われわれは、博物館に行くことで、成長しなくてもいい
- tomokihirano
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@museology1223 博物館での学びは到達目標が明示的ではないからこそですよね。学校教育が、教育された結果として学ぶのであれば、博物館には「学ぶ自由」と「学ばない自由」もある気がします。(極端ですが)個人的には、必ずしも学ばなくてもいいのではと。
2011-05-24 02:29:57矢野さんの「贈与」という概念にはいつも考えさせられます。生成としての教育と発達としての教育を対立的に語る中で。@togoyuri @tomokihirano 「発達」について。例えば、矢野智司さんのような教育人間学・哲学の領域では、体験と経験の違いが綿密に論じられています。
2011-05-24 07:21:50@museology1223 @togoyuri ミュージアムでの体験がいつ学びに変わるかは、すごく長期的なスパンでみないとわからなかったりしますよね。湯浅真紀子さんの「記憶の中の科学館」という論文を思い出します。
2011-05-24 07:31:54@togoyuri @museology1223 自ら学んだという感覚がないと「学び」たりえないのか、言語化され、意味づけされない体験に価値はないのか(髪留めが残るというだけではダメなのか)、考えています。
2011-05-24 07:39:54@tomokihirano @togoyuri 「学ぶ自由」が博物館にはあるのに、学校教育の枠組みの中に当てはめて考えてしまいます。「髪留めが残る」ということ自体十分だとも思いますが、これを自分の感覚だけじゃなく他の人にも納得してもらえるような理論付けが必要なのかも?
2011-05-24 10:24:08@tomokihirano さんがおっしゃってた、たくさん「?」が浮かんでたという私の発表資料(納得研究会2009年末)です!ほったらかしの古いHP上に臨時でupしました!→ http://homepage3.nifty.com/zooedu/nattokuken.html
2011-05-27 00:32:10ジョン・H・フォークの『博物館体験』を読んでいる。interactive experience modelなるものが、相互作用とか双方向でもなく、「ふれあい」体験モデルと訳されてて、とても癒される。
2011-05-27 17:56:09