしいが、これが分からなくてもプラトンが難解であるせいではないことは明らかだね

2019-08-02 01:08:05
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

それから読みやすいところがしばらくあって、179dで、177cのφερομένην οὐσίανに戻ってくる。前は「実有運動説」だったが、こんどは「運動実有」になっている。万物の本質は流転するという大もとの説。これを検証しようと「これをはじいて、その音に少しの不健全分子もないかどうか」は陶器の比喩

2019-08-02 14:51:30
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

181bこれがもし両派(万物流転派と全世界静止派)の言うところともに少しの当を得たものもないと明らかにされるようになったならば、われわれはこの太古大知の人たちを落第させてしまって、自分たちが―とるに足らぬ者の分際で―語ることに何か真実があると考えていたのでは滑稽なことになるでしょう。

2019-08-02 16:20:00
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

→これがもし両派の言うところ共に少しも当を得た所がないことを明らかにすることになれば、我々はとるに足らぬ分際で、自分たちが語ることに何か真実があると考えて、この太古大知の人たちを落第させてしまったことになって、笑い者になることでしょう。→だから、この考察は危険だよと。

2019-08-02 16:24:06
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

182で、万物は流転する派の説の検証に入るが、ここでまた、「感覚するもの」と「感覚そのもの」の話になるが、これは156ですでに語られ、159eの病気のソクラテスの味の話で語られたことの復習。翻訳に「前にした話(182b)」の場所の指示がないのは不親切。コンフオードの注釈書には指示があるのに。

2019-08-02 17:15:26
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

182c「これらを私たちが言うゆえんのそのもの」は原文は οὗ δ' ἕνεκα λέγομεν「我々の議論の原因、あるいは目的、主題」つまり、万物は流転すということ。この訳はあきらかにわざと分かりにくくしてるよね。

2019-08-02 17:36:59
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

それに続く議論は、和訳ではわかりにくいが、英訳を見ると、もし何もかも動いていて変化し続けているのなら、それを感覚で捉えることもできなくなってしまうだろう、という話になる。

2019-08-02 22:01:39
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

182a したがって、物がむしろを見ると呼ばれるべきであって、見ないとは呼ばれるべきでないということや、むしろまたは何か他の感覚の名を持って呼ばれるべきであって、そうでないものの名で呼ばれるべきではないというようなことは、→これは英語のnot any more than の両方否定の構文の読み違えだね

2019-08-02 22:07:39
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

182e つまり、万物が常に動いて変化してしまうなら、もう見るも見ないもないし、どんな感覚で捉えるとも捉えないとも言えなくなってしまうんだよ(こういうとこは英訳を参考にしたらいいのにね)。

2019-08-02 22:12:43
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

というわけで、君の古い友人(プロタゴラス)の「人間は万物の尺度である」という説は認めるわけには行かなくなった、彼が何らかの賢者でない限りはね(ἂν μὴ φρόνιμός τις ᾖ 183c初め)。ここも英訳をどおりに訳せばこうなる

2019-08-02 23:39:06
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

185c 「何でしかしそうでないはずがありましょう」「しかし」の位置がおかしい。何でこうなるのかというと。原文 Τί δ' οὐ μέλλει の δέ が二番目にあるから。

2019-08-03 11:51:48
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

186e テアイテトス「 とにかくを、事実それをそう呼ぶのが正しくないことだけは確かです」 「それをそう呼ぶ」は何を指すのかと思って原文を見たら、原文は Οὔκουν δὴ δίκαιόν γε.だけ。 詳しくするなら「確かにその二つのものを同じ名前で呼ぶのは正しくないですね」。

2019-08-03 13:48:01
Tomokazu Hanafusa/花房友一 @tomokazutomokaz

187c ソクラテス「 それならどうだろう、思いなしというものについて、そもそもこういうのを再び取り上げるというのはまだなお意味のあることだろうか…」の「こういうの」は原文にはない。翻訳だけ読むと、今から言うことを指しているのかと思うが、そうではなく、単に「思いなし」を指すらしい。

2019-08-03 14:28:46