『ぼくは日本兵だった』紹介

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面白かった。 父は英国人で母は日本人。父が病死後、父方の親族を頼る事も出来ず母子で日本国籍に。 日本語会話は(時々トンチンカンな事を言って笑われたりするものの)問題無く出来るが、教育はカリフォルニアと日本では外国からの駐在員の子弟の通う学校で受け、漢字は全く読めない。心は欧米人。 pic.twitter.com/lENfxW3Flt

2019-09-02 08:38:12
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対米開戦後に収容所に入れられ、交換船でイギリスに送られそうになるが、日本国籍が確認されて釈放されたものの、すぐに召集令状を受ける。 徴兵検査の時に生まれて初めて褌を身につけ、日本の普通の学校に通った事もないので軍事教練を受けた事もない、しかも漢字は読めない二等兵の誕生。

2019-09-02 08:42:29
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英米の言葉も文化も理解している人間を二等兵として中国に送り込む日本軍。(彼の「特殊な経歴」も配属先に通達されているのに) 収容所にいたやはり日英ハーフの友人に「イギリスに着いたら一緒に軍に志願しよう。日本の事を知っている我々なら情報関係の仕事に着ける筈だ」とか言われていたのに。

2019-09-02 08:47:25
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新兵だしよく殴られたりはするものの、本人の持ち前の楽観主義的な性格もあるし、例えば初年兵教育を受けた少尉は行軍の途中で現地人の畑からスイカやキュウリを盗むことも許さなかったとか、その他、日本陸軍にも結構いい人おるやんか、みたいな感じでちょっとほのぼの気分で読み進めていると… pic.twitter.com/w1qRpCiSsy

2019-09-02 08:59:22
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「軍隊のドロドロした実態からはかけ離れた」「世間知らずの坊ちゃんみたい」で初年兵たちに人気のあった少尉が、「おまえたちに度胸をつけさせてやる」と、縛られているまだ十代と思われる中国人(「何か言い残すことは」「中国人民の勝利を信じて、喜んで死んでいく」)を連れてきて日本刀で斬首。

2019-09-02 09:06:50
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となりの二等兵はうずくまって嘔吐。後にその「人のよかった二等兵」は「訓練のきびしさについていけず」ノイローゼになり、小銃で自殺。 「度胸をつけさせてやる」と縛られている捕虜の刺殺を初年兵が命じられたという話は良く聞くので、その事自体には驚かないけど…

2019-09-02 09:10:50
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本人の戦闘体験に関してこのような文を目にした時は驚いた。(その行為を責める意図は無いです。驚いたということ) 「剣は一度突き刺したらすばやく抜かないと、肉がしまって抜けなくなる」 「銃剣が相手の肉体に突き刺さるときの感触は、なんともいえずいやなものだった」

2019-09-02 09:16:05
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「(銃撃戦では距離があって)人を殺した実感はあまりなかった」とも。 この本の出版は1986年、著者がまだ現役で「ラジオ講座」に出ていた時。この本を読み始めた時、もし戦闘に参加していたのならその事をどう書くのだろうな、と思ったけど、ここまで直接的に正直に書かれているとは。80年代の半ば。

2019-09-02 09:18:25
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乳飲み子を抱えたまま射殺された女性とか、栄養失調で死んで道端に放置されている子供の死体とか、陰惨なエピソードが増えてくる。 中国人に混ざって汽車で移動中に、軍曹が満員の車内で「姑娘を犯していた」が、軍曹の制裁を恐れて…

2019-09-02 09:31:09
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…止める事も非難する事も出来なかった「自分自身にツバを吐きかけたい気持ち」 更にはその軍曹に、弾丸は前からばかり飛んで来るとは限らんぞ、と脅かされたり。 しかしその軍曹は後に事故で死んだので、『「ざまあみろ!」と叫んでやりたいぐらいであった。』

2019-09-02 09:33:25
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同じ師団の他の部隊は南方に送られたけど所属の中隊だけ独立旅団として同地に残ったり、部隊が満洲に移動した時にちょうど負傷して入院していたので移動せずにすんだとか、強運の持ち主! そして、やはり西欧人とのハーフである軍属と偶然出会って情報関係の仕事にスカウトされ(やっとだ)終戦。

2019-09-02 09:35:17
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国民政府軍に投降してからまたほのぼのエピソードが増えるのだけど、特に面白かったのが、収容所で暇を持て余すようになってから、ある時、大工の倅の兵長(「日本に帰ったら親父のあとをつぐんだ」)が木を削って仏像を作ったら…

2019-09-02 09:43:27
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それがきっかけになって収容所の中が「クラフトマンだらけ」になり、籠を編む者、絵を描く者、鍋を作ったり、ギターやバイオリンを作る者、どこから材料を調達したのか生菓子を作る者… 没個性であらねばならなかった兵隊たちがオタクに還る瞬間が!(もちろんこんな表現はしてないけど😆) 愉快爽快。

2019-09-02 09:46:44
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他にも面白いエピソードが沢山。(「あとがき」であの人の名前を見た時は、生きてたんだ!、と嬉しかった。) 興味を持たれたら是非どうぞ。

2019-09-02 10:02:14
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で、話はちょっと変わるけど、読み終わる頃にふと思ったのだけど、「あの戦争の加害責任を忘れるな!」と良く言う人たちのあげる「推薦図書」みたいなのって、このような加害行為を正直に描いているものはあまりなくて、「戦火に追い立てられる民衆」みたいな立場の話が多くないか?いいのかなそれで?

2019-09-02 10:10:25