昨年2010の藤村さん主催のLRAJでみた磯崎さんのプレゼンにて、(village,) city, megalopolis, hyper villageの三段活用を見たわけだが、ここを起点に幾つか話をまとめられると思う。今なんとなくたてられる仮説は2点。ひとつは(省略されました)
2011-05-18 23:21:08昨日の続き。仮説1、ヨーロッパと異なり、日本においてはその三段活用におけるcityが欠如しているのではないか。これにより、ロンドン、パリと東京では、megalopolisでも異なる振る舞いをみせたし、このことがそもそも建築論の95年あたりの大きな転換の背景とつながっている気がする
2011-05-19 17:44:11建築論だなんていうといろいろ誤解がありそうだけど、ここでは建築論=「建物の形、配列とそれから考えられること」程度に捉えていただければ、village, city, megalopolis の流れを把握しやすいと思う。人が集まって住むにあたり、建物の形をどうして、どう並べるかの問題
2011-05-19 17:48:51village=自由でありながらも、生活の知恵みたいにどこかに理由のある形や配列がみられる。原さんの集落の教えとかみるとわかりやすいと思う。city=人が増えてきたうえに、城壁で都市が覆われる。人々をまとめ上げるためにも、教会みたいなランドマークができ、城壁内部が区画されていく。
2011-05-19 17:54:34すごくざっくりだけど、石で造られた建物はなかなか更地にできないこともあり、「計画」が一部の人々の同意を得るためにも大切になる。ルネサンス期に城壁、組石造、都市(city)間抗争、これらのことが重なり合って、設計者(≠施工者)が生まれ、図面が重用されるようになるんだと思ってる。
2011-05-19 18:03:03で、産業革命が起きると都市に人が流入する。都市が各々発達してたために、人々の意識的にも都市をスプロールしにくい状況の中で、より多くの人を抱え込む次の都市構想が求められる。これがカーターの田園都市とかに代表されるcityからmegalopolisへの転換期になるんだと思う。
2011-05-19 18:08:27かなりうろ覚えで書くけど、都市を拡張するのに、衛星都市を設けてそれを六角形に配置するカーターのような都市の配列タイプと、グリッドなどを用いて都市を無限に延長していく(オットー=ワーグナーとかやってた気がする)タイプがある。この考え方が95年くらいまでの建築論の根源な気がする。
2011-05-19 18:13:08いったん話を日本に向けると、日本版都市間抗争ともいえる戦国時代から人口が増えてくる江戸時代に注目すると、1江戸がこの抗争から外れた大きな土地に作られたこと、2、江戸幕府が天下統一していたこと(正しいかわからないけど、都市の領主を移動可能だったのでは?)、この2点が大きいよね。
2011-05-19 18:18:55また、もともと江戸が城を中心にスプロールしていけた都市であったうえに、明治維新があって戦争があって江戸城がなくなって天皇も象徴になって、どんどん東京の地の中心がなくなっていくような感じ。東京のそんな感じは槇さんの見えがくれする都市とか読むとよくわかると思う。
2011-05-19 18:24:46かたや、日本の他の都市はどうかというと、政治の関係もあるかと思うけど、みんな「東京」を目指しちゃうんだよね。俺らも東京みたいな大都市になりたい、っていう意識の上で、身の丈にあってない都市計画と城壁がないための場当たりてきで計画のないスプロールが起きる、と。
2011-05-19 18:27:14だから、日本ではvillage, city, megalopolisの三段活用は当てはまらないし、ケビン=リンチの都市のイメージの話もしっくりこない。逆にメタボリズムが世界に受け入れられた理由は、それが(偶然か意図的か)大都市における建物の形と配列の問題を扱っていたからだと思う。
2011-05-19 18:30:52さて、そうするとmegalopolisにはふたつある。ひとつは、ヨーロッパ的なcityを経由したもの。ドイツのミュンヘンなんかがわかりやすいと思う。cityを基盤に計画的に周囲、中心のバランスを取り都市を発展。同時に電車や高速で近郊都市を結んでいく。市民社会本家の都市デザイン。
2011-05-19 18:53:55ふたつめは、東京に代表される「自由」なmegalopolis。東京がどのような都市であるかは、昨年(だっけ?)のヴェネチアヴィエンナーレの北山さんの文章にほぼ同意できたので、興味のある方はどうぞ。紹介したいけど手元にない…簡単にいうと、細胞のように相互補完的に機能している都市。
2011-05-19 19:03:45ひとつめのmegalopolisは、architectureの思想のもとで組み上げられた大都市、ふたつめのmegalopolisは、現代をvillageの延長で続けた故にできたネイティブな大都市といえる。そのネイティブさを観察したのがアトリエ・ワンのメイドイントーキョーだと思う。
2011-05-19 19:11:36さて、昨日の続き。metropolisには、ヨーロッパ大都市のようにvillage→city→metropolisと変遷したものと、東京のようにvillage→metropolisと変遷したものがあるのではないか、という仮説。
2011-05-21 00:48:40自分で何気に書いて驚いたけど、もうmetropolisは計画・思考されるものじゃなくて観察されるフェイズに入ってるってこと。95年辺りからののリサーチブーム(藤森さんの路上観察はもうちょっと前な気もするけど、詳しく知らないなぁ)が、その観察フェイズだったってことなのかな。
2011-05-21 00:52:10metropolisが観察対象である、ということは次の都市構想が練られるフェイズだともいえるのかな。いったんそれは頭に留めておく程度にして、何が観察されたのかを自分の知識の中で振り返ってみることにする。
2011-05-21 01:10:06なんか建築家の仕事としてのハードとソフトの話がでてるけど、ソフトについて考える人に建築家じゃない別の名称をつければいいんじゃないのかな。
2011-05-21 15:15:56その辺りは僕も気になってる RT @siskw: なんか建築家の仕事としてのハードとソフトの話がでてるけど、ソフトについて考える人に建築家じゃない別の名称をつければいいんじゃないのかな。
2011-05-21 15:19:05建築家の仕事としてのソフトとは何を想定されていますか? RT @mattsu: その辺りは僕も気になってる RT @siskw: なんか建築家の仕事としてのハードとソフトの話がでてるけど、ソフトについて考える人に建築家じゃない別の名称をつければいいんじゃないのかな。
2011-05-21 15:32:12@naga0ka うーん、僕自身は「建築家の仕事」というのは全部ハード(形に残る物)だと思っています。この発言 http://bit.ly/n5uRo に対するツッコミのつもりで書いたのです。ソフトの仕事ってなんだろうな…。曖昧でごめんなさい。
2011-05-21 15:41:46ちなみに、僕は藤森氏を建築家だとは思っていなくて、元・建築史家で文化人類建物学の創始者だと思ってます。藤森氏はarchitectureについて日本で一番くらい詳しい人だけど、藤森氏の考えそれ自体はarchitectureとして語るのは無理があるなぁって。だから新しい学問の創始者。
2011-05-21 15:47:26@mattsu @siskw 「建築家の」と限定されていたので興味を持ちました。ハード/ソフト=有形/無形と区別するのは建築にとって有意義ではないという風にぼくは思っています。抽象的ですみません。(リンク先が中国からでは見れず、内容を把握しないままの@失礼しました)
2011-05-21 15:52:09@naga0ka うーん、有形・無形の分類が「例えばこれからの社会を考えた時に」とか、「僕の仕事をやりたいと気に」有意義じゃないというならわかるんだけど、なんで建築と関係があるのかが分からないんですよね。今までのarchitctureの歴史をどうアップデートできるんだろう。
2011-05-21 15:59:57