@mugi80190880 実はなんですがうちの母方の曾祖父も戦争に行ってまして、白兵戦になり刀を抜こうとした時に軍刀のサーベルのようになった柄の部分が弾を弾き命を救ってくれたらしいです。 その刀は今も曾祖父の家に保管されています。
2019-08-06 23:38:05@mugi80190880 FF外からすいません。 うちの大叔父は早稲田大で学徒出陣。そのまま帰らぬ人に。彼の子孫はいません。 戦地から帰った弟には子孫がいます。 少しの差なんでしょうね。生き死には。 地元では優秀で有名だったと聞いていますが、死んでしまうと何も残りませんね。。。
2019-08-06 22:28:16@mugi80190880 @softxxx3 僕の父は東京初空襲の時、来襲したB25を日本の96式陸攻と誤認して、道路に出て手を振ったそうです。当日、少年がB25からの銃撃で死亡してるんですよね。恐ろしいなぁ。city.katsushika.lg.jp/history/child/…
2019-08-07 01:03:29@mugi80190880 うちのひいじいちゃんも爆弾乗っけてないタイプの零戦で銃弾に首を抜かれましたが奇跡的に太い血管や骨には当たらず、なんとか引き返して生還、あと少しズレていたかあと少し弾の口径が大きければ死んでいたと思うと奇跡って本当にありますよね。
2019-08-07 01:07:04@mugi80190880 @Witchwatch99 父は北支で当番の斥候の時に狙撃兵に太股を撃たれました。斥候は頭や心臓を狙わず脚を撃ち救助に出る兵隊を次々に撃つのが定石。運良く斥候の位置を知った友軍が集中射撃で倒したが軍医が居ない。父は死を覚悟したそうです。だが獣医が居た❗ 獣医に弾の摘出手術を受け父は助かり私が生まれたのです。
2019-08-06 22:28:12@mugi80190880 @Witchwatch99 幼児の私は父と風呂に入った時に父の太股の傷(外側と内側)を「どうしたの?」と尋ねると「敵に撃たれたんだよ。もう少しずれてたらお前は生まれて来なかったんだよ」と答えました。幼児の私には(´・ω・`)❔後に 数センチずれてたら父のオチンチンに当たり自分は生まれて来なかったなーと理解しました😶
2019-08-06 22:40:49@mugi80190880 FF外からすみません💦💦 私の父も少年ながら戦争を体験したそうですが、 ほとんど話してくれません。 でも、あんな事もう要らんとは言ってたので、 平和ってすごい事で、mugiさんのツイートを読み、命の繋がりの凄さをしみじみ思いました。 どうもありがとうございました!
2019-08-06 16:12:02@mugi80190880 他の人のも読んで見ましたが戦争に行った人それぞれにドラマと言うか何か思いがあるんですね。 うちの祖父も、フィリピンに行きましたが、苦い顔をするだけで戦争の話は一切誰にもしなかったです。 戦争体験には感動する話や酷い話もある。でも自分が戦争体験を語る側になりたくないな…
2019-08-07 00:48:52@mugi80190880 戦争が起きていた世界というのは、はるか昔の話ではなくて、、、 僕は今年新入社員ですが、僕の所属する会社は戦時中も変わらず事業をしており、少し辿っていけば、僕らの先輩に当たる社員達がそこには居る。状況は変われど、会社と従業員は今と変わらずいて、紡いできたからこそ今会社と僕がある。
2019-08-07 04:49:24@mugi80190880 自分の所属する会社でも、よく耳にするような会社でもいいのでをふと検索してみてほしい。今までは気づかなかった、その時その会社が事業活動してたこと戦時中から当たり前に身の回りに存在して、生活の中にあったということを実感します。戦争は空想の話じゃない、自分の世界との繋がりが見えてきます
2019-08-07 04:52:11